2017年9月16日土曜日

「対談 ポスト・トゥルースの政治」

今日は、18時30分から朝日カルチャーセンター新宿校で、宮台真司先生、堀内進之介先生の「対談 ポスト・トゥルースの政治」にいってきました。

台風が近づいてきているせいか、いつもより人数は少ない感じでした。

宮台先生によると、社会の変化は96年ごろから感じ始められたそうです。

何が真実か、何が正義かということに関心がなく自分の不安の埋め合わせのためのコミュニケーションをとる人たちが増えてきました。

そしてなにかというとすぐ警察に頼むような「法化社会」化が進んだといいます。

堀内先生によると、ウェンディ・ブラウンは『いかにして民主主義は失われていくのか』の中でフーコーを参照しつつ新自由主義の問題を論じています。
現在では、社会の隅々まで、経済の用語で埋め尽くされてしまっているといいます。

宮台先生によると、国民国家=共同体であったのは、ナポレオン戦争のイエナの戦い以降に過ぎず、ベトナム戦争で3万人の米国人が死んでからは、国民国家のために死ぬことはできなくなってきています。

宮台先生は、「新自由主義は不可避」と断言します。

その中で処方箋を探すとなると、「仲間」や「愛」が必要になるのですが、それも現在では難しい。
マルクーゼのいうように、考えるのはAIにまかせて人間は壊れてもいいのではないか、とさえいいます。

自分は、自分の伝えたいことがあるから映画批評をしていると宮台先生。
最近の映画には共通の特徴があるといいます。

少し前までは、「メッセージ」「彷徨える河」のように言葉の外側出ることが重要だというものが多かった。

今は、「三度目の殺人」「散歩する侵略者」のように、不道徳を擁護するものがでてきています。
「法は破るために存在する」ともいいます。
「人類は滅びた方がよい」ということも主張されるといいます。

今までは、現在の法化社会化に苛立って、批判しているという印象でしたが、今回の講義を聴いて、新自由主義化は不可避だとある種諦念しているということも知れました。
そして、法を破ることさえ推奨しているのは、随分おもいきった発言だなともおもいました。

現在の行き詰まった状況を、しっかりと認識しつつ前へ進むしかないということでしょうか。

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