2010年5月30日日曜日

ライ麦


J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読みました。
タイトルだけは有名なので知っていたのですが、タイトルからアメリカの田舎の話かなと思っていましたが全然違いました。

まず、主人公の社会に対する敵意は読んでいくうちに、ちょっと異常じゃないかと思うほどでした。今なら多動性障害といわれるのではないでしょうか。

これが太宰治だと、もっと自分を否定する「自罰的」になると思いましたが、この主人公は全て相手が悪い。学校を辞めるのも、殴られるのも全部相手がどうしようもない奴だということになってしまう。
この「多罰性」のすごさ。
さらに、一人称はいつも単数「僕」であって、「僕たち」というのがない。世界を全部敵視して独りで生きるのだからさぞ大変だろうなと感じました。
この「多罰性」「個人主義」はやはり、アメリカ人的だと思えてしまいます。
主人公は、全て他人をこきおろして、僕は率直「嫌な奴」だと感じました。

終盤で恩師に会って理解されるが、その人からも同性愛的な行為をされてしまう。
つらいなと思いました。

しかし、作者は主人公の内面に入ってきますが、作者自身は主人公の性格の悪さを知っていて書いているんですね。
一人称で書かれているので、その描写はあまり多くはないのですが、それはわかります。

最後の妹とのエピソード、そして病院に入院して精神分析を受ける、ということで「大人」の眼からするとホッとしました。それと同時に、この狂気の数日間を見せられたこともまんざら、悪いことでもないなと振り返ることもできるのでした。

今だに若者に支持されるというのも、わからなくもないです。

僕は「自分を絶対まげない子」がイジメっ子に追いつめられて窓から飛び降りて死ぬという話が印象的でした。

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