2009年8月28日金曜日

画家


ここは、天界。
多くの天使たちが人間たちの生活を眺めたり、たまにちょっかいだしたりして遊んでいた。
そのなかに、こころやさしい天使がいた。
彼は、ある画家の生涯を見ていた。
その画家は、信仰深い真面目な画家であったが、彼の描く絵は斬新すぎて誰にも評価されなかった。それで彼は貧しい生活を余儀なくされていた。
誰にも認められず、彼は精神的にも苦悩をしいられていた。
あるところに、彼の才能を見抜いていた画商がいた。
しかし、その画商は彼が生きてる間はそのことをおくびにも出さず、安いお金で彼の絵を買い取っていた。
その後、画家が死んだ。
それからしばらくして、彼の天才を人々が認めるようになり、彼の絵は何百万ポンドで、売り買いされた。
そして、その画商は巨万の富を築いた。
それを見ていた天使は、その画家があまりにもかわいそうに思い、主にいった。
「主よ、あの画家は信仰もあつく、正しき人です。しかし、人々の無理解のため苦悩に虐げられています。どうか、彼に希望をお与えください」
主はいわれた。
「人間の幸不幸を人間の尺度で見てはならない。しかし、お前がどうしても彼にしてやりたいなら、一つだけ願いを叶えてやろう」
天使はいった。
「ありがとうございます。必ず彼に希望を与えるものを見つけてみせます」
南フランスのある農村。
人々は畑を耕し、種をまき、収穫の時を待っては収穫し、ずっと慎ましやかに暮らしてきた。
春。農夫たちが、耕した畑に種をまいていた。
そこに頭に包帯を巻いた画家がキャンバスとイーゼルを小脇に抱え、小さい椅子と油絵の具と筆を持ってやってきた。
彼は近くの精神病院に入院させられていた。昼間の数時間だけ、外に出て絵を描くことを医者から許されていた。
彼は、一時も表情を緩めず、何か深い思索でもしているかのように、ずっと一点を見つめ歩いてきた。
畑につくと、彼はいつも描いている場所にイーゼルを立てて、描きかけの絵を置いた。
そうして、しばらく彼は立ったまま畑を眺めていた。
農夫は穀物の種を無心に播いている。
その動きは、まるで熟練のダンサーのようによどみなく、力強く、それでいて優雅でさえあった。
画家はしばらくの間じっと農夫の動きに注目していた。
それから、彼は視線を移した。
先ず空を見た。雲がどんよりと広がり、ゆっくり流れていく。灰色の雲は、太陽を隠したり見せたりしていた。
画家はその雲の動きを丹念に観察していた。目を細め、なにか苦しそうに見えるほど、真剣に雲を見ていた。
次には、その下の山々を眺めた。遠くの山なので木々は見えないが、葉の緑と薄い青と流れる雲の影を大まかに見渡した。そして、また雲を見て、今度は畑を見る。
しばらく目を閉じて考え込んで、苦悩の表情が深くなっていった。するといきなり「そうか!」と叫んで、絵の具をパレットに素早く置いていき。そのまま、筆で大胆な線をいくつもいくつも描き重ねて行く。
そのときの画家の表情は誰をもよせつけない、鬼気迫るものであった。
一度、描き始めると何時間でも止まらないかのように、見ては描き、見ては描きの繰り返しをずっと続けていた。
その間、数時間ほとんど休みもとらずに描き続けた。
3時間後、病院の看護人が来て、彼を止めた。彼は一瞬、残念そうな表情になったが、すぐに看護人に従い、絵の具をしまい、病院に帰って行った。
彼のいる病院は、昔の石造りの教会にすこし手を加えて造った簡素なものだった。
彼は、二階の彼の部屋に戻った。そこには、薄い毛布だけがかぶさっているベッドと小さな机と椅子があっただけだった。机の上には、古い聖書と便箋とペンとインクが置いてあった。
絵の道具を壁際の床に置いて、画家は窓から外を眺めた。その窓には鉄格子がついていた。窓から見える病院の中庭はきちんと手入れがされていて、彼の心をほんの僅か慰めた。
彼が中庭に見入っているとき、彼の後ろから物音がした。振り返って見ると、そこには、この世ならぬ美しい少年が立っていた。
画家は特に驚きもせず、また窓の外を見ていた。
「僕がいても、驚かないんですね」
画家は無言で外を見ていた。
