2009年9月5日土曜日

いやがらせ


先ず最初にはっきり断っておくが、以下に書く内容には、私が支持する政党、私の所属する学校、家族、親戚、その他、私が個人的に関係のある人や団体、私が好きだと言った個人や団体には一切関係ない。ただ、私個人のみの考えであり、行動であり、その責任の全ては唯一鈴木俊一に帰す。
私は左翼リベラルという政治的立場だが、そのような立場から公共の場で発言したことが何度かある。もちろん、このブログもその一つ。しかし、それより前に不審なことが起こり、今も起こることがある。
2年前に春休みに言っていたイギリスから帰った後、周りに変化があった。始めは暖かく迎えてくれた人たちが急に冷たくなった気がした。インターネットを見ると、先生のページに以前連絡先メールアドレスが書いてあったのが、変わっていたり、学者のページが書いてあったのが、次の瞬間消えていたりした。街なかでも人々の行動が何か不自然で誰かのコントロールされてるような動きをした。これは私以外の人も見てるので証人がいることだが、私が街を歩いていると、人が次々にあらわれ無言でこっちに行進して来て、急にいっせいに方向変えたりする。私は街が何者かに支配され、恐らく私の政治信条に反対するものだろうが、私を攻撃して来たと思った。
私が携帯でメールを書くと、送信される前に,外の街宣車がいっせいに騒ぎだすことがあったので、盗撮されていることはほぼ間違いはない。
街に出ると、街のスピーカーから出る音楽が乱れ始め、私はこれは全部見られてると思って、騒いだら警察がきて、保護され、あたかも段取りが整っているかのように精神科医がきて3、4の質問をして統合失調症と診断が出され、措置入院させられた。それまでは極めておとなしくしてたのに、拘束着を着せられて救急車で運ばれた。
これらにも、何らかの組織の影響があると私は今でも思っている。
病院で最初は保護室っていうのか監禁された状態で、しばらくして普通の病棟に移ったが、閉鎖病棟で外にしばらくは出られなかった。その間も、他の患者や医者の態度が不自然で食事中、入院している間に家や街が変えられているのではないかと心配だった。
4ヶ月経って家に帰ったが、変えられているのが怖く帰って苦しい。朝起きて、食事して薬のみベッドへ、また昼起きて食事して薬飲みベッドへ、そして夕食、終わったら薬のみベッドへ、そして週に一回ぐらい親に車で病院へ連れていってもらうが病院の医者などの態度もおかしい感じがする。
家では、そらからはヘリコプターや飛行機が低空飛行して、毎日轟音を立てていていく。となりの家が30年以上立ってた和風庭のある家が私が帰ったとたん取り壊された。
近所にも迷惑。たばこが唯一の慰め。将来の希望もなく、日本が変えられて来て私以外はだれも逆らえないと感じられた。
昔書いた日記や哲学的メモやアルバムなど取り返しがつかない物がなくなっている(後に出てくるが)。置いた所と全然別の所から関係ない物と混ざって出て来た物などもある。家を変えられたのは事実。私は他の物も変えられるのではないかと心配になった。また、そういう圧力にだれも抵抗できない人ばかりかと、人間不信にもなる。入院中も地獄、退院しても地獄だと始めから思っていたが。
このまま、ベッドの上で寝ていてもしょうがないので、母が紹介してくれて、他の医者も勧めてくれた病院のパンフレットを見たらきれいそうな施設で、ここに行きたいと思って予約を取ってもらった。当日、最低限の生活必需品をを持って、できればその日のうちに入院したいと思って、その病院へ行った。本も散らかってて探すの大変だったが、たまたま見つかった好きな本を鞄に入れる。持って行った本は、見田宗介「自我の起源」真木悠介の筆名の見田の「時間の比較社会学」これらは「社会学入門」の中で自分の人生の二つの課題を解決した。とあったので、以前に買ったけど途中までしか読んでなかったので選んだ、それから臨床心理学者の中で一番好きな河合隼雄さんの、その中でも強い感銘を受けた「影の現象学」、一番感動したエッセイ、五木寛之「大河の一滴」、あとはたまたま近くにあったハイデガー「存在と時間」岩波文庫(中)、私には難解だが20世紀最大の哲学書ということで。そしてもしかしたらこの家自体もこわされるかもしれない、この家にいるのは最後かもしれないという悲壮感で病院に行く。そこで説明受けて、入院されたい方は当日電話して下さいといわれたので今日ではダメですか?と訊いたらいいというので入院する。先ず自分の将来も希望も持てない。それから、私が主張したことがみんな怖くて言えなくなり、社会も私の主張に反する社会に変えられてしまうのではないか。病院にいるので自分の意見を言う手段もない。
