2009年8月12日水曜日

日本経済新聞


家では、昔から朝日新聞と日本経済新聞をとっている。
日経はお父さんが、朝、会社に持ってくもの。朝日は家で女子供が読むものとなっていた。
父が、会社を定年退職してから、家に日経があるので読むようになった。
私は、以前から朝日にある種の反発を感じていた。だから、日経を読むようになってから朝日は読まない。単純な所では、新聞の下に出ている雑誌の広告が嫌だった。
扇情的で、人を平気で誹謗するような見出し。それによって読者が誘導されてある人を悪人に、ある人をヒーローにする。そういう、大衆心理に阿っている所が嫌だった。もちろん朝日には限らないんだけれど。日経は週刊誌の広告があまりないのでNHK感覚で読める。(朝日その他については後述する)
私は、あるとき父からかなりまとまったお金をもらった。
「遺産として残そうと思って貯めていた金だが、お前はなにかやりたいことがあるようだから、今渡す。浪費すればすぐになくなってしまうから、よくよく考えて使うように」と言われた。母の助言があったようだった。
私はまず貯金をしようと思ったが、その時も今も銀行はほとんど利子はつかない。投資信託とか、外貨預金とかも本を買ってきて少し勉強したが、株は儲かるけれども損をすることもあって恐い。投資信託でプロに運用を任せたとしても、絶対に儲かるという保証はない。安全で利率が高いのは外貨預金だと思ったが、為替リスクがある。しかし5%ぐらいの利子は当時の(今も)日本では魅力的であった。そこで、もらい受けた金の一部を外貨預金にした。確かドルだったと思う。
その時は、いつ為替変動が起こるかビクビクしていて、比較的円高のときに預金をして、いつも為替に注目していた。そして、結局ドルが少し高くなったときに解約してしまった。その為替の差額分だけ、少し儲かったが利子はつくまで待てなかった。いつドルが暴落するか、ということの方がこわかった。
このような経験を通して、日経を読む人の気持ちも少しは、分かった。
日経は、エグゼクティブの人が読んでるから高級紙だと思って、日経読めばエリートだと思っている大学生もいるかもしれないが、私の感想はちょっと違う。
父は、一部上場企業の役員で最後には孫会社の社長になって、今は引退したが、今でもネットで株の動向だけは見ている。
面白いことに、ネットで動向は見るが実際の売買は電話でする。これがネットに対する信頼度、信頼感情の現れとして見ると面白いのだが、今は措く。
日経を見ると、一面に政治の大まかな方向と、後は大企業の合併などの経済の大きなニュース、二面に政治のニュース。後はどの企業が、どういうサービスを始めたとか、決算が赤字だ黒字だというニュースが続く。それから、株を始め金融商品の価格の上下がびっしり続く。最下段には、いわゆるビジネス書、成功の方法が自信たっぷりに著者の写真とともに載っている。あとはラテ欄があり、スポーツは意外と充実している。朝日が大きく扱うような社会問題は、あまり扱われない。最終面に、文化欄が申し訳のように載っているが、これも意外と充実している。私の習った西岡先生の絵画の連載もあった。
こうして見ると、日経がどういう新聞かがだいたい分かってくる。
一言で言うと、金融商品、主に株を持っている人が必要な情報得るために日経を読むというのが、日経の立場だということだ。
ちなみに、父は退職後テレビはニュース以外では、スポーツぐらいしか見ない。いま、リタイアした財界人は昼間イチローのメジャーリーグを見て、週末にゴルフ番組を見る人はけっこう多いのでは?
昔のように、一家そろって巨人戦のナイターを見ながら、サラリーマンのお父さんがビールを飲むという、風景はなくなりつつあるのではないか?
メジャーだけでなく、多チャンネル化の現在はパリーグも見られるし、スポーツの関心も昔(昭和時代)とだいぶ変わってきたのではないか?
