2009年8月23日日曜日

彼女


「しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか』と言った。イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはそのその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」
(サマリア人 ユダヤ教に対抗して特別な教派を形成していた、サマリア地方の人々をさす。・・・ユダヤ人はサマリア人を正統信仰から離れたものと見なし交わりを絶っていた。)「ルカによる福音書」
これまでに、会ったことなんてない。
美人なだけじゃない。
彼女に見つめられると、みぞおちのあたりがキューンとなる。
彼女は、ぼくの自意識なんてなんのおかまいもなく、無邪気に笑ってる。
それを、そっと横目で見ているだけで、ぼくは至福の境地に達する。
こんな思いをするなんて、何年ぶりだろう。
高校以来かな?
いや、それ以上だ。
彼女の魅力。どうやって伝えたらいいんだろう。
この気持ちを正確に伝える言葉なんて、
ぼくは持っていない。
いや、誰だって持ってないんじゃないか。
彼女とは同期で入社した。同い年。まだ出会ってから数週間しかたってないのに、なんか幼なじみのような錯覚さえしてしまう。
研修のとき、新入社員が全員イスにすわらされる時、ぼくはいつも彼女のとなりになることを祈る。
他の奴を先にいかせて、彼女ととなりになったら、ぼくは、『運命』だと密かにほくそ笑む。
彼女がボールペンを落とした。ここぞとばかり、サッと拾って渡す。
「はい」
「ありがとう」
顔の表情は変えないが、内心夢心地だ。彼女の手には触れなかったが、彼女と話せた。
そのあと、彼女はぼくにすこし微笑んだ。
僕のことが好きなのか?
自意識過剰もいいところだ。
でも、少なくとも嫌いではないだろう。あの微笑みは、わざとじゃない。自然なものだ。
でも、ぼくだけにするわけじゃない。みんなに微笑むんだろうな。
彼女の気持ちは?
空想が膨らむ。
ぼくが、彼女の心の深いところまで入っていき、彼女の大切な部分を触れさせてくれる。ぼくだけに見せる。ぼくのことが好きだから。
今までそんな風には思ってなかったが、いつの間にかぼくのことを他の人とは違った目で見るようになっていく。
ぼくが彼女を見つめる時の、夢のような切ない気持ち。
彼女もぼくを見るとき同じ気持ちを味わう。
なんて夢想家は嫌いかな?
でも、しょうがない。これがぼくの正直な気持ちなんだから。
そして、彼女の事を想像しているときぼくは幸せな気持ちになる。
だから、笑われるのも恐くない。
だって彼女は特別なんだから。今までの誰に会ったときにも、ここまで幸せな気持ちになった事はない。
ひとってこんなに幸せになれるんだ。初めて知った。
この特別なひとに会って。
研修は新入社員9人で一週間、毎日連続でやる。
この一週間で何度か彼女に近づく瞬間があった。
いつもぼくは、端から見てバレないように慎重に、何気なく彼女の顔を盗み見る。
ある時、真剣な顔で、ひとり立って文章を読まされていた。
その真剣さにも胸にぐっとくるものがある。
読み間違えて、表情と体がくずれ、舌を出して照れ笑いをすると、またキュンとなる。
席は自然になんとなく決まっていくのだが、ぼくは彼女のとなりのとなり。
彼女のすぐとなりだと、平静を保っていられる自信がない。
でも、ときどき二人の間の奴が遅れてくることがある。先生もまだ来ないとき、ぼくはどう振る舞うべきか、パニックになる。もちろん、外には絶対出さないが。
そんなとき彼女が、なんの自意識もなく、当然のように自然に
「遅いねー」
と声をかけてくることがある。天のお恵みと、幸福感を味わいながら、そっけなく
「そうだね」
とこたえる。
暗い奴と思われてるのかな?中川のようにもっと軽く冗談でも言った方がいいのかな?
でも、そっちの方が軽薄な奴って思われる危険性は高い。
ぼくは、彼女と会話ができた事だけで幸せなんだ。
彼女の気持ちってどうなんだろう?
いつも希望的観測で想像して楽しんでいるけど、ほんとのところはどうなんだろう?
ぼくが見る限り、彼女はきわめて自然だ。
見せかけで良い子に見せようとか、逆につっぱって強がってみせようとしてることはない。
ぼくが、勝手に彼女を理想化しているからそう思うだけなのかな?
それを差し引いても、彼女は自然だと思う。他の人にきいてもそういうだろう。
同期の新入社員の男だけで飲みにいった事がある。
ぼくの頭はいつも彼女のことでいっぱいだったけど、他の人はどう思っているのかな?
「彼女?まあ、かわいいけどなんかまだ子供って感じだよね。恋人というより妹って感じかな」
「嫌みがなくて話しやすいよね。友達にしやすい感じだね」
そんなものか?つきあいたいとか思わないのかな?