病院では、主に患者にいやがらせとしか思えないことを何度もされた。物がなくなったりはしょっちゅう、看護師や医師はさすがに、あからさまにいやがらせはしなかったが。看護師に、隣の家が壊されて、私は自分の家も変えられるのではないかと言い、帰るのが怖いとうったえても、同じ時期に建てかえが続くこともありますからね、といわれる。
恥ずかしいことだが、私は自分のプライドを守るために、世の中を変えられてしまうのは私のエゴかと思い、なんとかそれをやめさせるためにはプライドも捨てる事が必要なのかと思い、抑圧してると思われる人に「逆らってすみません」と紙に書いて家のベッドの上に親に置いてもらった。理論上はそれしか、その時点では考えられなかったからしょうがないと思うが、恐らく、私の生涯で最大の恥辱だ。
いやがらせは、詳しく書くと証拠隠滅される可能性があるので大まかな物しか書けないが、寒い夜に私のベッドからだけ冷風が出て、暑い昼間に私のベッドからだけ温風が出たことがある。看護師も確認している。
そんな中でも、親切に声をかけて下さる看護師さんもいて、ありがたく思った。
blog小説「お母さん」はそのときのことが念頭にあった。始めの病院で実習生で私の担当になった女の子の学生さんが、私が怖い顔してじっとしてるのに、一生懸命声をかけてくれて、この人は嫌がらせする人じゃないと感じてお話しした。「どうして看護師になろうと思ったのですか」ときくと「母が看護師だったので」といった。「何かいい話をして下さい」というと「だれでもコンプレックスってありますよね、わたし笑うと目が細くて線みたいになっちゃってそれがコンプレックスだったんですよ。そのことを母に話したら『それは、仏様の目なんだよ。仏様は人のいい所だけを見て、悪い所は見ないんだよって言われました』」といった。私が「いい話ですね」というと「そういう事がわかる鈴木さんも素敵ですよ」といわれた。これがその小説のヒントになった。
また、二度目の入院で主治医になった、お医者さんも親切にしかも、現実的に答えてくれた方だった。
始めの病院では、昼間もずっと誰かがわざと気にさわるようにしゃべったり、常にいやがらせにさらされ、1時間に1本タバコを吸うだけが慰めだった。そしてまた自室のベッドに横になり苦しいままじっと次の1時間を待つという毎日だった。
当然、自殺も考えたがそうしたらこの出来事を後世に伝えることができないし、世論に反対したら、いやがらせをされ自殺に追い込まれるという、恐怖感をメッセージとして与えてしまうのでそれはやめた。何年かかるかわからないが、こういう事実があった事は公に伝えなければと思っていた。
二つ目の病院に行くとタバコのデザインが変わっていた。やはり、変えられたか、とまた落ち込む。どうすればやめさせられるか考えて、私に対するいやがらせだろうから私が工業製品を見ない環境にいればいいのかなと思って、いなかの自給自足の牧場とか、山寺とかに行く事を真剣に考えてソーシャルワーカー(患者の社会的生活の相談を担当する人)に訴えたりした。床屋も1ヶ月に1度ぐらいくるので、だれも見せる人はいないと思い、丸刈りにしたこともあった。僧侶になれば当然、頭を丸めるので。また僧侶になったらタバコも吸えなくなるかもしれないと思い、タバコもやめた。そうして2年間病院で暮らしたが、あるとき大学院の主査の先生から自筆で丁寧な手紙をいただき、(blog「iPhone」参照)復学を促して下さった。今から考えるとこれも私が田舎に逃げないようにやらされたものかもしれないが、もともと先生のお人柄を知っているのでやはり、ありがたく思った。親も会ったが、父も先生の人柄に感激して信用するようになった。日本を代表するデザイナーであるにもかかわらず病院まで来て直接お話ししてもいいというぐらい気をかけていただいた。たとえ、圧力で書かされた物でも、丁寧に達筆な手書きで手紙を下さったのだから私に対する手紙は、心がこもっていたと思う。私も稚拙ながら便箋と万筆で返事を書いて、車で親に送ってもらってでもいいかなど、いくつか質問を書いて、後に直接お会いすることになった。そこでは、私の要求はほぼ受け入れられ、よかったですねと言って下さった。これも、ウラからの命令があったのかもしれないが、決して嫌々やっているようには見えなかったので、仮に圧力があっても気を使って下さった事はありがたいと思う。