また、脇道にそれるが私は、物心ついたときに王選手が756号を打つかどうかで盛り上がっていた時期だった。父が巨人戦のチケットをどこかからかのコネでもらってきて、その日は「ズームイン朝」で756号が出るとコンピュータが予測した日だった。残念ながら、その前に出てしまったが。私にとっては王選手は背番号1で一本足打法で世界記録のホームランを打つ、しかも名前は王様の王。まるで、マンガかアニメから飛び出してくるような存在だった。また、その人柄も礼儀正しく優しいし、少年時代のヒーローだった。もちろん大の巨人ファンで、あこがれてリトルリーグに入ったが、スポーツが苦手な私にはついていけず、また野球界独特のスポ根的雰囲気も好きになれずに1年でやめた。それ以来、野球嫌いになってしまた。しかし、王さんが巨人の監督のころ、巨人が優勝できず王バッシングが起こった。そこで私は自分だけでも少年時代に夢を与えてくれた王さんをまもろうと、王監督を弁護する文章を書いたことがある。高校時代。バースの55号のホームランを敬遠で阻止したとして批判されたが、記録を見ると当時の王選手の方がはるかに多い四死球を受けていて、本塁打率は王選手の方が上だとか、巨人は優勝できなくて批判されいたが当時毎年のように優勝していた西武ライオンズの森監督と成績を比べてみると。レギュラーシーズンの勝率はほとんど変わらない。勝ち星だけ見ればなんと王巨人の方が上回っている、とか。5年以上監督をやって全てAクラスの監督はほとんどいないとか。
巨人が負けると「采配ミス?」とかスポーツ新聞が騒ぐ。テレビでも王さんより若く監督経験もないような解説者までつられて「ここで交代はどうでしょうか?」とかいう。ちなみに、そういう人が監督になってBクラスになって辞めさせられたこはよくあった。ただし、彼らの名誉のためにいっておくが、確かに当時の王監督の采配は、うまいとはいえないと私も思う。不安になると、すぐピッチャーを代えたり、逆に鹿取でいくときめたら、いつでも鹿取をいくとか、苦しいときに修行僧のように苦しい顔をする、これは選手にプレッシャーになると思う。だから、公平に見て、王監督の采配を批判するのはしかたないとしても、私が言いたいのは、もっと下の成績の監督はそんなに批判されないのに王監督だけすごいバッシングをする、これは公平ではないのではないか?ということなのだ。いったん批判されるとみんないっせいにバッシングする。このメディアや大衆心理の危うさを、批判したかった。よくいじめ事件が起こると校長を批判するメディアがあるが「どの口がそれを言うんだ!」と腹立たしく感じる。ちなみに、王バッシングが興ったとき一番厳しかったのは読売系のラジオ日本だった。読売の本音としては王監督を替えたかったのだろう、しかし王の名があまりにも大きすぎて替えらなくて、ちくちくとイヤミをいって追い込む感じがして嫌だった。それから、長嶋さんを持ち出して、長嶋さんの時の方が面白かったとか言う人もいてそれも嫌だった。監督としての成績は王監督と成績は優勝こそしてないが勝率は同じくらいじゃないか?長嶋さんは、いい人だとは思うけど、彼を特別視する言い方をする人がいるが、それはすごく嫌いだ。
そもそも、私は巨人ファンだが、巨人中心主義には大反対で、12球団を全く対等に扱うべきであって、そこで優勝してこそ意味があるので、それを裏で金を出していい選手をとってまで優勝して喜ぶのは真の巨人ファンではないと思っている。
ここでメディアの話にも関係するが、巨人軍元オーナーで、読売新聞社主で、日本テレビの創設者、正力松太郎は自民党員で、日本テレビを反共の砦と考えていたようだ。そして、巨人が優勝、巨人戦の視聴率が上がる、読売の売り上げも上がる、金が入る、いい選手をとれる、巨人がさらに強くなる、こういう循環がある時期まで機能した。
まだ巨人中心だった頃、朝日新聞の調査で見ると、プロ野球ファンの約5割が巨人ファンで残りが他のセリーグのチームのファン、パリーグのチームのファンは極めて少ない。
なぜか?