「う〜ん。もし、向こうからつきあってくださいっていわれれば考えてもいいかな。でも、自分からつきあってくださいっていうかな〜。わかんない」
「でも、いい子だと思うよ。オレならチャンスがあればつきあってもいいよ。悪い子じゃないと思うよ」
「でも、ちょっとガキくさいとこもあるよね。オレはつきあう気はしないな。でもお前は好きなんだろ。だったらつきあえばいいじゃん」
みんな、そこまで覚めてるとこっちも、本音をいいにくくなる。情けないはなしだけど。
『恋は盲目』とは、永遠の真理らしい。
その夜、みなと別れて一人夜の電車に乗って考えた。
「そんなもんか。ぼくがこれほど好きな人でも、他の人から見るとそれほどでもないのかな。ぼくが女を見る目がないのかな」
すこし落ち込んだ。いや、そうとう落ち込んだ。
でも翌日、彼女と朝会うと
「おはよう」
って笑顔でいわれた。
昨日の事はすっとんで、また幸福感に包まれる。
男どもの、酒の席の言葉なんてたいしたものじゃないと、自然に思えた。
やっぱり好きだ。
つきあいたい。
彼女はどう思っているんだろう?
ぼくに対してはいつも明るく接してくれる。
他の人にも同じか?
ほかの女友達とも同じか?
ほかの男にも同じように接するのか?
ぼくだけか?
ぼくはほかの男とちがうのか?
ちがっていてほしい。
ぼくにはほかの男とはちがって接してほしい。すこしでも、平均以上にぼくのことを意識していてほしい。
以前の研修でグループになって討論する時があった。そのとき、ぼくとおなじ組になって手を振って「よかったね」といってくれた。
ほかの男と、全く同じなら「よかった」というはずがない。
今日も彼女の方から「おはよう」といってくれた。全員にはいわないはずだ。
すこしは『気がある』と考える権利はあるのでは?
意識的には、誰に対しても明るいけど、無意識のうちに、ぼくとほかの男とを分けている。
考えすぎか?
いや、違う。
公平に見て、ぼくに見せる笑顔は、本心から出てきている。
なぜわかるかというと、ぼく自身、彼女の事が好きだということがいくら隠してもバレているのがわかるからだ。
そういうものは、当事者には直感的にわかるものだ。
だったら、試してみろっていうのか?
ぼくも試したいと思ってる。
なぜか、フラれるのが全く恐くない。不思議だ。
もう、何か彼女の深いところとつながっている感じがする。
思い上がりだっていうのか?『恋は盲目』っていうのか?
かまわないさ、笑いたい奴は笑えばいい。
そんなくだらないことより、ぼくの彼女に対する気持ちの方がぼくにとってはずっと大事だ。
他人の目なんて関係ない。
ぼくの心に正直に。というよりも、この気持ちはもう誰にも止められないところまで来てしまった。
告白する。
決めた。
しなければ、一生後悔する。
これから配置換えがあるかもしれない。
チャンスは少ないかもしれない。
正直なことを言うと、いままで好きな人に告白したことはなかった。
恋愛をするのも初めてだった。
『片思い』は何度もあったし、今回も勝手に好きになって、空想して終わりだと思っていた。
でもちがった。
社会人になったせいもあるかもしれないが、彼女への恋は押さえきれず、気弱なぼくを大胆な行動に導くまで大きくなっていった。
明日。
告白する。
仕事が終わって彼女が帰るのを見て、ぼくも帰る。
声をかけて、「話したいことがあるんだ」とさそう。
彼女は不安に思うかもしれない。緊張するかもしれない。戸惑ってどう断ろうかとなやむかもしれない。
今までの僕ならここで引き下がってしまっていただろう。
今はちがう。
彼女は、今までの誰ともちがう。
断られたって全然かまわない。傷ついたっていい。
何もいわずに後悔するよりも。
当日。
彼女は最後の仕事を片付けて「お疲れさまです」といって、帰路についた。
それを見て、とっくに自分の仕事を終えているぼくは、さりげなく「お疲れさま」と言って、彼女の後を追う。
何も考えず、無表情で歩いている姿もかわいく見える。後ろからバレないように追て行くぼくは、相当危ない奴に見えるだろう。
駅に着いて改札を通る前、ぼくは声をかけた。
「やあ」
彼女は驚いて、笑顔があふれる。
「あ〜!」
「帰り?」
「うん。帰り。そっちは?」
「ぼくも帰りだけど。どっち方面?」
「新宿」
「じゃあいっしょだ」
「いっしょに帰る?」
「うん」
駅のアナウンスが、電車の到着を告げる。
「あ〜来た。急がないと」
二人で走って急行に乗る。すんぜんでまにあう。
二人で息をつきながら、
「ふ〜よかったね、まにあって」
と顔を見合わせて笑う。