それと、お世話になったのは二つ目の病院の主治医の先生で、最初の病院の主治医は完全に目が死んでてロボットみたいな態度であきらかにコントロールされているようだったが、この主治医の先生は、私の病状を細かく説明して下さって薬の事も説明して下さって、私の意見を聞き入れて薬も変えてくれた。そして、私が毎日のの悩みをメモに書いて診察のときに持って行くと、全て的確に簡潔に答えて下さった。今まで多くの、精神科医、カウンセラーに訴えても一向に治らない「心の中からわき上がってくる衝動」について、苦しいのでどうしたらいいでしょうときくと、先ず,刺激をさけて、あたまをからっぽにして、戦おうと思わない。というアドバイスをいただいて、そうしたら本当に治った。それで、その先生のいう事は信用できると思った。
その先生に復学のための診断書を書いてもらって、ワーカーさんに渡しておくから受け取ってと言われた。そうしたら休みをはさんで、ワーカーさんに言うと、まだもらってないと、ワーカーさんとも主治医とも連絡が取れない、PHSを持っているのに、看護師に言ったら「もうすぐ連絡がつく」とか「明日でいいですか?」とか二転三転する。いやがらせの典型的「待たせてイライラさせるパターン」だった。結局その日の最後に手に入ったのだが郵送はその日にできなかった。これが届かないで復学できなかったらどうするんだ、という不満をレポート用紙5〜6枚に書いて、主治医に見せたら「文書で謝罪する事はできないけど悪かった」「俊一さんもこういう事書くのに勇気が言ったでしょう」「でもちゃんと言ってくれてよかった」「この事で、診察に影響を与える事は一切ありません」といわれた。ちゃんと不満を受け止めてはくれたので、こちらも受け入れた。
ちなみに、私が食堂で書き物をしているときに音楽ならす人がいてまたいやがらせかと思い「ちょっと静かにしてもらえますか?」といったら、やめた。しばらくしてその人にあったら「さっきは、うるさいってちゃんと言ってくれてありがとうね」といわれ,意外な気がした。
考えて見ると、いやがらせをしろと命令されて、自分ではしたくない人は、私がはっきりやめて下さいといえば止める口実にもなるし責任は私(鈴木)にあるのだから、有り難いのかもしれない。
主治医の話にもどるが、一番重要な話だが、本当はことし2009年に戻りたい。学校の規則では休学は2年までだし、学校の先生は特別に1年延ばしてもいいような事もいわれたが不安もある。また、今年は選挙があるので私はブログなどで支持政党を応援してこの異常事態を改善させたいという気もあった。
主治医は「来年なら多分大丈夫だけど今年はどうかな」といわれていた。私は何とか自分でやって行ける所を見せて今年からの復学を望んだ。その頃は許可が出れば外出もできたので、両親と上野の博物館にいったりして、結局は今年の復学は出来た。
そのとき、一つ重要な問題があった。
それは、私が復学したり意見を発表するのを妨害するために第三者に圧力をかけて私にいやがらせをしてくるのではないかという事だった。自分がいやがらせを受けるだけならいいが、他の人に迷惑をかけることになるのではないかという心配だった。わたしをいくら恐がらせようとしても全く変わらないなら、まわりを変えてやれという許しがたい考えだが、今までの奴らのやり方を見てると他人に迷惑をかけることは平気でするので十分あり得る事だ。そこで主治医に相談したら「それは、テロに屈するかどうかというのと同じ問題ですね」といわれた。いかなければ、相手の思うつぼ。恐怖によって人を操る恐怖政治に屈する事になる。確かにそうだ。でも実際人に迷惑がかかってもいいのか?もう一度きいてみた。すると「俊一さんは何も悪いことしてないんだから、どうどうといけばいい。悪いのは向こうなんだから」といわれた。それでもまだ本当に人に迷惑かかったらどうしようと思ってきいてみた。
「もし、僕が行く事で誰かが死ぬとしても行くべきだと思いますか」すると「だって俊一さんは何も悪いことしてないんだから責任を感じる必要はないです」と言われた。これは意外だった。でもやはり納得できずにもう一度きいた。
「もし、僕が行く事で先生が殺されるとしても行くべきですか」というと、迷わず「それでいいです」といわれた。それでも、それでもまだ悩みもう一度きいた。
「もし僕が行く事で僕、鈴木が殺される問しても行くべきでしょうか」というと「行くべきだと思います」といわれた。そこでよく考えるてみた。Aがある思想をもって学校へ行こうとした。Xはそれを妨害しようとしてAにいやがらせをしたが全く変わらない、Aの周りの人にいやがらせをしたがかわらない。Aの親しい人を殺しても、変わらない。A自身を殺しても。心は変わらない。この場合悪いのはだれか、それは疑いようもなく100%Xが悪い。Aは何一つ悪いことはしていない。確かにそうだ。