こたえは簡単で、プロ野球をTVで放送しているのがほぼ全て巨人戦だからである。
そのとき、視聴者が選択する行動は二つ。
一つは巨人ファンになること。
もう一つはアンチ巨人になること。
読売にとっては、巨人ファンであっても、アンチ巨人んであってもTVを見てくれればいいので、この体制はいくら巨人を批判しても変わらない。
この、体制が壊れたの多チャンネル化、いい選手のメジャー流出だろう。
むかしは、どんなに巨人が嫌いでも、巨人戦しか選択肢がなかった。今はメジャーリーグも、パリーグも見られる。
さらに、Jリーグもある。
巨人軍が組織としてもチームとしても完全に野球界の覇権を握り続ける時代は終わりつつあるように思う。
最後に王さんについて一言というと、ダイエー、ソフトバンクで苦労されたが日本一にもなって、WBCで世界一にもなって、選手としても監督としても世界一になられてよかったと思う。ナントカKINGという雑誌の創刊号にガンと戦われている王さんのインタビューが載ってて、買わなかったけど見出しには「可能性だけはいくらでもある」とあって、「王監督魂のメッセージ」とあって、少年時代からのヒーローが、一時は批判されても今でもみんな好きなんだと思って、一貫して王さんを支持してきたものとしては嬉しかった。
メディアの問題にもどれば、このように読売は保守の砦として左傾しがちなメディアを右に向けてきた。巨人軍もその手段の一つとして使われてきた。
TBSは、ラジオ局から始まり提携関係にあるCBSから大きな影響を受けてきた。CBSはアメリカではリベラルで大衆からの信頼も高い。最近亡くなった元CBS Evening News のアンカーマン、ウォルター・クロンカイトは最も信頼できるアメリカ人と言われた。また、マッカーシズムと戦ったエド・マーローにつては映画化された。(「Good Night, and Good Luck」2005)しかし、世の中が右傾化するとブッシュ(子)の従軍問題でクロンカイトの後継者のダン・ラザーは感情的な批判を受けアンカーマン降板する。どちらかというと品のいい左翼リベラルということで、左だけど労働者の代表というような泥臭さはあまりない。毎日新聞との提携はそれほど強くはないのではないか?毎日は朝日ほどは左ではないが、大別すれば左だろう。自身は中道と言っているが。
TBSは70年代まで「民放の雄」と呼ばれ、質的にも高い番組を作り、視聴率も高かった。しかし、80年代に「楽しくなければテレビじゃない」という「軽ルチャー路線」のフジテレビに完全に覇権を奪われる。
最高視聴率50.9%のお化け番組と言われた「8時だョ!全員集合」に真っ向から挑んで、おなじお笑い番組「オレたちひょうきん族」で、勝ったのは評価すべきだろう。しかし、判官びいきの私は、「全員集合」の後番組「加トちゃんケンちゃんごきげんTV」を見ていた。かつてのライバル萩本欽一がゲストのときにはじめて「ひょうきん族」を視聴率で上回ったのは感動的だった。
フジサンケイグループは保守だが、読売が古い保守だとすれば、サンケイは「新保守」である。
かつて、夕刊フジのCM「こんな豪華な市役所が必要でしょうか?行革を強く主張する夕刊フジ」というのがあったが、私は立場は違うが自らの立場を鮮明にしたことは評価すべきだと思う。
私は「軽チャー路線」には問題があると思っているが、しかし、右であれ左であれ立場を鮮明にすることはいい事だと思う。
そして、朝日だがTVで言えば「ニュース・ステーション」とその後継番組の「報道ステーション」。
これらは、明らかに左でありネット右翼から攻撃されるが、私は「左」だから批判されるのではないと思う。私は2ちゃんねるは一度も見たことなく見たいとも思わないが、こういう現象がどうして起こるのかに興味があってwikiで調べたら、彼らは共産党は「硬派」として攻撃しないと書いてあった。左というなら講談社の日刊ゲンダイの方がよっぽど左だろう。しかし、日刊ゲンダイ批判というのは、きいたことがない。
朝日新聞の立場は自らは「国民主義」という。
しかし、これはあまりにもずるい言い方ではないか?
