2010年8月10日火曜日

政治


今日は朝日カルチャーセンターで、社会学者宮台真司さんと政治社会学者堀内進之介さんの「日本政治思想の系譜」という講座に行ってきました。

まず、戦前からのマルクス主義者による日本の資本主義に対する分析において「講座派」と「労農派」のあいだで論争があったことが説明されました。

当時の日本に「近代」はあるかという問いに、「講座派」はまだ近代ではないといい、「労農派」は、西洋とは違った「近代」があるということです。

明治の改革期に、地主は豪農になって資本主義に乗り出してくる。それが、はじめ政府に利用されていましたが、後に「財閥」になります。そして、農民を搾取します。それは近代といえるのか。

ところで、当時の政治家はどう考えていたか。
「岩倉使節団」はプロイセンに行ってビスマルクに会い、近代化が周りの国より遅れた国がいかに厳しい立場に立つのかを実感して帰ってきました。

そして官営工場を造ったりして、「上からの近代化」を行います。
福沢諭吉などもそうですが、客観的状況を見れば近代化するしかない、そのためにあらゆる方法をとるというものです。

従って、宮台さんの説明では「明治維新」は「ブルジョワ革命」ではなかったが「ブルジョワ養成革命」であった。

たとえば、国家神道ができたのも西洋の社会にはキリスト教の影響があると考えたからであって、「天皇」を祭り上げたのも「近代化」の目的である。したがって、当時の政治家に「天皇主義者」なんて一人もいなかった。

それら「道具的」に導入されたリソースを次の世代の人たちは本気で受け止めてしまったということです。



それから現在の政治の話になって、宮台さんは次のようにいいます。

「国家」か「個人」か、「市場」か「福祉」かという対立は、先進国では70年代に終わった議論であって、現在は「共同体的な自己決定」ができるかどうかが問題だといいます。

日本にはもともと「血縁」の伝統がない。あるのは「地縁」だけ。
しかし、少しややこしいのですが「一緒に住め」ば「規範」は生まれるのだが、そもそも「一緒に住」まなければならないという「規範」はないというのです。

ですから、日本には他国にあるような「中間集団」がない。従って経済が下降線をたどると、地域の空洞化が顕著になってくる。

その上では、緊急避難的に行政が手を出してでも地域の絆をつくらなければならない。
しかし、ずっと行政の世話になっていてはならず、将来は「自分たちのことは自分たちで決める」どうしても解決できないときにだけ官にたよるという「補完性の原理」に立脚した社会にならなければならない、ということです。

堀内さんから「共同体というと面倒くさいという感覚もある」という質問に対し宮台さんは「自分にも感覚としてはある、がそれでも共同体の空洞化には対処しなければならない」といわれました。

僕は宮台さんの本などを読んで、これが政治家に伝わればいいのになと思っていましたが、実際に政治家の人とも親しく、かなり助言をしているときいて、少しほっとしました。

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