そこまで言われて決心がついた。自分が死んでもとはっきりと言われ。しかも患者にお前が死んでもと言うのだから、これはすごい覚悟だ。患者に向かって、おまえが死んでもと言える医者は滅多にいないだろう。
そして、退院、復学することになった。
一人では不安なので訪問看護の人と街を歩いた。予想通り大幅に変わっていた。商品のデザインも変わっている物が多かった。事情を知らない人は、何故かいろいろな物のデザインが変わったなと不思議に思うかもしれないが。以上のような事情から考えると、私がデザインを勉強をしているのでデザインでいやがらせをしてやろうと、ウラから圧力をかけた可能性が高いと思う。
しかし、それでびびって学校行かなくなれば圧力に屈したことになるので、その後もいろいろなかなり大掛かりないやがらせを今も受け続けているが、別予定の入った日以外は学校は無遅刻無欠席でいっているし、御覧のようにblogで私の思想信条をはっきりと示している。
私の希望通り、民主党が圧勝したが、こんな無名の学生のblogが貢献したとは言わないが、運良く勇気を持ってやってみると望みがかなうこともある事を知った。
現在続いているいやがらせは数多くあるのだが、一番わかりやすいのが洋服の事だろう、私はデザイナー希望のくせに着るもの疎くていつもTシャツとジーパンだった。しかし職業上ファションも関係あるので勉強のつもりで、いとこなどに、代官山、中目黒、表参道とおしゃれな洋服屋さんに連れていってもらって、ファッション雑誌を買ったりした。
すると、ちょうどその辺りから、周りに派手なあたかも雑誌のスタイリストがついたかのような服装の人が非常に多くなった。普段おしゃれに気を使う人ならわかるが、いままでファッションに気を使わない人まで明らかに服装が変わった。そういうケースがかなり多くあった。私はこれも圧力があったと思っている。あまりにも、私がファッションに興味を持った時期と重なって、しかも普段ファッションに興味のない人が派手な格好をしているケースが相当多くあったので、ちょっと偶然とは思えない。デザインと同じくファッションに興味持ったなら、ファッションでいやがらせしてやろうという意思を強く感じてしまう。それ以外に考えられるでしょうか?偶然がこれだけ多く続くことはあるでしょうか?私は偶然はちょっと考えにくいとおもう。
これから、これらのいやがらせを告発しして、犯人を特定して公正な裁判を受けさせるという本来の目的から言うと、これは必ずしも悪い事ではないと思っている。洋服は着る時はかならず意識してきるので。今は犯人が怖くて言えないだろうが、例えば将来いやがらせの証拠が見つかり、犯人が逮捕され恐怖がなくなれば、どういって着させられたのかは私は知らないが、いやがらせと知ってて来ているにしろ、知らないけど誰かに着てくれと言われて着たにしろ、自発的かそうでないかは本人が必ず、知っているはず。その数が多くなれば、確率的に私の考えに近い人が含まれている可能性が高まる。そうすれば、その人たちが証人になってくれることが期待できるからである。
実際は、いやがらせでやられてると思うと不愉快な気持ちになることはある。恥ずかしい話だが私のようの精神的に弱い人間は「ぶん殴ってやろうか」と思うことすら、正直ある。
しかし、彼らを責めたらどうなるか。彼らは自分の責任を問われるのを恐れて、自分は指示されてないと嘘の弁解をするようになる。そうするとウラの圧力の存在を証明することにずっと時間と手間がかかることになってしまう。だから、私は命令されてやった人(自主的にそれに賛同した人は除く)は責任をとはないようにしようと思う。じっさいこのひとの洋服はわざとらしいなと思った人でも、話してみるといい人もけっこういるし。左翼の私を攻撃する集団だから右翼系の団体かそれに近い団体である可能性が高いから、みんな恐がるのも理解できる。右翼は恐怖やいやがらせによって攻撃してくる団体が多くあるから、時々人も殺すし。何故かというと俺たちは怖いんだぞということを示しておかない人を動かせないから。国会議員でも殺すし、総理大臣でも殺すから。多くの人は、殺されるのは嫌だろうし殺すまでいかなくても社会的に抹殺されるかもしれないから、不本意であっても従うのもしかたないでしょう。
そんな嫌な目にあって、私(鈴木)を恨む人もいるかもしれないが、上述のAとXの例を思い出してもらいたい。悪いのは誰かをよく考えてもらいたい。私も「申し訳ない」と言いそうになる時もあるが、それではテロを肯定してまうので「心苦しい」といいかえるようにしている。
