2013年2月25日月曜日

「ふしぎの海のナディア」2回目

インターネットのバンダイチャンネルで「ふしぎの海のナディア」、今月いっぱい見放題なので、全39回、2度目見ました。2013年2月5日以来です。

その前に雑誌「月刊アニメスタイル」のナディア特集号を読みました。

庵野総監督は、もう話すことはないということで登場しません。彼らしいです。
その他の、演出家の方々がでてきて、当時のエピソードを語るのですが、かなり行き当たりばったりで作られたようです。

樋口真嗣監督が「〜強引に直してた。今にして思えばテロですよ。放送テロなわけですよ。本当に、よくあんなことが許されたなと思います。〜アニメテロですよ。〜オウムと変わらないわけですよ。〜いやオウムより上手くやってるのかもしれない。テロとして成功しているから」といっていたのは面白かったです。

とにかく、面白い作品。いろんなものが入っている。「エヴァンゲリオン」を見て、気分が暗くなったところ、気分を明るくさせてくれる作品です。

「トップをねらえ!」「ふしぎの海のナディア」「新世紀エヴァンゲリオン」と庵野氏が作った作品を比べてみると、やはり共通点があると感じます。

それは、「ハイブリッド」つまり、異質のものの混成物という点でしょう。

「トップ」や「エヴァ」では、学園コメディとSFロボットという対比。これは後に新海誠の「ほしのこえ」に受け継がれます。

「ナディア」19世紀的冒険小説的な世界、タイムボカンシリーズのパロディのギャグ、シリアスな80年代SFアニメの混成物です。

つまり、庵野監督は常に複数の視点でものを見ているのです。

「トップ」で原作の岡田斗司夫さんの影響を受けたのではないかと想像するのですが、くだらないギャグをマジメに作っていたかと思うと、いつのまにかそれがシリアスな場面になり本気で涙がでるような流れになっていく、しかもそれらが一つの場面に共存している。

「トップ」では、字幕で難しい物理学の話が続いている後ろで宴会でカラオケで「男と女のラブゲーム」を歌っているところが音声として流れる場面が象徴的でしょう。

「ナディア」でも。ノーチラス号が沈んで、ネモ船長がエレクトラに撃たれる場面のあと、ジャンとナディアとマリーがカプセルで脱出したシーンで、ジャンとナディアが真剣に泣いているところ、4歳の子マリーがオルガンを見つけて「遊びーたいー」とライオンのキングとはしゃいでいるシーンが象徴的です。

タンクに乗って空を飛んでいるシーンに洗濯物が干してあるとか。

また、普通の何気ない場面から、いきなり人が死ぬシーンがシリアスに描かれたりします。

この視点は、宮崎駿というよりもむしろ手塚治虫的な、大塚英志のいう「記号的な身体に死すべき身体が描かれる」という感覚に近いような気もします。

また、庵野さん自身の悩みや苦しみも、彼がこの様な複数の視点を常に持って見てしまうということからきている面もあるのではないかと思います。
登場人物を殺してしまうこととかがあるのですが、それも描くものにとってはきついのではないでしょうか。
特に庵野さんは動物が屠殺シーンを見てから、肉を食べられなくなったほど感受性の鋭い人です。だから、残酷なシーンをギャグの合間ででもシリアスに描ける。一方、その分精神的にきついのではないでしょうか。


今回見直してみて感じたのは、マリーの描かれ方がとてもキュートだということです。
はじめ見た時は、若い男女の主人公に幼児が必要かと疑問に思いましたが、見ているうちに、リアリズムではないのですが幼児の無邪気さと意外におませな感じが本当の子どものようで魅力的でした。
わがままでいつも遊びたいとか、ライオンの子キングと仲良く遊んでいると思ったら、キングをぶん投げてしまうとか、大人がしないので一人で気球を直す縫い物をしているとか、子どもってこんな感じだよねという気にさせられます。

宇宙戦艦がでてきて、それが敵にやられるというシーンも3作品に共通するものです。
宇宙戦艦は、ヤマトの影響でしょうし、味方がやられるシーンは描くのが好きなのでしょう。本人の破壊願望があらわれているのでしょう。

この様に、庵野さん分析にもなりますが、それよりもこのちょっと特異な名作を心ゆくまで楽しんでしまうのがいいと思います。

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