2009年6月21日日曜日

アニマルセラピー


約10年前、父が会社を定年退職した。
昭和一桁の典型的会社人間で、家にいても周りの女子供の話にもついてこれず、疎ましがられていた。
姉が夫婦喧嘩をして出戻った時でもあった。
姉の子、下の女の子がまだ小学生なのに、ひとりで家出をしてうちにやってきた。
親は、姉に早く家へ帰れとプレッシャーをかける。姉は、誰もわかってくれないと精神的に不安になっていた。私も引きこもりがちで、家として不健全だなと思った。そこで私は親に、「姉は今、心と身体を休める時期なのだからプエシャーをかけるな」といった。姪っ子にはこの期間が心の傷にならないように、いっしょに遊んだり、いろんなところに連れて行ったり冗談を言って笑わせたりしていた。
父は皆に疎ましがられ、一番声をかけやすい姪にばかりちょっかいをだしていた。それを、姪はすごく嫌がっていた。
この家の問題は、まず父が不安定なので、それで母が不安定になり、さらにそれで姉や私が不安定になり、姪が不安定になる、と考えた。
そういうぬれ落ち葉状態をなんとかしないと本人も家族も不幸だと思った。
そこで私が考えたのが父の精神状態が安定することだと考えた。そこで、犬しかも大型犬を飼おうと思った。家族が増えて困っているときにさらに大型犬?と思われるかもしれないが、その前に、アニマルセラピーの本や犬の本を読み、朝日カルチャーセンターでのアニマルセラピーの講座も出て、ちゃんと考えた上での決断したことだ。
はじめは寂しさを癒し飼いやすいものとしてウサギを考えていた。母にそれとなく聞いてもらったら、どうしようか考えたが、結局やめたといったと聞いた。それを聞いてちょっと考えたってことは、絶対イヤというわけでもないんだな、思った。
そこで、これは準備をこっちが全てして、買ってしまおうと決めた。既成事実になれば無理には反対はしないだろう。もしどうしても反対されたらネットでも雑誌でもあらゆる手段を使って飼い主を捜す。それでも見つからなければ、買ったものの責任で、保健所に持ってかなけば・・・しかしそれはしたくないなと思った。運良く父は反対しなかった。
私が考えたのは、犬の散歩は、サラリーマンの父は一度習慣化すれば毎日やるだろう。そしてそれは、身体の健康にもいい。さらに、犬を連れてると知らない人に声をかけられる。それで孤独に陥らない。精神的にもいい。
また犬のしつけを通じて、親としての態度を学ぶことが出来る。犬は猫と違って条件反射しやすい動物なので正しくしつければ、かならずいい子になる。犬のしつけ方を学んでいくと人間の教育にも役に立つことが色々ある。「9割褒めて1割叱る」とか「しかる時は本気になってしかる」とか「褒める時は十年振りの再会ぐらいの気持ちで喜びをあらわす」など。
そのために、訓練士さんにつけたり、しつけ教室に通ったりした。そして1ヶ月間、毎日、1日も休まずに私が父と犬を連れて散歩することをした。予想通りその後10年間ほとんど父が散歩するようになった。
家族にとっても、大型犬だから皆、力を会わせなきゃ飼えない。団結力も生まれるし、食事の時の話題にる。
犬を買ったのが父の70歳の誕生日。犬の平均寿命が約10年。日本人の平均寿命が約80年。この時期に買うなんて常識はずれだが、70の時、トイレのドアを開けっぱなしでようをたしたり。突然、歌いだしたり、ボケの症状が出てきてたのが、80超えた今では、ゴルフにも行くし、株のやり取りをパソコン使ってやったりしている。
これも、毎日犬と散歩して身体も心も健康になったからかも知れない。
だからといって、犬さえ飼えば家族の問題が解決するというわけではないので、誤解なきよう。
ちなみに犬種はゴールデンレリーバー。おとなしくて、頭がいいし老人の慰めにはとても向いている。(欠点は力が強いのでこちらも強くなければならない、毛が抜け落ちるので洋服について困る)ラブラドールレトリーバーも向いているが、私はフサフサの毛を撫でると癒される気がしてゴールデンにした。
本を読むと日本のゴールデンの98%がアメリカ系で2%がイギリス系と書いてあった。それを見て、どうしてもイギリス系が欲しいと思った。愛犬雑誌で見つけて電話して、一度栃木まで車で行ってブリーダーさんの話を聞いてきた。ビデオを撮って帰って父以外の皆に見せた。生後3ヶ月の2匹のうちオスを選んだ。
実は、自分が犬が飼いたいという気持ちがあって、父に毎日の散歩をさせる。という、ずるい心もあった。
母方の祖父が犬好きで、セントバーナード、シェパード、エアデールテリアなどを飼っていた話を母から聞いて憧れていた。しかし、毎日2度365日自分で散歩するのは無理だと思っていた。そういう理由も実はある。
