2009年8月17日月曜日

ともだち


里香の日記。
「5月2日
今日、ひさびさにクマ(熊谷)に会った。なんかちょっとCUTiE系になっててびびった!高校まで、でかい黒ブチのメガネかけてたのに・・・。
実践かどっかの女子大いってるらしい。
大学デビューってマジであるんだとミョーに納得。
しかし、親とかどー思ってるんだろう。まぁ本人がそれで幸せなら、私がトヤカクいうすじあいは、ないんだけど・・・。
まだなじんでるとは(悪いけど)思えない。
南口のスタバで1時間くらいしゃべったけど、はじめはいかにも女子大生って、よそおってたけど、そんなツケヤキバは、すぐにはがれる。
べつに、私が進んでるとは思わないけど、けっこう話題になったこととかも知らなかったりする。あんま新聞とかも読まないと、すぐばれちゃうんだな~と思う。
でも、別に私はクマは嫌いじゃない。
素直っていうのか、ムジャキっていうのか、自分がどのへんのラインにいるのかとか、全然気にしてないって感じ。
ホントに人生楽しんでるな~って感じがする。
「お幸せに」って感じかな。
そんな風に人生楽しめたら楽だろうな。
背負わなくてもいいモノまで背負っちゃう性格の私から見れば、ある意味、
うらやましい。
今日も親とケンカした。
クダラナイことで。
牛乳かってきてっていわれたから、コンビニで買って帰ったら、「成分無調整じゃない」とか「コンビニのは高い」とか・・・。
だったら、はじめに言えっちゅーの!
そんなに、アタシは役立たずなの?
別に気にしない子は、気にしないんだろうけど。私はチョー気にする。
それが、欠点でもあり、長所でもあることは自分でもわかってる。
それでも性格ってなかなか変えられない。
そういう風にできてるだろう。人間って。
そんなことを考えに考え、クダラナイと思いつつも、やめられない。
そんな自分って、幸せ?・・・それとも不幸せ?
答えは、たぶん死ぬときに出るのだろう。
それまでは、どうやって生きていけばいいの?
なんて、考えてたら、またぐるぐる回ってもとのところにもどってくる。
結局は、その日その日を生きていくしかないんだ
と思った。
今日はクマに会ったので70点くらいかな。
明日は、何点くらいとれるのかな?
死ぬまでに、一回くらいは、「100点とれる日」がきてほしい。」
尚子の日記
「5月2日
今日は、メチャクチャラッキーだった。(神様ありがとう)
駅でキップ買ってたら、お釣りが出てこなかったので、ボタン押して、駅員さんに出してもらった。そしたら、わたしがおっちょこちょいで、バラバラーって落としてしまった。
超恥ずかしくて、必死に拾い集めたら、女の人が手伝ってくれた。
「どうもすいません」って頭下げたら、ナント高校の同級生の坂井さん!!!
