ウィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』を読みました。
ウィトゲンシュタインの生前の唯一の著作。前期ウィトゲンシュタインの思想の頂点です。
短い命題に番号がふられて書かれている著作です。
内容については、解説書を読んでいるので、ある程度ついていけました。
しかし、難解な部分も多くありました。
ではこの著作は、どの様な意図で書かれたのか。
細かい内容を分析することにどれだけの意味があるのか。
僕が感じたことを述べれば、この本は「言語」と「世界」とは一対一の対応関係にあるということが根本的に主張されているのではないでしょうか。これは、後期との差異のある部分です。
しかし、それがこの本の重要な部分ではない。
この本は「何が書かれているか」よりも「いかに書かれているか」が重要だと著者は考えているのではないでしょうか。
つまり、ウィトゲンシュタインのいいたいことの要点は、「語る」ことと「示す」ことと「説明する」こととは違う、という点にあると思いました。
多くの哲学者はこの違いに無頓着である。例えばラッセルの解説は明らかに「説明」になっている。
ウィトゲンシュタインによれば、「哲学とは「語る」ことでしかない」。しかし、この「哲学は「語る」ことでしかない」という命題をまさに、「語ら」なければならない。
この困難さは、「示される」しかない。
読者の多くは、この困難さを理解していない。このことへのいら立ちも「示されている」。
このことを、理解させるためにこの本は書かれた。しかし、このことを理解させるために「説明」をしてはならない。
世界について「語る」ことで、「語る」ことの意味を理解させなければならない。
この書は、その極めて望みのうすい目的を果たすための挑戦。
これが、僕のこの本を読んだ感想です。
2013年3月3日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