2009年8月15日土曜日

おとずれ


 それは、造り上げたものではなかった。
 探しあぐね、やっと見つけたものでもなかった。
 それは、何故かわからないけど、
そのとき、「私」に、訪れたのだった。
「久保田さーん」
若い、女性の薬剤師に呼ばれ、読みかけの週刊誌をおいて、私は席を立った。いそいで背広の上着をかかえ、ポケットから財布をとりだした。
「全部で、1、250円です。袋いれますか?」
「いや、いい・・・いや、やっぱり・・・えーっと」と、薬の袋をポケットに入るか、ためそうと妙にあわてている自分がなにか、恥ずかしく思えて、よけいにあせってしまう。
羞恥心が、徐々に自身をつつんでいく。
「だいじょぶですか」
大の大人が、こんなことであわててる・・・。
自己嫌悪。
「やっぱり袋用意します」
「あ、いや。・・・えーと」
彼女は、ご親切にビニール袋を取りにいってしまった。
 トゥーピースのスーツに、コンビニ袋。自分の姿を想像すると、つばを吐きかけたくなるような、はずかしさに襲われる。
 しかし、まあ、こんなところでカッコつけても・・・と、思えば自然にほほもゆるむ。
「だめです!ちがうんです!」
 10代の前半だろう。この声は。
「阿部さん、ここに書いてあるでしょ、これを2錠と、黄色いのを1錠と・・・」
「ちがうんです・・・それじゃないんです!あしたになったら、たいへんなことになるんです!」
せっぱつまったいい方。
「でもね、ホラ、先生の処方箋にかいてあるでしょ、ここ」
「ちがうんです。それだと誰もたすからないんですよ。もう、時間がないんです」
薬剤師たちは、途方にくれている。
この薬局はいくつかの病院の処方箋をあつかっている。その一つには精神科も、たしかあったはず。
「あのね、阿部さんの病気は、ずっとこのお薬を飲んでいないと悪くなっちゃうのね・・・」
ベテランの薬剤師が出てきて言った。(薬剤師なんてツマンナイ仕事だと思ってたけど、結構たいへんなときもあるんだね)
「早くしないと、きちゃう!!。・・・だから・・・うーんと、えーと」(本気の目をしてる。えんぎじゃないんだ・・・)
「電話かしてください!」
「阿部さん(なだめるように)ちょっとすわりましょうか。お水のむ?」
彼女は、素直にすわって、紙コップで水を飲みはじめた。それも、一生懸命。
わかい薬剤師がいった。
「あら、ごめんなさい。久保田さん1,250円ですから、2,000円でおつりですね」
 薬剤師がおつりを数えている間、私は「阿部さん」をみつめていた。
 彼女は、紙コップの水を飲んでいた。ずっと虚空を見つめて。
私たちの使うおじさん語など、きっと彼女には通じないんだろう。
「少し楽になった?」
「はい、ありがとうございました」
もどったのか?
「だけど、あたし、いかなきゃ」
「どこへ?」
「きちゃうんですよ!きてからじゃ、おそいんです!」
「なにが、きちゃうの?」
「ああ、もういい。知らない!みんなたすからないんですから」
「だから、どうしてたすからないの?何か怖いことあったの?」
「怖いんですよ。こわくないひといますか?」
「何が怖いのか教えてくれる?」
「ああ、もうだめだ!間に合わない。電話貸してください」
「貸すのはいいけど、どこにかけるの?」
「警察です。怖いんだから警察に決まってるでしょ!そんなこともわかんないんですか!」
「そりゃ怖ければ警察っていうのもわかるけど、何がそんなに怖いのかがわからなくてね。教えてくれる?何が怖いの」
「もう、いいです。もうしらないです!わたしは助けられない」
と、薬局を出て行こうとする。
「あ!阿部さん。くすり」
「ああどうもすみません。お金は・・・」
「ああ、阿部さんの場合は自己負担がないからいいのよ。お金は・・・」
「ありがとうございました(私を見て)あ、すいません。お騒がせしてしまいまして・・・」
「いやー、そんなこと、別に・・・」とオジサン語で答えるけれど通じてるのかな?
