2024年5月30日木曜日

「中上紀が語る中上健次 作品と人生『岬』を中心に」 朝日カルチャーセンター新宿校 中上紀先生

 今日は、夕方からきゅるりんってしてみてのネット中継「香港遠征記念!お土産抽選会」を見ました。一緒に香港にいったのだけれども、お土産も買えて、今日抽選会です。お土産で島村嬉唄ちゃんに白いおじさんの顔のマグネットを選んでもらいました。「白のおじさ〜ん。嬉唄が一生懸命探したので、ちょっと猿みたいだけど。しゅんちゃんと一緒に香港いけて楽しかったよ。また色んなとこいこうね。ありがとう」。その後、ネットで2分間ビデオ通話ができる1on1というサービスをしようか迷っていたけれど、結局どう申し込めばいいかわからず、売り切れでできませんでした。

そして、本題。中上健次について、娘で作家の中上紀さんが話す講座にいってきました。健次の若い頃から、作家になって作品を書いていくところなどを、家族の視点も交え話されていきました。色々苦労されたし、放蕩もした人だから書けたのかな、とも思いましたが、やはり才能がなければ、同じ苦労をしても作品には残せなかったでしょう。子供ながらに「書くことがこの人を苦しめている」と感じながらも「書かないと生きていけない」と感じさせるオーラがあったという話が印象に残りました。こんな苦しい思いをしている人もいるのだということを、作品を残してくれたおかげで知ることができて、今苦しい思いをしている人が救われることがあるのかも。しかし、文学って何なんでしょう。苦しまないといい作品が作れないとなると、人は幸せになっちゃいけないのって理不尽さも感じます。逆に、苦しみを体験したからこそ最後には報われるということか?報われたのか?世の摂理か?不条理か?文学って人を追い込むものなのか?それでいいのか?みんな褒めるけど。褒めていいのか?本人は書くことでしか救われないって感じもしました。救われたのかは分かりませんが。それがいいことなのか?いろいろ考えさせられました。

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