2009年9月21日月曜日

ゴーギャン

19日土曜日に「ゴーギャン展」に行ってきた。30過ぎてから画家になるなんて、われわれ中年には希望を与えてくれる。タヒチはゴーギャンの行った時点ですでにそうとう西欧化していたとあった。ゴーギャンの求めた、「野生」は彼の夢や幻想をたくした部分もあって、実際はタヒチといえども近代とは無縁ではあり得得なかったのかと、すこしさびしい気がした。
私は、大学に入り何か資格が取れればいいと思い、本当は教員資格がとりたかったが、夜間部には当時なくて、あるのが学芸員の資格だけで、しょうがないのでそれを取ろうと実習も全部とってあとはノートを提出するだけだったのだが、ノートをなくしてしまい取れなかった。
一応学芸員の勉強だけはしてきたが、じゃあ絵画を見る目は確かかと言えば、そうとも言い切れない。
例えば、全く何の情報も与えられず、1000万円の絵と1億円の絵を並べられてどっちが1億円かときかれても、多分わからない。その程度の、審美眼だが、ゴーギャンの絵は素朴な感想として、きれいだなと思った。例の「われわれはどこから来て」は、始めて見たときすごくきれいに見えた。いろいろ、細かい絵の解釈が音声ガイドにのってるが、そこまで細かく分析する必要があるのか疑問も感じた。ある程度は必要でも、この人物は何を表しているとか、本当に画家は考えて描いたのかはわからない。意味があるのかもしれない。しかし、それは何か勉強の材料にして絵をつまらなくしてしまう蛇足にもなりうるのではないかとも思う。

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