私は公に開かれた、警察や弁護士は活用するし、苦情を言う時ははっきりと言うが、例えば知り合いの政治家に頼んでなんとかしてもらうようなことは一切しないことを言ってお。ですから「私を支持してるから相談にこられたら厄介だな」と言う心配は無用。法律に詳しい人にこういう場合は何法が当てはまるの?など質問をすることはあるかもしれないが、ウラから力を加えることをしたら犯人と同じになってしまうので、そのようなことはしない。
服装が不自然で、あきらかに誰かに(悪意があるにしろないにしろ)言われて着てるなという人に対しては、ムカつくことはあるけど、おこらずに「かわいそうな人だな」と思うようにしようと思う。
この時期に、いやがらせの事を詳しく書いた事情は、政権交代まじかでいやがらせへの批判も生まれるかもしれないという危機感からか、(いやがらせは毎日あるのだが)いやがらせがここ数日かなり露骨で激しくなってきたから。ここで、いやがらせには手を出せないという印象をつけるためだろう。そこで、あせって恐がっていやがらせの事実を隠蔽する方向に走る輩が出ないとも限らないので、どういう経緯でこうなったかを、丁寧に説明し、今、証拠の少ない時点では、すぐに法的手段には訴えないけれど、少しずつそういう方向でいくって、最終的には犯人を公正な裁判にかけるつもりだということを知っておいてもらおうと思ったからである。やってる奴らの焦りも感じるので、ここしばらくは、圧力が強くなって皆さんに苦労をかけるのは心苦しいが、(積極的にいやがらせに参加した人は別にして)皆さんを責めることはしないことを断言しておく。ただ「かわいそうな人たち」だと同情する。
多くの人は殺されるkも知れまいと思うと恐怖を感じると思う。でも、私はこう考える。命は大事だけどそれは「長さ」ではなくて「中身」が大切なのではないか。「どれだけ生きたか」ではなく「如何に生きたか」ということが一番大事なんじゃないか。例えば既存の権力に媚びて、あるいは暴力におびえて自分の生き方を曲げて長生きした人と、自分の生き方を曲げずに若くして殺された人、どちらが良く生きたかといえば後者ではないのかと思う。
イエス・キリスト、ガンジー、ジョン・F・ケネディ、J・レノン、マーチン・ルーサー・キング牧師。平和を訴えて自分を曲げない人は多くは殺される。しかし、これら人々はある種の人たちに大変に尊敬されている。
かんたんな思考実験でわかる。100年後関係者の利害関係が全くなくなったときに人の人生を振り返って、恐怖によって自分を曲げて長生きした人と、自分を曲げずに若くして殺された人どちらの人生に価値があるとあなたならかんじるか。私は、後者の方により高い価値を感じてしまう。もちろんそれは人それぞれの価値観だから押し付けはしないが、私の価値観ではそう感じてしまう。
しかし、本当にいざナイフを持って「殺すぞ」と言われて恐れないかというと、正直、わからない。
中学生ぐらいのとき「自衛隊は憲法に明らかに違反する」思っていたとき夢を見た。戦車がこっちに向かってやってきた。私はいつもは命をかけてでも信念を守るつもりでいたが、砲弾を向けられ怖くなった私はどのような行動をとったかというと、急に笑って相手にとりいって「いや〜そんなに真剣にならないで下さいよ〜」と、笑ってごまかしたのであった。こわかったから。夢から覚めて普段は自分は命をかけても信念を守るとか、かっこいいこと思っていたけど、いざとなると私の理想なんてこんなものかと、自己嫌悪に落ち込んだことがある。だから,命をかけてなんて口で言うのは簡単だけど、本当になったら守るのは難しいのだと痛感させられた。だから、偉そうなことを書いてきたが、私だっていざとなったら寝返って命乞いをする惨めなゴミ野郎かもしれない。正直言って今はわからない。ただ、考えとしては命というのは「長さ」ではなく「質」が大事だと思っている。
ちなみに、本文はちゃんとチェックしたにもかかわらず、返還ミスに見せかけた「誤字」が非常に多く見つかる。私はこれもいやがらせのかのせいがあると思っている。全てのページを毎日チェックできないのでこちらのミスの場合はお詫び申し上げるが、今言ったような場合があることをしっておいてもらいたい。
また、このblogを読んだ人の中には、自分もかかわった人もいるかもしれないし、地方の人などはまさかそんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。
私の持ってる機械が、不自然な動きをすることが多くありそれは、いやがらせの可能性が高いと考えられるものがある。その一例、iPhoneで9月30日に合わせようとしたが出来ない。自然に起こるとは考えにくい。

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