「たいていの人は僕の姿を見て腰を抜かすほど驚くんですよ」
「お前は誰だ」
「僕ですか?この世の者ではないとだけ言っておきましょう」
「そうか」
と、画家はまるで動じなかった。
「ところで、あなたは絵を描かれてましたよね」
「そうだ」
「画家なんですか?」
「その通り」
「今までで売れた絵は?」
「高く売れた絵は、一つもない。画商が二束三文で持って行ったのならたくさんある」
「それで随分、ご苦労なさったのですね」
「苦労しない芸術家なんていると思うか。私は金のために描いているのではないのだ」
「では、何のために?」
「自分自身であるために描いているんだ」
「すばらしい!」
「私から絵をとったら何も残らん」
「そこまで真剣に描いていらっしゃるのに、世間にはあまり評価されてないようですが」
「芸術というのは評価するものじゃない」
「では、どういうものなのですか?」
「伝わるか、伝わらないかのどちらかだ」
「では、あなたの絵は、世間にあまり伝わらない?」
「今はそうだ。しかし、いつか伝わる日が来るかもしれない」
「その『いつか』をあなたに見せてあげましょうか?」
「私には興味がない。何度も言うが、私は私のために描いているのだ。伝われば伝わったでいいし、伝わらなければそれでいい」
「しかし、あなたが貧しければ、他にも困る人がいるんじゃないですか?」
画家の表情が一瞬曇った。
「正直に言えば、確かにお前の言う通りだ。弟に随分カネを借りて迷惑をかけている」
「そうでしょう!だったら僕の言うことも聞いて下さい。僕はあなたを助けたいんです」
「なぜ私なんかを助けたいというのだ?」
「あなたは信仰厚く、真面目で正直な方です。それが、世間の冷たい無理解の中で苦しまれているのが見ていられなかったのです。あなたが、如何に評価を受けるべき人間か。私は知っています。だから、それをあなたに伝えたかったんです」
「お前の気持ちはわかった。では、私はどうすればいいのだ?」
「これから私は、一週間だけあるところにお連れします。その間にあなたは、ただひたすら絵を描いて下さい。そうすれば、少なくとも御家族を満足させられるだけのお金は手に入るでしょう。ただし、これから行くところとこの世界ではお金の価値が違います。ですからおカネではなく、金で払われるようにしましょう」
「カネのために描いたことはないが、それで家族が救われるなら引き受けよう」
「ありがとうございます!では僕について来て下さい」
画家は画材をいつものように持って、少年の後を追て行った。
看護人のいない間に病院の出口まできた、不思議なことに鍵は開いていた。
「さあ、こっちです」
少年は画家を森の中に連れて行った。
「どこまで行く気だ?」
「もう少しです。がんばってついてきて下さい」
薄暗い森を歩き続けてしばらくすると、森が開けた。
「さあ、どうです!」
そこには、画家が見たこともない風景が広がっていた。そこは広い公園の一角だったが、その周りには見たこともない、教会の塔の何倍もの高い建物がぎっしり並んでいた。
しかも、ある建物はその表面が全てガラスで出来ていた。他にも彼のいたフランスやオランダでは見たこともないような、幾何学的な直線だけで出来ているような驚くべき建物がそびえていた。
「ここは何処だ?」
「それは言えません。しかし、一週間この街を堪能してください。そして、好きなだけ絵を描いて下さい。あなたの泊まるホテルは予約してあります。ここに地図がありますので、これを見てホテルへ行ってお休みください。僕は会わなければならない人がいますので、明日また会いましょう。驚かれましたか?」
「ああ、驚いたのは間違えない」
「その驚きを、キャンバスにぶつけて下さい。では、僕は行きますので、また明日」
画家は、周りの建物を見渡し、考え込んでしまった。周りの歩く人の服装も、フランスのものとは全く違う。人々が喋っているのが英語だということは理解できた。あの少年は、この不思議な国へ連れてきて、自分に刺激を与えようとしているのはわかってきた。
画家は、ガラスでできた巨大な建物に特に注意を向けた。
