2015年6月25日木曜日

考察

先ほど、うとうと寝ていて夢を見た。

姉の友達の赤ちゃんがうちにきているけど、なぜか、その顔が見えない。
だけれど、僕は赤ちゃんを抱く。
僕は姉といい争いをする。

目が覚めて、ふと思いました。

嬉唄ちゃん、ひょっとして不幸な家に生まれたのかもしれないと。

うちの場合、姉は離婚してうちに戻ってきました。そのとき子ども達がかわいそうで、できるだけかわいがってあげました。

僕自身も、外見的には不幸ではなく見えるかもしれないけど、内面は不幸な家に育っています。

以下に書くことは、ご家族に失礼に当たりますが、嬉唄ちゃんの気持ちに近づきたいためにあえて書かせてもらいます。

うちの場合は、普通に学業的に成功してほしいという圧力でしたが、嬉唄ちゃんの場合、芸能界で成功してほしいという親の強い圧力があったのではないか。

ブログに、両親について「美人さん」「イケメン」と書いてあり、あれっと思いました。
普通は、この年頃なら「優しい」とか「厳しい」とか書くんじゃないかなと漠然と思っていたので、ちょっと意外でした。

ネット情報によると、親が芸能関係の仕事をしていたらしいとあります。真偽のほどは分りませんが。

しかし、「嬉唄(うた)」という名前の由来に本人が、親が芸能界に入ってほしいという願いがあったからと答えています。
名前をつける時から、芸能界に入ってほしいというのは、相当はっきりと芸能界への野心があることがうかがえます。

僕の経験上の意見ですが、不幸な家庭に育った子というのは、やたらと明るいかやたらと暗いかのどちらかの場合が多いような気がします。

彼女の、普通とちょっと違う雰囲気。暗さ、はかなさ、引っ込み思案。褒められると異常に恥ずかしがる姿などを見ると、小さい時から寂しいおもいをして、自分は褒められるには値しないと、自罰的になってしまったのではないかと思えます。

僕自身が、彼女になぜこれだけ惹かれるかというと、自分の心の傷を彼女に見いだしてしまったからかもしれません。

まず、オーディションに応募したのが親であること。ぼとんどのハロプロのメンバーは、小さいことからハロプロが大好きで、憧れて入ってきます。しかし、憧れの先輩ときかれコロコロ変わって、定まらないことから、あまり本人はハロプロが好きではなかったのではと想像してしまいます。このことからも、芸能界に入ることは、本人ではなく親の希望だったと推察されます。

受かっても、「おめでとう」といわれただけで祝ってもらわなかったという話も、何か家庭の冷たさを感じます。

学校では、独りおとなしく勉強しているタイプ。という個人主義も、ひとりっ子だからだと考えてきました。

しかし、いろいろ総合的に考えるとそれだけではないのでは。

「美人さん」と「イケメン」の元芸能人のご両親は、子どもを芸能界で成功させたいと考え、大事なひとり娘に「嬉唄(うた)」などという洒落た名前をつける。

芸能界に入れる年齢になった、娘にモーニング娘。のオーディションを受けさせる。

親に愛情がないとは思いません。でも、両親は「芸能界の成功=幸せ」だと思って育ててきたのではないか。そんな疑いを持ってしまいます。

だから、子どもの親に対する評価軸も、「優しい」とかではなく「美人さん」や「イケメン」。

本人も、親の期待に応えようとしてきた、けれど一所懸命他人の期待に応えようとするため、自分がなくなる、他人の評価をすぐに気にするから自信が持てない、本当の自分を評価してもらってないから褒められても、自分に分不相応だと感じてしまい恥ずかしくなる。

そんな、(一昔前ならアダルト・チルドレンと呼ばれたであろう)傷ついた育ちを想像してしまいます。

勝手な読み込みだという人もるかもしれません。もちろん、これは僕の想像であって、どこにも証拠はありません。

しかし、2015年6月16日火曜日のブログ「Yesterday」で書いた、ストーリーにほんの少し違和感を覚えていました。それは、そのストーリーで書かれた家庭が、ホームドラマにでてくるような典型的な「普通の家族」だったからです。
嬉唄ちゃんのもっている雰囲気はちょっと違う。それが、なんなのかよく分りませんでした。
でも、さっき「ひょっとして不幸な家庭に育ったのかもしない」と思ったこと、そして「それは、普通の不幸な家庭ではなく芸能界への野心を強くもったがゆえの」という考えにいたり、合点がいきました。
また、あれっと思っていた「珍しい名前」や「親のことを「美人さん」「イケメン」という感覚」というのもしっくきました。

その「芸能界への野心」と「冷たい家庭」で、小さいころから「ひとりっ子」で逃げ場がなく育てられて、あの「はかない」性格がかたちづくられていった。
その中で、普通の庶民にはない美意識は強くはぐくまれた。

少しだけの不幸なら、人は反発もするでしょうが、生まれた時から逃げ場なく育てられたら、そこに適応するしかない。

彼女独特の雰囲気。周りの人がほっておけないようなはかなさ、こわれやすさ、美意識はこの様にできていったのではないか。
それが、人々に得体の知れない魅力を感じさせた。
これが「嬉唄ちゃん人気」の秘密だったのではないでしょうか。

そう考えると、納得がいくとともに切ない気分になります。

ところで仮にそうだったとして、どうして今回辞めてしまったのでしょうか。
親が芸能界への野心が強いのなら、せっかく予想以上に人気がでているのに、辞めてしまうのはもったいない。

事務所に無理な条件をだして、けんか別れになったという説をいう人もいますが、それでももったいない。後に別の事務所から再デビューなんてことになれば、この説もうなずけますが。

やはり、本人がこの仕事のきつさについていけなかったのではないかと個人的には思います。
今まで、無理をして親の期待に応えようとしてきたがついに無理の限界に達した。
これ以上自分を殺して生きていくことはできない。

そんな彼女を辞めさせてあげたのは、せめてもの親の愛情だったのかもしれません。

くりかえしますが、本当のところは分りません。全て僕の勝手な憶測です。

でも、このように考えると、今までの謎が氷解する。

もし、このストーリーが本当なら、ただ単に辞めた時のショックだけでなく、今まで育ってきた彼女の心の傷はいかばかりか。

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