坂井さんとは、1年のとき同じクラスで、同じ班のときもあって、すごい思い出がパーって出てきて。近くのカフェに入って、3時間ぐらい思い出話に花がさいた。学芸会のとき1年はあまり大きなへやを貸してもらえなくて、美術室の一角にうちのクラスの小さいコナーが作られた。そこで私は自分で焼いたお茶わんとか展示した。坂井さんは、展示するものは何でもよかったので、なんなのかよくわからない不思議なオブジェを展示してた。なんか「芸術」って感じで、ああこの人は、あたしなんかとは別世界に生きているんだなっておもって、すごく覚えてる。
坂井さんは高校時代から、すごい大人ぽいっていうか、すごく自分をしっかり持ってるかんじで、あたしなんかすごい子供だなーって思わせることがよくあった。
久々に会ったけど、やっぱり、そういう部分はぜんぜん変わってない。同い年なのにすごいしっかりしてて、彼女を見ると「あたしもがんばらなくっちゃ」って、いつも思わせる。どこがっていわれると困るけどどこか私たちがはなししてても、すごい、あって思わせること言ったりする。なんか、いたいところつかれたってことも何度かあった。
そういう時は、彼女とはなしするのがちょっと怖いときもあった。でも、今日は、なんかお姉さんみたいで、あたしのいうことずっと聞いてくれた。
頭もすごいよかったし、成績もよかったし受験すればけっこういいところに入れたはずなのになに、大学は受けずに自分の文章を書いていく道を選んだみたい。小説かエッセイのいくつかは、10代で出版したらしいってことはどこからか聞いて知ってた。新聞にも出たらしい。今は何をしているんだろう。なんか、あたしばっかりしゃべってて、そういえば彼女のことはあまりきいてなかった。(そーゆーところがあたしが大人になってないところなんだろう)
でも、会えただけでもすごくうれしかった。大学の友達は友達ですごい大事だけど、高校時代の友達って、もっとなんていうか、自分の弱いところもさらけ出せるってところがある。別の意味ですごい大事だと思う。
いろんなこと思い出したし、彼女にインスパイアーされた部分はすごくある。あたしにとってはすごい大事な一日だった。」
里香の日記。
「今日もバイト。
職業は「作家」です、というとみな一応驚く。
現実はといえば、発行部数200冊でも、出版すれば、作家は作家。
べつに偉くもないし、頭よくなきゃなんないわけでもない。
出版社が求めるのは、大体が「若者にうけるもの」「若者の気持ちがわかっている人」だ。
そうなると、ちょうど私程度の文章でも、「若者の気持ちがわかる」っていわれる。
そのときは、もてはやされるが、
今やっている仕事ってのは「女子高生向けファッション雑誌」の編集。
20歳の女なら「若者」の気持ちがわかるだろうって、「ギャル系」の子とかに取材に行かされたりする。
30過ぎた男には、20歳と10代の違いなんてないらしい。
彼らから見たら皆「若い女の子」なのだ。
「ギャル系」の心理なんてこっちはわかるわけないだろ。
自分で取材してみろって言ってみたくもなる。
だけど、いくら本を出してても、こっちはアルバイト。
仕事だから、いわれたことはやる。
こうやって、日本の「会社文化」って出来ていくんだなと思った。
今日は、取材はない。
そのかわり、記事を10ページ書かなきゃならない。
結局、私の仕事って一日パソコンに向かってるだけ。
こんな私に憧れる人もいるみたいだけど、現実を見てもらいたいものだ。
記事を書くには、ある程度集中しなければ書けないけど、ときどき、インターネットで関係ないページを見て、頭を休めてる。
今日、私のいってた学校のホームページを見てたら。20歳で作家。と書いてあるので、またかと思ってよく見ると、私のじゃなかった。同級生の柴崎さんがでてた。彼女も作家になったらしい。
確かに、文学少女で本はよく読んでた。でも、自分が作家になりたかったとは知らなかった。もしかしたら私なんかよりもずっと作家に向いてる人かもしれない。
私なんか、作家とかいいつつも実際、ひとの小説とかは読まない。
ひとつは、その人の影響を受けて、人マネになるのがイヤだから。
もうひとつは、興味ないしメンドクサイから。
記事の下には「彼女は今は行方不明」と書いてあった。
「どこにいくのも自由じゃん」とも思ったけど、すこしは気になった。
夜9時に出した記事に編集長はOKを出さなかった。
また徹夜?