何か別の波長で生きてるみたいだ。
 会社の帰りのラッシュアワーは、苦でなくなってきた。人間って慣れるものだね。
地下鉄の駅のホームに並ぶ。
次の電車もギューギューだろうけど、感じなくなってきたね。
駅員のアナウンスを聴いてると、なにか頭がクラクラしてきた。
「どうも、すいません」
特徴のある声だからすぐにわかった。
こんな汚れた都会にいるよりも、どこか人里はなれた保養施設かなんかで暮らすほうが、君にとっては幸せなんじゃないかな。と、心の中でひっそりと思う。
「たいへんなんです!皆さん聞いてください」と、いえばいうほど、人々は彼女を避けて、ムシして通り過ぎる。彼女の周りには誰も寄り付かず。彼女の周辺に真空地帯ができている。
彼女の方は、真剣で、どうしても演技には見えない。
「みなさん、お願いです。聴いてください」
別におせっかいな性格でもないけど、たまらなくなって私は彼女に近づいた。
「こんにちは」
「こんにちは。あの、聞いてください。あの大変なんです。おかしいいんです!」
「あー、あのわかった。わかったから。あのさ、ここは人がいっぱいだから上へ行こう」
「でも、本当なんです」
「わかってるよ、だから上でゆっくり聞くよ。ね。だからとにかく、ゆっくり話せるところにまずは行こう。ね」
「ありがとうございます」
 自動販売機で飲み物を買う。
「阿部さんは何がいい?」
「あたし、このイチゴの・・・」と、指をさす。私はコーヒー。少し甘いヤツ。
「昨日、あったんですか?薬局で?すごい。偶然ですね」
「そうだね」
「あ、おいしい」
「昨日もいってたけど、なにがそんなに、大変なんだい?何かこわいものでもみたの?」
「見ました」
「・・・」
私は、すこし背筋がひんやりした。
「な、何を見たの?」
「死体」
「・・・」
「いっぱい」
「し・た・い?」
「はい」
「な、何の?」
「動物の」
「・・・動物の死体・・・」
「はい」
「どこで?」
「うちのちかくで」
「あの、動物っていっても、いろいろあるけど・・・」
「ニワトリの屍骸」
「にわとり・・・」
「はい」
「だれか飼ってたの?」
「はい、うちの隣が養鶏場なんです」
「そこで、ニワトリの死骸をいっぱい見たんだ」
「はい」
「それで、怖くなっちゃったんだ」
「はい、でもそれがすごい量なんです」
「あー。えーと。あのさ。ニワトリって僕ら食べるじゃない。かわいそうだけど。そしたら、どうしてもニワトリをどこかでね、あのー。その。誰かがね。殺さないと、みんなチキンを食べられなくなっちゃうじゃない。ね。だから、それは、かわいそうだけど、僕らが食べるために仕方なく、殺しちゃったってことはないかな・・・」
「違うんです。ニワトリだけじゃなくて、ネコもイヌもすごい量なんです」
「すごい量って、どれくらい何十匹とか?」
「何千匹です」
「・・・」
まともにとるべきか?ちゃんとほんとのことを教えるべきか?彼女を傷つけずにしておくのが一番いいのか?
「君以外でも誰か見たの?」
「だれも、見てません。なぜかっていうと、そこは、私しか知らない秘密の場所だからです。だから、それをみんなに伝えなくっちゃいけないと思って」
隠喩を使えるのは、何歳くらいからだったかな。それとも、われわれオジサンの頭が固くなったからかな。
 学生時代にフロイトなんか読みかじった覚えはあるけど、細かいことは、忘れた。いま、この目の前にいる少女に、どう接するべきか。
 それは、誰のため?彼女の?それとも自分のため?社会の?
「君の言いたいことはよくわかったつもりだよ。でも、この世の中ね、なんの証拠もないと大人の人は信じたくても信じられないとこもあるだよ」
「じゃあ、証拠を見せましょうか?」
「・・・」
ほんとなのか?この子のいってることは?そんなことが数パーセントでもあるのか?自分の頭の常識を切り替えるべきなのか?こっちの方が頭がおかしくなりそうだ。
「で、でも、そこは君にとって秘密の場所なんでしょ?」
「いいんです。久保田さんはちゃんと聞いてくれたし。ジュースもおごってくれたし。それに、何とかしてこのことをみんなに知らせなくっちゃいけないから」
 ほんとに、行く?ありえるのか?どんなオチが待っているのか?
