2011年2月20日日曜日

羽生善治


梅田望夫『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』を読みました。

僕は将棋は駒の動かし方ぐらいしかしらなくて、ゲームセンターの将棋ゲームで3分間に2回負けるぐらいの無知なのですが、95年の七冠挑戦あたりからすごいひとがいる、僕と同い年で24歳で全てのタイトルをとろうなんて、と興味をもって見ていました。

谷川王将千日手で勝って、何かホッとしたような残念なような気分になりました。

ところが翌年、全てのタイトルを防衛して再び七冠をねらったのですごすぎると思い、わからないなりにBSで中継を見ていました。

どんな表情をするのかと思っていたら、その日は風邪気味で熱もあるようなようすで、これだけの偉業を達成するのだからさすがの天才も普通ではないのだなと思いました。

最後に谷川さんの投了で終わった歴史的瞬間を見たのですが、熱で苦しそうだったと記憶しています。

僕が覚えているのは、ラジオで、セナか誰かF-1レーサーがコーナーを曲がるときに神を見た、という感覚が共感できるといっていた。そして、もう少しで向こう側にいってしまいそうになることがあるという。羽生さんぐらいなら向こう側にいってるのかと思ったら、向こうに行ったら戻ってこられないと思いましたと笑っていた。

ちょうどチェスでカスパロフがコンピュータに負けた時期に、将来コンピュータに負ける時が来ると思うかきかれ、順番に指していくゲームには必ず必勝法がある、しかしその有限の中でこれだけ人間ドラマがくりひろげられていることが将棋の魅力だといっていたこと。

教育テレビで、詩人の吉増剛造さんと対談していて、シジフォスの神話で岩を永久に山に持ち上げつづけないといけないとい罰を受けたシジフォスについて、やっていくうちにそれが快楽につながるのではないかといっていたことなどです。

この本はタイトルの疑問をわからないとしていますが、素人の僕が思うのは、将棋というのは全て数字に置き換えられる、いわばデジタルなゲームです。サッカーや柔道は全てを数字では表せない。ところが昔の棋士の方々は将棋を一つの物語のようにアナログ的にとらえているのではないかと思ったのです。たとえば、なんとなくこの辺が弱い感じがするとか。しかし羽生さんはそれを徹底してデジタルに考えていて、いくら弱そうに見えてもこの手があるから確実に安全だと判断してすぐ次の手を探す。この駒の意味はこれだ、とはっきり判断して将棋の物語にとらわれない。だから将棋を物語的に考える人には予想もできない手を打つが、決して霊感で打ってるのではなく、普通の人以上に論理的に打っている。それが普通の人、アナログな人には衝撃的な手になるのではないかなと思いました。

谷川さんの本などを見ると彼なんかは最後のアナログ世代だなという感じがします。その後のデジタル世代でも特にデジタルに徹しているのが羽生さんなのではないかと思いました。

この本の問いの僕の答えはこんな感じです。

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