「ガラスだけで、建物が造れるものなのか?しかも、驚くほど巨大な建物を。もし、少しでもヒビが入ったらどうするのだろう。それに、どうやってこの巨大なガラスを造ったのだろう。どれだけ巨大な釜が必要か?どうやってあんなに高く、おそらく教会の塔の十倍はあるのではないか、そこまでどうやって運んだんだろう」
画家にはわからないことだらけだった。
ドール財団。エドワード・ドール総裁の部屋。超高層ビルの最上階のフロアー全てが彼のものだった。
大富豪ドール氏が、高級なヨーロッパ調のデスクにすわって、電話をしている。
「では、その取引はまかせた。カネはいくらでも出す。絶対に競合相手にとられるなよ。じゃあ」
と、電話を置いた。ドール氏は少しため息をついて前を見ると、一人の美少年が立っていた。
「はじめまして。ドールさん」
「誰だ!お前は。どうやってここまで来た?」
「そう興奮なさらないで下さいよ。わるい者ではありません。あなたにとって、たいへんお得な、お知らせを持ってきたのです。あなたが最も望む物です」
「わしが欲しい物?わしは欲しい物は何でも手に入れてきた。カネも余るほどあるし、女に不自由したこともない。この前、国から勲章ももらった。これ以上何が欲しいというのだ?」
「そのことは、十分存じております。自動車会社から航空会社まであらゆるビジネスで成功を収め、世界中にお屋敷を持っておられる。さらに、美術の収集家としても名高い。世界中の名画をお集めになってる。そこに飾ってあるのはセザンヌですか?」
「ああ、わしのお気に入りなので飾ってある。もちろん、本物だ。しかし口の悪い者は金持ちの道楽だとか、見せびらかしだとか、どうせ投資のためだろうなどと言う者もいる。しかし、少年よわしは見せびらかしや投資のために美術品を買ったことは一度もない。わしはただ、絵が大好きなだけだ。こうやって見ているだけで心が慰められるんだ。作者の気持ちが伝わってくるんだよ」
「すばらしい!あなたこそこの役にふさわしい。あなたは大金を惜しまず美術品を買い集める」
「作品がすばらしいからだよ。そのためなら、カネなんか惜しんでられない」
「そして、あの名作を3000万ドルでせり落とした」
「あれだけはどうしても欲しかった。欲ではないんだよ。あのすばらしい絵画に触れられる歓び、これは何物にも代え難い」
「あなたは、ただの見せびらかしや投機ではなく、本当に美術を愛していらっしゃる」
「そのとおりだ」
「そして、すばらしい作品には、金に糸目はつけない」
「当然だ」
「そういう人をこそ探していたのです。ぜひあなたに会ってもらいたい人がいます。一週間後、僕が彼を連れてきますから、ぜひ会って下さい。きっとあなたも喜ぶと思いますよ」
「そこまでいわれると、少し興味が出てきたな。会うだけなら会ってもいいぞ」
「ありがとうございます。必ず両者にとって幸せな出会いになるでしょう」
「ところでお前は誰なんだ?」
「いずれまた、お会いする時が来るかもしれません。その時にわかるでしょう。では、僕はこれで失礼します」
といって、少年はいつの間にかいなくなってた。
「どうしたんだ。わしは、夢を見ていたのか?しかし、一週間後って言ってたな。一週間すればわかるだろう」
画家はホテルについた。
カウンターで、チェックインをすませて部屋に案内された。
そこで、四角い何の飾りもない小さな部屋へ入れられ、しばらくすると出された。廊下も一直線で、装飾はほとんどない。こんな建物ははじめてだった。部屋に入ってみるとベッドも四角く装飾もない。画家は思った。
「この国の人は、こんな味気のない建物に住んでいて苦しくないのだろうか」
また、この国は「四角」でできている。そのことが、非常に重要な事だと感じた。
それから三日間、彼はこの街を歩いてまわった。
はじめは、こんな人間味のない街はない、と思っていたが。建物は違っても、服装は違っても人間には共通するものがあることもわかってきた。この街にはたくさんのアフリカ人やアジア人もいる、彼らが貧しい生活をしているのはすぐにわかった。どこの国にも虐げられている人はいるのだという事実を再確認させられた。そして、前から気になっていた、あのガラスの建物は抑圧者なのではないかと直感的に思った。
