2009年6月30日火曜日

呪術


 今日の「芸術人類学」は、始め先週とは別の「クラ」(未開人の島々を贈り物がまわる儀式)のドキュメンタリーを見る。先週見たのより20年ぐらい後にオーストラリアで作られたものらしい。
まず、オーストラリアの白人が原住民の中に入っていっしょに「クラ」を体験したり、原住民出身の人も近代的教育を受けてビジネスパーソンになっているにもかかわらず、「クラ」に参加したりしてるのを紹介する。
つまり、この講義のキーワードである「贈与」の経済に「等価交換」の原理がかなり浸透してきている。
しかし彼らは貨幣経済(=「等価交換」)では「価値」は伝わらないことをしっていて、この二つを使い分けているようだ。
ドキュメンタリーの中に原住民の偉い人が瞑想するシーンがある。そのとき彼は周りのものと一体になる。
「私の口は鳥の口」(だったっけ?)「私の感覚は虫の触覚」という。
中沢先生によると、これを作ったディレクターはおそらく70年代の「ニューエイジ」の影響を受けていて「ゲド」とか「ドンファン」を読んでいたのではないかという。
では、そもそも呪術とは何か?
ギリシアでは呪術のことを「ファルマコン(pharmakon)」といい、後の pharmacy (薬局)の元になったことばで、薬と関係あることばらしい。薬というのは飲み過ぎると毒になる。呪術というのも、白呪術と黒呪術があるという。呪術とはそういう両義性、曖昧さを持ったものだという。社会的には倫理によって黒呪術は普段は使わないが、白呪術には黒呪術が必ず裏についてくるという。私のあたまのレベルでは「スターウォーズ」に出てくるフォースのダークサイドのようなものかな?と思った。(以前、教育テレビで神話学者のジョゼフ・キャンベルが「スターウォーズ」は現代の神話だといってた)
そしてその、「ファルマコン」を完全に否定したのがソクラテスだという。
ソクラテスにとって大事なことは「善」と「悪」をはっきり別けて「真理」を目指すことだった。それを、愛知=「哲学」と呼んだ。
それから、キリスト教も善と悪をはっきり別ける(魔女狩り)。近代自然科学もものごとを白か黒かはっきり別ける。だから、西洋はソクラテス以来ずっと「別ける」方でやってきた。それが今、地球との一体感も失い、自然を対象としてしか見ないので自然破壊がすすんできたと。
gift=「贈与」の世界は不合理な世界だが、もう一度その不合理な「呪術的理性」を見直すべきじゃないかと、中沢先生はいう。それはレヴィストロースによって「野生の思考」と呼ばれたものだ。

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