今日、16:20〜吉祥寺オデヲンで「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見てきました。
僕の苦悩にあった長い時代に、ずっと共振し続けた作品の完結版です。
僕はTV時代の「エヴァンゲリオン」ブームの途中あたりから再放送でハマったものです。
ずっと思ってきたのは、「エヴァンゲリオン」は、描写のリアルさは凄いものですが、その本質は心理劇であり、ストーリーや設定は後づけであって本質ではないということです。この作品でも、そのことは同じでした。むしろ証明されたといってもいいでしょう。
総監督の庵野秀明氏は「碇シンジは昔の庵野さんですか」ときかれ「いいえ、今の私です」と答えました。この作品に、流れる共通の主題は「いかにして大人になるか」ということだと以前ブログに書いたことがあると思います。このテーマは、僕自身も今現在も悩んでいるテーマでもあります。そして、「おたく」と呼ばれてきた人々にとっても共通するテーマではないでしょうか。
社会学者の宮台真司氏によると、かつて「おたく」と「新人類」は、未分化だったそうです。それが、コミュニケーションスキルの上下によって「新人類」と「おたく」に分化していったといいます。庵野氏自身は、明らかに「おたく」です。しかし、アスカやミサトを見ると「新人類」的素養もあると思われます。少なくとも「新人類」的コミュニケーション上手に憧れはあると思います。庵野氏の「おたく第一世代」は、「おたく差別」をされた時代でもありました。その二つの人格類型に引き裂かれた心理が、この作品を生む原動力になったとも思います。これはそうとうキツイ精神状態だったと容易に想像ができます。庵野氏自身が、自分が作品を作ったときは精神的に病んでいたことを言明しています。しかし、だからこそこれだけ多くの人を惹きつけたのだとも思います。僕自身も「大人になるべき」と「大人になりたくない」という二つの力に引き裂かれた状態でしたし、今も進行形です。多くの「おたく」の人たちも似た状態にあるのではないでしょうか。その問題に真摯に向き合ったのがこの作品だともいえます。そして、作者自身自問自答を繰り返してきました。初めはTVシリーズの最終回。それまでのストーリーや設定をかなぐり捨てて、主人公シンジの自問自答の心理劇に入ります。そこで得られた結論は「ものの見方で全ては変わる」と主人公が気づき「全ての母にさようなら。全ての父にありがとう」というものでした。これは心理療法でいうと「認知療法」に近いものだと思われます。しかし、それでは解決しなかった。その直後庵野氏は、完結編として最初の劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を作ります。この映画はとても病んでいて、最後にシンジがアスカの首を絞め「キモチワルイ」といわれて終わります。ユング心理学者の河合隼雄氏は、日本人には今父殺しではなく母殺しが必要だといいました。その意味でもこの映画はユング的とも見えます。僕はこの映画は、この心理劇の最後にふさわしくこれ以上作品を作らないで欲しいと思っていました。しかし、庵野氏の病はそれでも癒えず「新劇場版」でもう一度「エヴァンゲリオン」を作り直します。最初の方はTV版のリメイクという感じでしたが、段々内容が変わってきました。そして、今回の完結編、様相は一変します。この作品は「いかにして大人になるか」という問いについに答えたともいえる内容です。なぜ、それができたのか。僕は、漫画家安野モヨコさんとの結婚も大きく作用したのではないかと思っています。どちらかといえば「新人類」側に属するモヨコさんと、おたく中のおたく庵野氏の結婚は驚きましたが、変化を与えたのではないかとも思います。
今回の作品は、派手な戦闘シーンで始まりますが、途中で様相が変わります。牧歌的な農村の風景、生活、労働、が描かれます。また、戦闘シーンに戻ると、後は完全な心理劇に入ります。庵野氏の答えは何だったんでしょう。牧歌的な農村、生活、労働、温かい人間関係が人を成長させる。それは、あまりにも楽観的な答えではありますが、一つの真実でもあると思います。そんな中でもアスカの心に突き刺さる言葉が飛び交います。「ガキに必要なのは恋人ではなく母親よ」「生きたくもない死にたくもないからダダをこねてるだけね」これは、僕たちにも突き刺さりますが、庵野氏が観客に投げかけていると同時に、自分自身にも投げかけていると思われます。そして心理劇。今までの作品は、自責的な心理劇が多かったように思いますが、今回の心理劇は少し雰囲気が違いました。今までのは「これじゃダメだ」「いや、これもダメだ」と自分を追い詰めていくような感じでした。しかし、今回のは、答えがあってそこへ向かって進んでいくような感じでした。父親との対決は力対力ではなく、対話だというのは考えさせられました。そして父自身が孤独を愛する理由を、他者が怖いからだと洞察します。ちなみに親に捨てられた子は、愛情を求めるシンジになるか、愛情を拒絶するアスカになるかだと思います。そして、またルソーやジョブズのように自分で子を持つのを怖がる傾向もあると感じていました。それまでニヒルだったゲンドウ自身の自己洞察にも踏み込むのは、すごいと思いました。そして、アスカが旧劇場版のように最後までシンジの愛を拒絶するのではなく、愛されたい欲求を素直に認め、シンジへの愛も認めるのは、今までの庵野氏にはない、素直さでありある種のさわやかさを感じました。でも、結局結ばれないのは少し残念ではありますが、もっと深い部分でつながっているとも感じさせられました。そして、父とも対決し、最愛のアスカとも正面から向き合ったシンジ。最後に「大人」になって終わります。
今までのウジウジしたシンジから大人になったシンジ。ある種「エヴァンゲリオン」らしくない雰囲気の最後でした。そう、だから「さようなら全てのエヴァンゲリオン」なのでしょう。
「大人にならなきゃならない。でもなれない」物語が、最後の最後に「大人」になって終わる。
庵野氏自身が「大人」になったのでしょう。セリフにもあったように、少し寂しさもありますが。人が「大人」になるということは、世界が滅亡するくらい凄いことなんだともいえるかもしれません。
「エヴァンゲリオン」に関する記事はこちらにまとめてあります。
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