「あのー、ところでさ。今日この後なんか予定あるの?」
「ううん。家に帰るだけ」
「あの、実は相談したいことがあるんだけど・・・」
「相談?」
「あのー、ここじゃ何なんで新宿でちょっと食事しながら、はなしきいてくれない?食事はおごるから」
「いいよ。ワリカンで。店とか知ってんの?」
「うん。もちろん。ちゃんと雑誌で調べてきて。ははは」
「なんだろう?相談って。私に答えられるかしら」
「いや、君じゃなきゃだめなんだ」
「なんか責任重そう」
「いや、そういう意味じゃなくて、その・・・」
「わかってるわよ」
洒落たイタリアンレストラン。
食事を軽く済ませ、今までの研修の話や同期の奴らのうわさ話で盛り上がる。
食後酒が出された。
窓ぎわの席。外には東京の夜景が広がっている。
ぼくにとっては夢のような時間だった。
彼女も楽しそうに見える。
話が核心に入ろうとすると、つい話をそらしてしまって無駄話になってしまう。
「マイケル・ジャクソンが死んだね」
「そう!ねー!驚いた」
「ぼくも意外だった」
「でも、いろいろ薬とか手術とかして・・・。白人になりたかったんじゃないの。それで無理して」
「バカだよな。黒人に生まれたんだから、自分自身を認めなきゃ」
「そうね・・・でも、それってけっこう難しいのかもね」
カクテルをすこし味わい
「そういえば、また北朝鮮がミサイルを撃ったとか」
「そう」
「人の国の人を拉致してかえさなかったり、何考えてんだろうあの国は」
「まあ、色々事情があるんじゃない」
「ぼくが政治家ならまず経済制裁をやって、それでもきかなきゃ力でキムジョンウィルを叩きのめすね」
「ずいぶん勇ましいわね。あ、見て。外の景色。きれいね」
「今日さそったのはさ,あの、あのね・・・」
「あ、東京タワー。見て、すごいライトアップしてる」
「君とつきあいたい・・・」
彼女は、ぼくの顔をまじまじと見た。ぼくは真剣な表情をくずさなかった。
彼女はまた遠くを見て、
「すごいきれい。お酒もまわってきて気持ちよくなってきちゃった。あっちは何かな?六本木ヒルズ?」
「ぼくの気持ちは真剣なんだ。もしイヤならはっきりいってくれよ」
「うふっ、なんかこんないい気分になったなんて、初めて・・・」
「はなしをそらさないでよ。ぼくは君が好きだ。つきあいたい。君の気持ちをきかせてくれ」
彼女はカクテルグラスの中の酒をうれしそうにぼんやりと、眺めながら、
「このまま、この時間が永遠に続けばいいな〜」
「答えてよ。ぼくは真剣なんだから」
彼女は、それでもぼんやりとした表情で薄笑いをしながら、
「にんげんってさ〜できることとできないことがあるんだよね〜」
「きみのためなら、ぼくにできないことはないよ。もし君が会社を辞めろといえば辞めてもいいと思ってる」
「にんげんにはどんなにがんばってもできないことだってあるのよね」
「何か障害になることでもあるのかい?だったら、どんな手段を使ってもそれを取り除いてみせるよ」
「がんばればできるってことばかりじゃないんだよね、よのなかは」
「つきあえない理由があるならいってくれよ。ぼくは全身全霊でそれと戦う」
彼女は何か達観したような表情でほほえんでいた。
ウェーターがきて
「ラストオーダーになりますが」
といった。ぼくは
「今すぐに返事をだせとはいわないよ。でもぼくが真剣だってことだけは覚えておいてくれよ」
「うん。覚えとく」
と微笑んだ。
次の日は日曜だった。ぼくは昨日彼女がハンカチを忘れていったことに気づいた。
ぼくは社員名簿を見て住所を調べ、彼女のうちにとどけてあげようと思った。
googl マップで地図を出し、その地図をたよりに彼女のうちに向かった。
その住所にあったのはパチンコ屋だった。
彼女の実家はパチンコ屋なのか。彼女はそれが恥ずかしくてはっきり答えられなかったのかな?そんなことでぼくの気持ちが変わるわけがないのに。
「ごめんください」
といって、店に入る。人はまばらで店番もいなかったので、そのまま住宅のドアのところまでいって
「ごめんください。だれかいらっしゃいますか?」
といってカギのかかってないドアを開けた。
すると、中から外国語が聞こえてきた。中に入ると日本人ではない熟年の男たちが集まっていた。
彼らはみなぼくを刺すような視線で見ていた。
ぼくはきてはいけないところにきてしまった恐怖を感じた。
「ナニシニキタ?」と一人の男がいった。
ぼくは、
「お嬢さんに忘れ物を届けようと思って・・・」
男たちは、また騒ぎだした。それがハングルであることはすぐにわかった。そして洋服ダンスの上にはキムジョンウィル総書記の写真がかざってあった。