三日たって、少年があらわれた。
「いかがです?この街、気に入りましたか」
「この国には画家はいるのか?」
「いることはいますけど、あなたとはだいぶ違う人たちですが・・・」
「この国の絵が見たい」
「そうですか。いいでしょう。それが、創作意欲によい刺激になればいいと思いますので」
少年は、画家を現代美術の美術館に連れて行った。
画家は言った。
「これが作品か?」
「みんな同じことを言います」
画家は考えだした。今までの、考え方ではこの国では通用しない。印象派が与えた以上の大きな変革をしなければ、この国の人たちに近づく事は出来ない。
「いかがです?少しは刺激になりましたか?」
「作品を見せるのは、日曜だったな?」
「はい、そうです」
「それまでに、そろえて欲しいものがある」
「わかりました。すぐにそろえましょう」
日曜日。
ドール氏に、画家の作品を見せる日がやってきた。
少年がドール氏の部屋を、画家を連れて訪れた。
「ドールさん、この人は画家です。すばらしい画家である事は私が保証します。どうか一目だけでも見てあげて下さい」
「よし、じゃあ見せてもらおう」
画家はいつもの、真剣でけわしい表情で作品をとりだした。
ドール氏は、息をのんで、見守った。
出てきた作品は、画家がフランスで描いたものとは似ても似つかぬものだった。
縦横100インチの紙にペンで定規をつかって正確に描かれた、1インチ四方の正確な正方形が何百ときれいに並んでいる作品だった。
画家はもうするべき事は済んだという、涼しい表情をしていた。
少年は、心配そうにドール氏の顔をのぞいた。
ドール氏は、非常に困った顔をして、しばらく何も言えなかった。
すると突然笑い出し
「たまにいるんだよ。わしが美術が好きなのを知って売り込んでくる若手の現代美術家と称する奴らが。彼らの作品はだいたいこいうものだ。君の作品はまあ一言でいえばよくあるものだね。アイディアの独創性もあまり感じられないし。まあ、もう少し勉強が必要だろう。よかったら、いい学校を紹介してあげようか?」
あまりの礼を失した発言に画家は言った。
「では、あなたのいうよい作品とはどういうものなのですか?」
「こういう事もあろうかと思って持ってきたよ。わしが3000万ドルで落とした作品だよく見て勉強しろ」
といって、絵にかかっていた布をはがしてその絵を皆に見せた。
そこには、黄色い油絵の具で力強く描かれた燃えるようなひまわりがあった。
「ほら、よく見てごらん。この情熱。力強さ。色。どれも素晴らしい」
画家は近寄って見て言った。
「この、作者は病気だ。心を病んでいる」
「そうだ、作者は病気だ。よくわかったね」
「この作者は、助けを求めている」
「ははは、良く知ってるね。その通りだ」
「それを知ってて、良く鑑賞できますね」
「作者は病気だ。最後はピストル自殺した。それがどうした。わしにとってはそんなことはどうでもいいことだ。これは大きな感動を与えてくれる大事な作品なのだ。それ以上何を望む?」
「あなたは本当にわかってるのですか?この作品を」
「もちろんだ。この絵は昔は誰も目を付けなかった、しかし、わしはこの作品を見てすぐにいくら出してもいいから買おうと思った。賭けてもいいが、もし昔に戻れるなら、この作者に会えたらいくらでも金を出すパトロンになってやるよ」
「あなたは自分が、何を理解してないかを理解してない」
「この程度の作品しか描けなくて偉そうなことを言うな。わしは忙しいので、もう行くぞ」
といって、ドール氏は去って行った。
少年は、なんと声をかけていいのかわからず、ただ立ち尽くしていた。
画家はひまわりの絵の近くに言ってしばらく眺めて、それから自分の造った作品を眺め、隣の部屋へ行った。するとその部屋から銃声が聞こえた。
少年が、あわてて隣の部屋へ行くと、画家はすでに絶命していた。
少年は主がいわれた「人間の幸不幸を人間の尺度で計ってはいけない」という言葉を思い出した。
2009年8月28日

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