もちろんここはニッポン。
イヤとはいえない。
眠いときって、集中しようと思うと逆に集中できなくなるときがよくあるよね。
記事をまとめるより、何かしらべるフリをしてネットサーフしてた。
柴崎さんのことを思い出して、googlで「柴崎」と入れるが、「きょうこ」ってどんな字だったかなと思う。
いちおう「芝崎恭子」と入れてみる。
150件ヒット。
関係ありそうなページを探すと、彼女ファンの女の子がブログでかなり細かく書いてくれていた。
芝崎さんは、20歳のデビュー作でどっかの新人賞を取ったらしい。
多少でも、対抗意識がうかんでこなかったといったらうそになるだろうが、その後の経緯に興味がいった。
デビュー作のタイトルは「ひかり」。
二作目に「影」というタイトルで連載が決まってたそうだが、その寸前に行方不明になったらしい。
べつに、私には関係ないんだけど。好奇心はそそられる。
でも、今のところ分かっていることはこれだけなので、何ともいえない。
結局、記事を書き上げたのが午前4時。
家に帰って、お風呂に入ってふとんに入った時には夜があけはじめていた。
ちなみ翌日は「いいとも」がはじまるまで寝てて、起きてから、この日記を書いた。」
恭子の日記。
「人生って何だろう」って、よく考えた時期があった。
生まれて、
母親に抱かれ、
家を出て、
働いて、
老いて、
死んでいく。
働くとか、家を出るとかは人によって違うけど。
生まれて、
死んでいくことは、どんな人も同じ・・・。
どんなお金持ちでも、
どんな偉い政治家や学者でも、
どんなすばらしい芸術家でも、
みんな、いつかは必ず
死ぬ。
それなのに、
働いている。
学んでいる。
恋をしている。
誰もが、最後には「必ず」
死ぬのに。
わたしが書くことの意味ってなに?
たとえ、私の書いたもので誰かが癒されることがあっても、
その人も「必ず」
死ぬ。
そして、人のためにと思って書いた私が、そのときは満足しても、その私も「必ず」
死ぬ。
未来永劫の闇に向かって、人はなぜ歩きつづけるの?
死ねば、この世にもどることは永遠にないのに。
全ての人が「必ず」、死ぬのに・・・。
なぜ、あなたは明日へむかって歩いていけるの?
多くの人はそこから目をそらし、ただ目の前のものだけ見つめて歩んでいる。
多くの人は、人が「必ず」死ぬということを見ようとしない。
それでいいの?
いつか「必ず」おとずれる「死」に対したとき、あなたは、なんといえるのですか?
どう、振舞うのですか?
「その時」
「その時」のことを思うと私は、「それ」から眼をそらすことはできない。
「その時」に、わたしに出来ることなどあるのだろうか?
「その時」に私が言えることばはあるのだろうか?
「その時」に眼を向けずに生きていくことは、
わたしには、できない」
尚子の日記
「5月10日
今日は色々ありすぎて、何から書いていいかわからないんだけど・・・。
まず、とにかく、この前の坂井さんに続いて、またも高校時代の友達のことなんだけど、柴崎さんっていう人なんだけど。柴崎さんはすごくおとなしい子で、何ていうか、影が薄いっていうか。いつも独りで本を読んでて、周りの人も柴崎さんがいるのに気づかないときもあったりして、みんなでワイワイ、ナントカだよねーとかいって盛り上がっているときも、全く、ぜんぜん興味示さないで、ずーーーーっと独りで本読んでるような子だった。
その子が坂井さんに続いて、本を出して集英社かなんかの賞をとったらしい。詳しいことはよくわからないんだけど。それで、その子がどうしたかというと、急にいなくなっちゃて、警察も捜しに行ったらしい。そしたら北陸の方の旅館に泊まったのはわかったんだけど、本人はいなくて日記だけが残ってたみたい。それで、その日記を見てみると、警察の人の言うことによると、それが何か「遺書」みたいな日記なんだって。それで親とかすごい心配して、高校生のとき私3年のとき一緒のクラスだったから、そんなに親しくないんだけど、高校時代の友達に全部話し聞いてまわったみたい。警察が。