名前は、はじめは、レオとか何種類か考えてた。すると姪っ子も考えていて、リストが作ってあって、一番目がレオだった。語感的にはあまり好きじゃないが、当時、俳優のレオナルド・ディカプリオをレオ様とかいっていたこともありそれでもいいかなと思った。
しかし、うちは手塚治虫の「ジャングル大帝」からもらった。「ジャングル大帝」のストーリーは、偉大な白いライオン、パンジャがジャングルを治めていたが、人間がジャングルに侵入してきた。パンジャはジャングルを人間の手から守るために勇敢に戦い、殺され毛皮にされてしまう。その息子レオは人間とジャングルの和解をめざす。そして最後は、雪山で人間と遭難してしまう。そして人間に対し、自らナイフで刺され殺され、私を食べ毛皮を使いなさいと自ら犠牲になる。つまり、命をかけて人間とジャングルの共存を願ったジャングルの帝王だった。
そう考えるとうちの犬もある意味、家族和解のための犠牲ともいえる。ちょうどイギリス系のゴールデンは毛の色は白だし。
ある意味、犠牲として買ったわけだが、だからこそせめてこの子は幸せになって欲しいと思った。
最終的には老人ホームなどを訪問するセラピー犬にするという計画を始めから持っていた。
理由は自分が癒されるだけでなく、人のため社会に役に立つことの歓びを父に味あわせたかったからである。ただ、自分の利益だけで生きて死んでいくのはさびしい。社会の役に立っているという感覚はとても大切なものだ。また、セラピー犬にするのは盲導犬などに比べてそんなに難しいことではない。
そこで、ネットで調べて、日本動物病院福祉協会というところが一番しっかりしてると思い、問い合わせて、説明会に出て、今日やっと見学することになった。犬を連れてくのは見学してからという決まりがあるので、今日は人間だけでいった。
まずいって見ると、控え室にスタッフは10人ぐらいで1人リーダーがいる。控え室でスタッフ用のTシャツに着替えていくつか質問して時間になり行った。
今日は小型犬が多くて、大型犬はいなかった。猫も一匹いた。
お年寄りの待っているホールへ行くと、全員車イスで20人くらいのお年寄りが待ってる。
私は、「あら〜よく来たわね〜」とか、派手に出迎えてくれるかと思ってたが、お年寄りは、固まったような表情でボケ〜っと見て、動かない。ベテランのスタッフはそれでも話しかける。犬を連れてきたボランティアは素人なので派手なパフォーマンスもなく。連れてまわったり、せいぜい「取ってこい」を見せてるが、お年寄りたちは、表情を全く変えない。筋肉が動かないんだろうか、退屈で不快に思ったのだろうか心配になってきた。
 はじめての見学なのでなにをしていいかもわからず困ってしまった。 私は父がこれを見て、「あんなんじゃ行きたくない」というのが心配で気まずい気分になった。
そう思ってると、一人の老人が、急に感無量の顔になり涙を流し始めた。またしばらくしたら、別のお年寄りも涙を流し始めた。
犬の人の心を開かせる力はすごいなと思った。
私の近くにいたおじいさんも泣いていたので、私は「犬は好きですか?」ときくと「いやあ、別にそういうわけじゃなくて・・・」という。犬が好きとかそういう次元じゃないのだ。施設にずっと閉じ込められてつらい、何か楽しいことはないかと思っていたのかもしれない。
とくにお年寄りは、もう将来の夢もないこの先は死んでいくだけ。家族とも別れ、古びた建物の中での食事くらいしか楽しみもない、つらい状況なのかもしれない。その中で一生懸命自分たちを慰めてくれる人がいるのがうれしいのかなと思った。
でも、それだけじゃないとも思う。やはり、動物好きじゃなくても、動物が一生懸命、命令に従い飼い主は喜んでそれを褒める。それは、やはり感動的だと思う。
犬は諸説あるが、1万年以上人間とともに暮らしてきた。何度も品種改良して。だから、遺伝子レベルで我々人間に都合よく作られている。一度なつけば、死ぬまでずっということをきく。我々、人間は子供のころは純粋で無邪気にお菓子もらっただけで喜べたが、大人になるとお菓子もらった程度では歓びもしないし、鼻で笑うだけだろう。
でも、うちの犬にお菓子あげると大人になってもこどものように喜ぶ。
犬はオオカミのネオテニー(幼形成熟)といわれるが、子供の無邪気さを持っている。言葉はしゃべれないからウソをつくこともない。演技していい子ぶることもない。そういうところが人々の心を開かせるのかなとか思ったが、それはその場に行けば自然と感じる感情であって、それをいちいち分析するのも野暮ってものだろう。
泣いていて私が「犬が好きなんですか?」と聞いたおじいさんは、「いや、そうじゃないけど、いやその・・・」といって照れ笑いをして、説明に困っていた。本人だって言葉にできない感情なんだろう。でも、その気持ちは多分とても大切のものだと思う。

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