2013年2月8日金曜日

『教室内(スクール)カースト』

鈴木翔著『教室内(スクール)カースト』を読みました。

「スクールカースト」とは、学校内での序列。
あるグループはカーストの上位にあり、あるグループは下位にあるといいます。

上位にいる子は、活発でスポーツが得意で自己主張がうまい。下位にいる子は地味でおとなしいという特徴があるといいます。
それは、かなり固定的な序列だといいます。

そんなのいつの時代でもあるのではないか、とも思いましたが、そのあらわれ方は時代とともに違うのかなとも思いました。

そもそも、活発な子が上位にいくというのは、犬や猿のような集団で行動する動物にまである普遍的なことではないかと思います。

昔からガキ大将と呼ばれる存在はいました。

しかし僕の時代、1970年生まれですが、との違いも少し感じます。

学級内で権力を持っている子たちは、当時は多かれ少なかれどこかで「不良」というレッテルが貼られていたと思います。今は、あまり「不良」という言葉を聞かない気がします。

「不良」というレッテルを貼られた子は大人たちや社会に対して対立していて、どこか暗い影があったように思います。

しかし、この本に書かれている「スクールカースト」上位の子たちは、昔の「不良」と共通の特徴を持ちながら、一方で学校生活を最もエンジョイできてる存在だといいます。

昔は、真面目な子が先生には望ましいと思われていたという感じがしますが、今は自己主張がハッキリできる子の方が望ましいと思われているようです。

なんか、アメリカ化してきたような印象も受けます。

ところでこの本で驚いたのは、先生方がこの「スクールカースト」を望ましいと思っているということです。
上下関係がすぐさま「いじめ」につながるわけではないのですが、「いじめ的」なことはよく起こるし、「いじめ」に最終的にいたることもあるようなのに。

「頂点の生徒はなにかをもっている気がしますね」
「強い子は、正直で自分を出せる子なんだ」
「コミュニケーションのやり方がうまい。それができるから外でも、自分が優位にたてるようにふるまえるんだ」
「強い奴を使って、いい方向にもっていくようなときもあるな。担任やっていてわかんなきゃザルだよ」

「弱い子は、見ていて気持ちいいものじゃない」
「弱い子は、100%将来使えない」
「こいつ大丈夫かなと思う」
「こっちが手を差し伸べてあげないと何もできねえから。なんかいわないと何もやりゃしねえ。覇気もない」
「人生損してると本当に思うもん」
「オレからすると損だけって感じがする」

スクールカーストについて。
「肯定するしかないかなあって思いますね。生徒のためを思ってそういう気持ちです」
「立場が弱いってことは、人に意見を聞き入れてもらえなかったり、人の支持を得られないってことの象徴なわけだから、まあ気付けってことですね」

非公然の権力関係の中で苦しんでいる子がいる中で、唯一公然の権力を持っている先生が強い子の味方をして、弱い子を見下しているという事実に、驚きと怒りを覚えました。

最後に解説で著者の師である本田由紀氏が、
「「下」として扱われること自体が、その当事者にとってはとても苦しい状態であることが多いと思われる」といわれていることが、せめてもの救いです。

ちなみに、僕自身は生徒時代にどうだったのか。
小学校から中学1年ぐらいまでは、活発なグループにいました。僕自身はスポーツは苦手で、気が弱くカーストで上位にいるようなタイプではなかったのですが、属するグループはなぜか活発な子が多かったです。でも、その子たちが中2ぐらいから段々「不良」化していき、使いっ走りのようなことをさせられてから、あまりグループに加わらないようにしました。
それ以外でも、その頃からクラスはグループ化していきます。その中でグループ内では外の人の悪口などをいって盛り上がっている。それが嫌で、その後はどのグループにも加わらない感じでした。個人的に親しい子はいましたが。

この本によると、どのグループにも属さない子は最下層だそうです。
カーストの最下層の人間から見ると、やはり強い者の味方をして、弱い者を見下す先生はひどいなあと思います。

僕が中3のとき、先生に3時間目ぐらいに「きてたの、気付かなかった」といわれたことがあります。それは、悪意があっていったわけでないので恨んでいませんが、それくらい影が薄い存在でした。

高校のときは、なんと3年間同じ担任の先生だったのですが、僕が大学を受け直すときに内申書をもらうために電話をしたら、「どうしても思い出せない」と僕の存在は忘れられていました。

まあ、それくらい下の下の人生でした。



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