なんか映画みたいとか思ってたけど、今でもちょっと頭、混乱していて変な文章になってるかもしれないけど。とにかく、今月になって二回も高校の友達と関係あることが起こって、しかも両方とも作家だっていうのもすごい確率だと思わない?それはそれですごいんだけど、その柴崎さんが遺書のような、日記を残して失踪するなんてほんとドラマみたい。でも、ほんと大丈夫かな。警察の人は遺書の「ような」日記っていってたから、遺書そのものではないから生きている可能性もあると思うけど・・・。でも、あの子の態度見てるといつもみんなと違うことしてた子だから、わからないよね。あの子のことだからあたしたちが予想もつかないことするかも知れないし。とりあえず、心配。とにかく死なないでほしい。生きていれば絶対いいことはあるんだから。素敵な彼が現れるかもしれないし!そんな親しくなかったけど、とにかく生きていてほしい、ホントのホントの気持ちだから・・・。今日はすぐに眠れそうもない。」
里香の日記。
「5月11日
今日、警察に言った。例の同級生の作家の件である。
失踪して、北陸の旅館に「遺書、兼日記」のようなものが残されていたそうだ。私は3年のときは別のクラスだったのだけど、同じ物書きなので、参考に意見を聞きたいそうだ。
同じ、物書きといってもウチらの文章読んでもらえばすぐにわかるはずだけど、私と彼女とは全く性格が違うから、私にわかるわけないでしょ。
だけど、役人の脳みそは、同じ学校同じ作家何かわかるかもしれないって、単純、一方通行にできているようだ。しかし、まあ命にかかわる問題でワラをもつかむ気持ちで、いろんな人を聴取する気持ちはわかるけど、悪いけど私に聞かれても何もいえません。高校3年間で数回ぐらいしか話したこともないし。
また、私の悪い癖でこの話を記事にしたら売れるかな、とか。小説の題材的にも使えそうじゃんと、思ってしまう。
親御さんの気持ちを考えるとそりゃ同情しますけど・・・。
結局、柴崎さんに向けてポスターを作ることになって、どうゆう風の吹き回しか、そのポスターのコピーを私が書くことになった。
私はコピーライターじゃないんだけど、警察の方々は作家とコピーライターの区別がつかないらしい。
しかし、こうなった以上は何か書かなきゃいけない。私は何か書くときには必ず周辺の取材から始める。
そこで一番始めに思い浮かんだのが、3年のときに柴崎さんのクラスメートだった、この前あったクマだった。
とりあえずクマに電話をしたら、クマも警察に呼ばれたそうだった。
私は、自分の考えをクマに話した。私は基本的に自殺するのは、本人の自由であって、それを止めるほうこそ、おせっかいな話だと思っている。死ぬのにはそれなりの理由があるから死ぬのであって、その理由も知らずに一方的にとめたとしたらそっちのほうが自由の侵害じゃないのか。
そしたら、クマは声のトーンを変えてちょっと感情的になって、反論してきた。どんな理由があっても死んではいけない、一人が死ねばどれだけの人が悲しむかとムキになって主張した。そして生きていれば必ずいいことがある、とアウシュビッツから生還した精神科医の書いた本などを引用して私を説得し始めた。
つっこみどころはいくつもあったが、ケンカをしてもしょうがないので私は黙って聞いていた。
なんやかんやで、私は、クマの意見を参考に2つのコピーを考えた。ひとつは「命はあなただけのもではありません」と、他者の悲しみを使って思いとどまらせようというパターンで、もうひとつは「生きててよかったといえる日までは生きてみよう」と今度は生きることの魅力で引っ張ろうという2パターン作って、2パターンのポスターを作ることになった。
最初の同情引く系は、下手すりゃ押しつけがましいかなと思った。「生きててよかった」パターンも生きてて何にもいいことがないから死ぬんだよ。と、言われたら返すことばがない。
大体、20歳そこそこの人間に言葉だけで自殺を思いとどまらせろ、って方が無理な話でしょう。だったら自分らで書いてみろよ。
私は書くことは書いたが、これで自殺しても責任は負えませんよと、念を押した。」
