2009年9月9日水曜日

burden


「敵であれ見方であれ、全ての国々にいいましょう。「自由」が存続し成就するためには、私たちは、いかなる犠牲もいとわず、いかなる重荷ににも耐え、どんな苦しみにも直面し、どんな友人をも助け、どんな敵をも迎え撃ちます。
これこそが、私たちが今誓ったことなのです。」(ケネディ大統領就任演説)
何度も繰り返しますが、私は皆に開かれているサービスは、最大限利用しますが、個人的に知り合ったり、支持したり、利害関係がある人に(専門的なことが分からなくて相談するぐらいのことはありますが)自分の政治運動に無理矢理巻き込むことはしません。私は法的に許される範囲で自分のしたことは全て自分の責任のみによって政治活動を行います。
支持する政党や政治家がいれば支持をし、応援しますが、その活動においても責任は専ら私に属し、私以外のあらゆる個人団体には属しません。
私が、今一番問題にしているのが、おそらく私へのいやがらせのために、まわりの人たちが私がいやがるであろうと犯人が考えることをやらされているということ。
それは、かなり大規模で、個人のみならず団体にも及んでいる模様だ。私個人が不快だということはどうでもいい事だが、私の批判は以下の2つ
1. (もし脅されているなら(そういう人の顔を見ると何かにすごくおびえているかのように見える。従って恐怖を使って命令している可能性はかなり高いと思う))人の自由を恐怖によって奪い、自分の思い通りにしようとしている。これは、個人の自由への抑圧であって、現在の我が国の基本的なルールに全く背いた行為である。従って、具体的な損害が仮に少なくても(多いかもしれないが)これを許すことは出来ない。
2. その理由が、私が左翼的発言をした結果、多くの人に影響を与え自分の影響力が下がるのを防ぐため、私に恐怖を感じさせ、私の言動を変えさせようとか、他の人に恐怖感をあたえ自分に逆らうとこうなるぞ、という見せしめだとすれば。恐怖を使って言論の自由を奪おうということになりこれも、現在のこの国では許せない行為である。
基本的には以上のことを心配しているのだが。私一人の身体で集団に戦うことも出来ないので暴力に対するときには警察と協力して進めて行く。また、明らかな違法行為があった場合は弁護士に相談する。blog「いやがらせ」で書いたことの繰り返しになるが、もちろん警察の方は被害者の見方になってくれるはずだし、もしならなければその警官が職務を果たしていないことになる。だから、ちゃんと警察にいけば解決の努力をするから必ず何かあったらまず警察に連絡ください、と堂々と言える存在になってもらわなければ困る。
私の予想通り、いやがらせは、激しくなってきたが、まあ私は主治医から、他人が死んでも、自分(医者)が死んでも、私(鈴木)が死んでも、自分のいく道を行けと何の躊躇もなく言われたので。その後ずっと考えた結果の今があるので、他人の洋服が変わったからといって何も私自身は変わることはないんだが、それを、いやいややらされている人の気持ちとか、街が悪の手によって変えられていくのとかは嫌な感じを感じてしまう。まだ、人間が出来ていない小人なので。
とにかく、今現在でも利用できる証拠はかなりあるし、まあ警察もはじめは及び腰だろうが、良く工夫しながら警察とも連携してやって行こうと思う。もちろん、すでにいやがらせのことをブログに載せたのだから、警察も政治も圧力がかかっていると思う。そういう圧力に屈しない人は、エリート官僚や政治家でも非常に少ない。まあ、だれであれ間違ったことをした人は公正な裁判にかけるという、あたりまえのことを実行している人を見つけたりして仲間(もちろん本人の意思で私の政治活動に参加する人)を増やし、また(いろいろアイディアはあるが、敵が見ているのでもちろん書かないが)一つ一つ積み重ねていれば、方向さえ間違わなければ、今不可能そうなことでも実現は十分可能だと思う。どういう手を使うかは今は言えないが。まず第一段階だと思っていた、政権交代も現実のものになったし。

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