二階から彼女が駆け下りてきた。
いつもの明るさはなかった。
「何しにきたの?」
「これわたそうと思って」
といってハンカチをわたした。
彼女は小声で
「ありがとう」
といって、受けとった。
そして
「おどろいた?私、在日朝鮮人の3世なの。あなたとつきあうのを躊躇したのも、父が日本人とは絶対つきあうなって昔から強くいわれていたから。これでわかったでしょ。あきらめがついた?」
ぼくは何も答えられず、家をでた。
それからぼくは、会社でも彼女と口をきかなくなった。
ある日、彼女からメールがきた。
「このまえは、わざわざハンカチをとどけてくれてありがとう
日本人のあなたにつきあってといわれ、うちの中でさんざん話しあいました。
最後に父がどうしてもつきあいたいなら一つだけ条件を出そうといってくれました。
その条件とは、あなたが朝鮮人民共和国民に帰化することです。
大変難しい条件だと思います。一週間、時間をあげるから、来週の日曜日の午前0時までに返事を下さい。それまでに返事がなかったら、今回のはなしはなかったことにします。
どうか、じっくりと考えて下さい」
ぼくは、言葉を失った。
人種差別なんてテレビか新聞の向こう側のはなしで、自分とは全く関係ないものだと思ってた。
そして、今の世の中の潮流からいって、北朝鮮はいくら悪口を言ってもいいものだと当然のように思ってた。
この一週間は苦悩の日々だった。
電車に乗って女子高生が笑い声を出しているのをきくと、自分が笑われているのかと思い、胸につきささった。
駅の売店や、電車の中で新聞に大きく「北」の文字を見るたびに周りの人すべてがぼくの敵のように思えて耐えられなかった。
食堂で一人食事をしているとき、テレビで「将軍さまー」とお笑いのネタにされているのを見て人たちが笑っていた時は、立ち上がってテレビのスイッチを切った。周りの人はわめきたてたが、そんなことはどうでもいい。
日曜の夜。
まだ、返事は出してない。0時までまだ時間がある。
ぼくは、彼女の前で勇ましく北朝鮮批判を平然としていた自分を思い出した。
そしてメディアが流す北朝鮮批判や北朝鮮を嘲笑するお笑いタレントの顔を思い出し、自分も今までは同類だったなと思った。
そして彼女が「にんげんて、できることとできないことがあるのよね」といったときの、彼女のあきらめにもにた表情を思い出した。
ぼくは、その意味もわからず「きみのためならできないことなんてないよ」と答えた自分の浅はかさを思い知らされた。
愛のために本当に迫害を受ける覚悟があるのか?抽象的な議論ではなく、現実として突きつけられたときどうこたえればいいのか?
時間はどんどんたっていった。
ぼくはベッドの上の携帯を眺めたが、どうしても手が出せなかった。
「にんげんてできることとできないことがあるのよね」
彼女のことばが何度もあたまの中にひびいた。
さらに、時間は流れていく。
後10分。
8分
5分。
ぼくはデスクにすわり、あたまをかかえ髪の毛をかきむしって、苦悩したがどうしても携帯には手を出せない。
3分。
1分。
結局、自分がどれだけ無責任な能天気だってことを思い知らされるだけなのか?
頭を抱え目を閉じて、時計は見ない。
しばらくして時計を見ると0時20分。
ぼくは愛する人より世間体をとった。クズだ。人間のクズだ。
すると、携帯が急になってメールが受信された。
開けてみると彼女からのだった。
「いままで、悩ませてしまってごめんなさい。この一週間苦しかったでしょ?でも、同じ苦しみを一生背負った人が何万人もこの日本にいることだけは忘れないでね。彼らは日本人の中で故国を侮辱されても何もいえず、お追従笑いをして自分の身分を隠しているの。日本人のなにげない一言で傷つくこともたくさんあるの。でも、あなたが悩んだってことは、私を愛する気持ちがあったからだと思うの。そのことはしっかりと胸に刻んでおくわ。これであなたは苦しみから解放されたわ。電話番号もアドレスも全部消去します。これでもうつきあうことはないことになりました。さいごに、たった一週間でも私たちの苦しみをともにしてくれたことに感謝します。ありがとう。さようなら」
ぼくは、惨めな姿でしばらくベッドにひれ伏した。
翌日、彼女はまた明るい笑顔で出社してきた。
そして、自分のデスクについて明るく
「今日もがんばるぞー」
といって机に向かった。
彼女の声にはげまされ、その部屋はぱっと明るくなった。
2009年6月30日

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