恭子の日記。
「5月20日
もう、何日がたったろう、日本海に向かった小さな漁村に、数十メートルある断崖の上に、粗末な小屋があって、そこに寝泊りし、しばらく海を眺めときを過ごした。
食料は歩いて20分程のところに、コンビニがある。
お金も、全財産を現金にして持ってきているので大丈夫。
こうして毎日、波が断崖にぶつかる音を聞きながら
答えのない問いを自分自身にぶつけながら
過ごしていた。
普通の人から見れば、贅沢な時間に見えるかもしれない
しかし、その時の私にとっては、そんなことは何の問題でもなかった。
だって、遅かれ、早かれ、人は「必ず」死ぬんだから
生きてる間どう過ごそうが、この大前提、決して変えることのできない大前提の前では
何の意味もなかった。
そう考えると、不思議と今までとは違う感覚に包まれてきた
これは、考えてもみないことだった。
視覚、聴覚、触覚、その他、私の感覚の全てが異様に研ぎ澄まされ、
過剰な敏感さが、わたしにもたらされた。
海の音が、今まではBGMだったのが、波のうねりから岩にぶつかり砕ける瞬間まで手に取るようにわかった。
小屋の外に出ると、風の音、小鳥の鳴き声、遠くの車の音、全部はっきりと判別できた。
そして、田舎の狭い道路も、殺風景な単なる道が、
道路わきに生えた草たち、地元の人が置いた植木鉢、
電線にとまって羽根を休める小鳥たち、
いままでわたしにとってノイズでしかないものが、実はそれぞれに意味があるんだ
という、当然の事実をわたしにおもいださせた
そして、みるもの全てが、生きて何かの役に立とうと一生懸命がんばっていることが見えてきた。
民家の屋根もドアも雨どいも全てそれには役割がある、とわたしに一生懸命語りかけてきた。
わたしにとっては、それは、驚きであった。
しかし、次第にそれは昔から、それこそ太古の昔から、本当は知っていて、
忘れていただけなのだということがわかってきた。
すべてのもの、ひとつの例外もなくありとあらゆるものが、
小さいかもしれないが、なにか語るべきものをもち
必死に語りかけていた。
それを、無視してきたのは、私自身だった。
今まで醜いノイズでしかなかった政治家のポスターまでなにかいとおしく感じられた。
親の地盤を受け継いで、無理やり選挙に出て、選挙中はぺこぺこして大風呂敷を広げといて、当選したとたん「先生」「先生」と呼ばれ喜んでる。人の心より選挙の票がほしいだけの選挙ポスター。今まで最も忌むべきその政治家のポスターの中ににも、本当は自分の夢があっても、党のために無理やり立候補させられた若者の苦悩、党員の不祥事があれば自分に全く罪はなくても頭を下げ続けなければいけない屈辱。本当はもらいたくないけれど慣習上もらわざるを得ない献金。それらの、苦悩の中で一かけらでも世の中を良くしたいという気持ちは持ってるはず、そんな苦悩と葛藤を全て押し殺して表に見せずに微笑んでいる政治家の笑顔にさえいとおしさを感じることができた。
そうなってくると、わたしを囲む全てのものに次々と、語りかけられていることがわかった。
いつも、コンビニへ行く途中。わたしの周りの物たちは、いつもようにわたしに語りかけてきた。その中に、比較的新しいポスターがあった。面白いことに、そのポスターには短い文が書かれてあったのだが、その文字がまるで、スポットライトで照らされたかのように輝いていた。
近づいて、その文字を読むと、「命はあなただけのもではありません」と「生きててよかったといえる日までは生きてみよう」と書かれてあった。
わたしの目頭は急に熱くなり、のどが震えてきて。
あふれ出る涙を止めることはできなかった。
そして、わたしはその場にしゃがみこみ、肩を震わせて泣き続けた。
その後のことは、あまり覚えていない。なにか買って食べたのだろうが記憶にない。
ただ、この日体験したことを、何とか残しておきたいと日記帳を開きペンをとった。」
2009年5月24日

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