2010年7月18日日曜日

事情


『新世紀エヴァンゲリオン』の監督、庵野秀明が旧エヴァがおわった後に作ったアニメということで試しに『彼氏彼女の事情』という作品のDVD1〜4話を借りて見ました。

物語は、いつも自分をとりつくろっている優等生の女の子が、同じく優等生のかっこいい男の子とつきあっていく物語です。

男の子は小さい頃の心の傷があって自分をつくろっているのですが、女の子は見栄で仮面をつけています。

女の子は家ではずぼらなのですが、それが彼にバレてしまいます。その後友達関係になり段々恋心が芽生えていき、どういう風に告白するべきかで頭を悩ませます。

彼女の心理描写はギャグマンガっぽく描かれています。しかし、この自意識にがんじがらめになった心理は程度の差こそあれ、男女の差を超え思春期には多くの人が体験するものではないでしょうか。

あるときは自分は特別な存在だと感じ、あるときは自分はとるにたらない存在だと感じる。その自意識の行ったり来たり。人に分ってもらいたいけど、プライドがゆるさなかったり。

そういう自意識による苦しみは僕自身も経験しましたし、多くの文学作品でも扱われている普遍的なテーマです。

最後には妹に「お姉ちゃんは本当の自分を出すのが怖いのよ。仮面の自分なら傷つかないけれど、本当の自分なら傷つくから」とはっきりいわれ、決意します。

彼ととなりあった時に彼の手を握り、彼氏彼女になります。

『エヴァ』の自意識の物語をも想起させますが、庵野監督自身、オタクなのにオシャレ系の漫画家安野モヨコさんと結婚したのに驚いた記憶があります。

監督にもこのような心理的葛藤や不安があったのではないと想像されます。そして、それを乗り越えたのではないかと思い、ある種の強さを感じました。

僕自身はどうかというと、やはり本当の自分を出すのは怖い。
勇気を持って出せばいいという人もいるかもしれませんが、しかし僕の場合はキズが深すぎて致命傷になってしまう可能性があるので、そう簡単にはハダカの自分は出せません。
情けないと思う人もいるでしょうが、失恋で自殺する人も多いのです。誰でもハダカになればうまくいくとは限らないというのが僕の立場です。
ただ、それでよい方向にいく人もいることは認めますし、ある種尊敬もします。

この作品は、ハダカになれと強要しているわけではなく一つの示唆を与えている。僕はそう解釈しています。

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