2021年2月28日日曜日

IDOL CIRCUS TOKYO FEB 神田明神EDOCCO STUDIO 島村嬉唄ちゃん出演


今日は、神田明神内にある神田明神文化交流館EDOCCOにて、僕の大好きなアイドル島村嬉唄(しまむら・うた)ちゃんが出演する「IDOL CIRCUS TOKYO FEB」にいってきました。

今回は、和服姿を写真に撮ったり、チェキを撮ったりできるイベントでした。昨日買ったシャツとジーンズを身に着け、14:00頃家を出ました。マスクを忘れたのに気づき途中の薬局でマスクを買っていきました。カメラ用のアクセサリーを昨晩ネットで買って、届けてもらうと時間がかかるので会場の近くの秋葉原のヨドバシカメラに寄って受け取ってからいきました。会場は、実習でいっていた御茶ノ水から近かったのですが、秋葉原までいってそこから歩いていきました。神田明神は立派な神社でした。下見に一回、外から見にいったことがあります。文化交流館EDOCCOという立派な建物に入って待っていました。中は和風に飾られてもいました。初めホールだと思って、外の階段から2階にいったのですが、人がいなく、どうしようかと思っていたら、地下から音がなっているので一応いってみると、地下のスタジオというところでやっていました。入場すると撮影できる席を取ったので、色のついたテープを手首に巻くようにいわれて、いつものようにドリンク代600円払って自分で飲み物をとっていきました。このへんは他のコンサートに比べてゆるい感じで、気が楽でした。中に入ると前の前のグループが歌っていて、一番うしろで見ていました。僕のお目当ての「きゅるりんってしみて」は最後の上演でした。17:00から。いつもの衣装でデビュー曲から入って、MCがあって、何曲かやり、またMC、そしてまた曲をやって終わりました。嬉唄ちゃんはまた、ポニーテールでした。ちょっと前のインスタ・ライブで髪を暗くしたことを見せてくれていたので、髪の色が変わったことには知っていました。途中でマイクの調子が悪く、マイクを取り替えに走る姿がありました。そして、次に着物撮影会でした。受付でどうするか聞くと、前の方の左右に「カメラ」と書かれた撮影可能な席があるのでそこで撮って下さいということでした。順番に、さっきまで歌っていたアイドルグループの子らが着物で出てきて、会場のカメラ席の人達がパシャパシャと撮っていきました。ちなみに着物会社が協賛のようで客も着物を着てこられるプランもあって、主に女の子が着物を着ている子が多かったです。男もわずかに着物の人がいました。華やいだ雰囲気でした。今まできゃぴきゃぴした歌やカッコいい歌を歌っていた子たちが、着物で現れて可愛く感じられました。司会の女の人と男の人がいて、グループごと出てきてちょっとしゃべって、撮影時間に左右に順番に寄っていく形でした。最後に「きゅるして」が出てくると、わ〜かわいい〜という歓声があがりました。主に女の子たちから人気のようでした。僕も嬉唄ちゃんを中心に、色んなポーズを席から撮りました。終わって、物販コーナーで、「きゅるして」だけは人気があるからか一階で券などを販売して、かなりの列になりました。皆見ているとツーショット券を何枚も買っていました。僕はいつも一枚だけです。撮影は地下のロビーでした。狭めのところです。いつものように集合チェキから撮って、個別チェキに入っていきます。僕は島村嬉唄ちゃんの5〜6番目だったようです。前の男の人は着物を着ていました。「きゅるして」が人気なのは複雑な気持ちです。マイナーだから近づけるという部分もあるので。あまり人気が出すぎて、手の届かないところにいってしまうのは寂しい気もします。チェキ、いよいよ僕の番です。着物の嬉唄ちゃんはかわいい。和風にした髪もかわいかったです。僕の顔を見ると「あ〜、また…」と名前を思い出そうという感じがしましたが思い出せず「いつもありがとう」といって名前は覚えてくれてなかったようです。「希望のポーズとかありますか?」「袖を振って、こんな感じに」と示すと喜んでやってくれました。「インスタ・ライブ見ましたよ」「ありがと〜」「でも、突然やるから見逃しちゃいそうで…」「ごめんね…」「また機材トラブルがありましたよね」「そう、私だけかな…」「髪型もかわいいね」「ありがとう。これ自分でやったの」「自分で?」「15分ぐらいで、急いで」「髪暗くしたんだね」「うん。明るいのがいいって人と、暗いのがいいって人がいて、どっちがいい?」「暗いほうがいいかな」「暗い方がいいって人が多いの…あ、よく写ってる…」みたいな感じで会話は終わりました。「ありがとう」「ありがとうございました。また」といって帰りました。帰り道、いろいろ考えてしまって。「嬉唄ちゃんにとっては、僕はone of themなんだよな」とか「相変わらず、会話に感情がこもっていなかったな」とか。今まで、会えてよかった。覚えてもらえてよかった。名前を呼んでもらえてよかった。と、どれも自分が嬉しいということばかり。嬉唄ちゃんを喜ばすことができていない。今までのことは、お金を出したら誰だってできること。自分が特別なわけではなかった。それに、嬉唄ちゃんを、個性のある一人の人間として扱ってきたのか?自分がこうされたいという希望だけで会話していたら空疎なものになるのも当然、とか。しかし、今まで他の人ともまともにしゃべってこなかったのに憧れのアイドルにうまく話せるわけがない。なんでうまく話せないかは分かっている。それは「感情」を込めてしゃべってないから。その理由も分かっている。「感情」にあまりいい印象を持っていないから。人の嫌な「感情」見てきたという思いがあるので、「感情」を否定して、押し殺して生きてきた。そんな感じで会話をしたら、ぶっきらぼうになるのも当然。なんとか、自分の「感情」をいい意味で出せたら、とか考えてしまいました。自分をあまり否定しないようにしようと思っていた最近ですが、久々に自己嫌悪に陥りました。僕のような「内向型」の人間を嫌いな人もいることもしっています。嬉唄ちゃんもどちらかといえば「内向型」なので惹かれたのですが、嬉唄ちゃんは「感情」と「理性」の軸でいうと「感情型」。僕は「理性型」。こんな風にすぐ「分析」してしまうのも「理性」でしか「世界」と向き合えない僕の特徴をよく現しています。まあ会話は、これからもしゃべる機会はあるので、変わっていくかもしれません。最初は自分中心で、だんだん相手との関係が儀式的なものから、本音のものに変わっていくことはあるかもしれません。嬉唄ちゃんとの会話が、ちょっとそっけないものになってしまったことを自省したということでした。少しもやもやした気持ちで今日は帰りました。 

0 件のコメント:

コメントを投稿