国民と言っても、右から左までいて、時代によっても意見が変わる。結局その時々の主な世論に同調することを認めていることにもなる。(そういう意味では正直とは言えるが)単なる左なら、それは一部からは批判はあるだろうが、信頼する人も多いだろう。ところが、世論の風潮が変わるとすぐにそれに同調する。その、「気の弱さ」それがみながからかいたくなる原因ではないのか。繰り返すが、朝日より左のメディアは多くある、しかしなぜ朝日が特に叩かれるのか。気の弱さと同時に、そのエリート主義である。売り上げでは読売に負けても実際、朝日の読者層は読売より知的レベルが高い。だから、朝日には自分らが日本のオピニオンリーダーだという意識がある。しかし、じゃあ具体的にどういう思想なの?ときいてもはっきりとは答えない。私は社民なら社民とはっきり言えば、こんなに叩かれないと思う。一部の読者を失っても、自分の立場鮮明にすることは極めて重要である。もし、中立だというなら必ずそうしなければならない。いつも世論に迎合してるから、戦争中には戦気抑揚の報道をしておきながら、敗戦後はいつの間にか民主主義の保護者になってしまう。子供権利とかを主張していても、一度世論が子供を攻撃するようになると守るどころかいっしょになって攻撃したりする。
朝日は書籍出版もして、文化活動としてカルチャーセンターを開き私もずいぶんお世話になった。朝日カルチャーセンターで学んだことは、大学で学んだことより多いかもしれない。しかし、このように曖昧で時流に迎合的な報道姿勢は改めてもらいたい。もちろん朝日だけじゃないのだけれども。朝日には先ほどいった自らの意見が日本を代表しているという意識が強くあるので、一見理想的なことを言う朝日は、偉く見えるのだが、それがちょっと風が変わるとすぐに翻ってしまう。そこで左からは裏切り者扱いされ、右からはまだ左だろと叩かれる。だから、一見理想論をいうことには慎重でなければならない。かつて、「東洋経済」社長の石橋湛山は「自分が総理大臣になっても本当にできることだけを書け」といったそうだが。
甘い言葉だけ言ってその時は調子に乗って批判しておきながら流れが変わると簡単に変節してしまう。昔の社会党のような体質を改めるべきだと強く思うが、その体質を作っているのも甘い言葉をもとめる我々国民だということも、肝に銘じておこう。
NHKについて言えば、総合は官僚的だがいくつかの質の高い番組はある。形式的には中立を保つ努力をしている場合が多い。教育TVは、完全にインテリ左翼。私は好きだが公共放送としてはどうなのか、問題はある。BSは総合ではできない実験的番組を多く作っていて、素晴らしいものもあるが、BSの受信料を払えるお金持ちがターゲットなので思想的には時に右寄りな気がする。
そして、また日経にもどるが。日経は株を買うことのできるお金持ちの情報源という役割がある。
したがって、もちろん社会主義には反対だが、単に右というのとも違う。自由主義といっても間違えがはないのだが、その性質上「自由主義」を声高に訴えるというわけでもない。私が外貨預金を少しした経験から言うと投資家は、はっきり言えば右でも左でもいいが正確な情報欲しいのである。
小泉元首相が靖国参拝をしたときに、昭和天皇が靖国参拝に反対していたメモを報道した。
ちなみに、小泉元首相も根っからの自由主義者で靖国に参拝したのはナショナリストへのエクスキューズでありそもそも信仰心などあるのか?全く感じられない。昭和天皇が反対したときけば真のナショナリストなら葛藤するはずなのに、それも全く感じられない。
じゃあそれを報じた日経は左翼かというとそうでもない。アジアでの商売に支障をきたすから、ともいわれるが、そういう面もあるだろうが、社会主義と民族主義的ナショナリズムとも違うスタンスである。単純に右、左といえないところが面白いと思った。というのは民主党が政権を狙う勢いの昨今、保守系メディアは民主のあら探しに必死だが最近の記事を読んでいると、比較的民主に好意的な記事もあるから、民主党サポーターの私としては嬉しいのだが、昔の対立で言えば、民主は左寄り日経は右寄りという言うイメージがあっただけに意外に思い考えてみた。もはや、社会主義を標榜しない野党は、財界とも必ずしも対立せず、場合によっては古いシステムを温存する自民の方が利害対立するのかもしれない。かつての保守革新とは違う対立軸ができつつあることを感じた。
ちなみにTV東京との連携を強めてから、かつてネット局の少ないTV東京は、視聴率を無理矢理稼ぐためにエロ番組とかを放送していて、2流のイメージがあったが、経済番組を多くして逆に高級な局のイメージに変わってきた気がする。
国民的な話題を呼んだ、「新世紀エヴァンゲリオン」も「モーニング娘。」も「ポケモン」もTV東京から生まれ、NHKをはじめ他局からも紹介された。
新党日本代表の田中康夫参議院議員が(彼は左翼リベラルだが)日経を褒めてたことがあるが、日経は何か正義感からそうしているのではなく、日経の目的が「投資家に偏りのない正確な情報を伝える」ことにあるから、他の主義主張の強いメディアが倒れると、しっかりしているように見えるのだと思う。

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