2024年12月17日火曜日

荒野塾 秋学期11、12 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

 今日の荒野塾は、イギリスの精神科医で詩人でもあった、R.D.レインの話でした。はじめに伝記的映画を途中まで見ました。阪田さんがいってたように、ロックスターのような感じや、振る舞いでした。途中で、宮台先生がきて、「ピザのとこ見た?」といって、統合失調症の患者の少女との対面のシーンを見ました。警戒している少女に会って、服を一枚脱いだら自分も真似して脱いで、自分は鍼のツボをいっぱい知っているんだといって、徐々に警戒を解いていって、少女に触れていって、最後にピザを食べようといってピザが届けられます。すると少女も緊張が解けていきます。感動的なシーンですが、その後院長先生がきて、君がやっているのは医療ではないといわれ、患者の安心のためにならないといわれます。するとレインはいいかえします。あなたが求めているのは、患者の安心ではなくて自分の安心だろう。レインはその天才的治療法によって一つの精神病院を開放させるほどの業績を残します。しかし、周りの嫉妬と既得権益保持の欲求の為に精神医学界をほされてしまいます。レインは統合失調症は、関係の病だと考えました。特に、家族関係に注目しました。レインはお金持ちの子だったけれども、その家族のコミュニケーションを嫌悪していて、またその家族が適応しようとしていた社会も嫌悪していました。レインの存在は、当時の学園闘争や公民権運動と呼応して、反精神医学という潮流を作ります。当時公開された「さらば青春の光」という映画の主人公の小児科医のモデルがレインだと、当時の宮台さんはきいていたそうです。このように、一方では反体制のアイコンになったレインですが、本人はしばらくは隠居していて、時々詩集を出していました。宮台さんは大学に上がるまでに、レインの書いたものを沢山読んでいたそうです。吉本隆明や埴谷雄高を読んでいたが、一番影響を受けたのはレインではないかといいます。僕自身の話をすると、僕は中高まであまり本を読まない人でした。初めて読んだ難しい本がレインの『引き裂かれた自己』でした。苦しくて、読まざるを得ないという状態でした。最後の頼みの綱のような感じで読み、とても感動しました。はじめてかかった医者に、『引き裂かれた自己』という本を読んだんですが、と恐る恐るいいました。すると「私はその立場には立たない。あれは、時代的な影響があって。フロイトまでは認めるけど」といわれました。僕の感想は、意外とフェアないいかただなというものです。もっと、あんなものは、と笑われるかと思ったからです。その後「君は理性が優勢すぎるのではないか」といわれ「理性が優勢なのになんで理性に語りかけるんですか?」ときいたら「われわれが無意識に語りかける方法は薬です」といわれました。その先生は、憎んではいないけれども、それからいくのをやめました。もらった薬も結局は置いておいて、いざという時にそなえて、結局飲みませんでした。そんな、非常に思い入れのあるレインの話を今日は深くまできけて、その再現された姿も映画で見られて、えもいわれぬ気持ちです。印象に残ったことは、コミュニケーションがnaturalかartificialかを嗅ぎ分ける力が必要だが、それが幸せかというと、そうはいえない。naturalかartificialかを意識せざるを得ない不幸な幼少期、悲劇的体験が必要、という話です。

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