 好奇心はある。恥ずかしながら、ちょっと怖い気も。
 しかし選択肢はなかった。
電車で彼女の家まで行った。
 お母さんと、二人暮らしだが、母親は昼間は働いていて。帰りもおそく、かのっじょはほとんど独りで暮らしてる状態だった。
精神に病を持った子をずっと独りにして。しかし、状況を考えると、母親を責める気にもなれなかった。
「こっちです」と、彼女は家の裏庭の林のほうへ向かった。
 私は好奇心と不安で引き裂かれそうだったが。もう、ひきかえせない。
 彼女についてくしかない。
 何があるのか?ショッキングなものに出会うのか?肩すかしをくらうのか?
 退屈な人生。意外なことが起こるのも悪くはないか。
 林を彼女と一緒に歩きながら、いろいろ考えた。自分のことも、彼女のことも、そして社会のことも。彼女もよくしゃべった。自分が病気になってから出て行ってしまった父のこと。自分には夢があるとも言ってた。でも、中身は教えてくれなかった。
 いつも一人ぼっちで、暇なのでよく裏の林に行くそうだ。
 親は、彼女の健康を心配して、独りで林に行くことは禁止してるそうだが、話し相手もいない、テレビもゲームも、あてがわれたものはすぐに飽きてしまう。こっそり、行ってはいけないところに行くことが、わずかな、楽しみだそうだ。
「ほら、あれ。見て」
 何か毛むくじゃらな物体。確かに動物の死骸のようにも見える。
「あそこも!」
 彼女の指差す先を見ると、はっきりとネコの死骸が5~6匹木の枝にぶらさがっている。
 本当なのか?彼女言ってることは。誰かのいたずらか?何のために?わからない?私の頭が悪いからか?誰が、何のために?・・・思いつかない・・・。
 頭から、だんだん血が引いてきた。
「あれも」
 直径5~6mの穴の中に毛むくじゃらな物体が10~20。確かに動物である。イヌの死骸であることは間違いない。
「ね、ホントでしょ。誰も信じてくれないの」
 わたしは、言葉をうしなっていく。何もいえない。何と言ったらいいのか。何一つ見つからない。
「こっちはもっとひどいの」
 歩いている間もウサギやネズミの死骸はいたるところに見つけることができる。
 「恐怖」という言葉が頭に自然にうかんでくる。そして、それと共に体が硬くこわばってきた。
 彼女は、当然のような顔をして、どんどん林の奥へ進んでいく。
「ほら、ここ」と、彼女は多少自慢げに指差した。
 そこには、直径2~30mの大きな穴の中に正に数千羽のニワトリの死骸が放置されていた。
 私は固い頭をフル回転させて、あらゆる可能性を考えた。
 昔、養鶏場で経営不振で倒産して全てのニワトリを処分した?だったら、なぜイヌやネコを殺す必要があるんだ?
 ペットで飼ってて、かえない人が棄てていくうちに、ペット捨て場になったとか?しかしペットを好きで飼った人がこんなに無惨に棄てるか?養鶏場が破産したならなぜ燃やして処分せずにこんな中途半端な棄て方をするのか?他にも蛇やカエル、虫の大群等、到底人が飼わないようなものも死んでいる。何か新型の病気がはやった?しかし、これらの死骸は明らかに人の手で処分されたものであった。新型の病気なら焼却処分をするだろう。木の枝に死骸をぶら下げる意味もわからない。彼女が人をひきつけるためにわざと仕掛けたにしては規模が大きすぎる。
 彼女が薬局で警察を呼んでくださいと叫んでいたのも、まんざらおかしいともいえない。私だって、できることは警察に通報することぐらいだろう。
 どうやったかもわからないが、こんなことをしてだれに何のメリットがあるのかもわからない。
 最後に私が出した結論は、「世の中には、わからないことがある」というものだった。
言葉を失った私に、彼女は声をかけてくれた。
「ここまで、見にきてくれてありがとう。あたしがどんなに一生懸命訴えても誰も信じてくれなかったの」
「君は今までに、誰に訴えたんだい?」
「お母さんにも、お医者さんにも、薬剤師さんにも、それから町の人にも訴えたけどみんな病気のせいだっていうの。あたしの言葉を少しでも信じてくれたのはあなたが初めて。これで、あたしが嘘つきだって噂をやめさせることができるわ。本当にありがとう」
 私のやったこと?ただ好奇心でついていっただけじゃないか。私のやれること?せいぜい警察に通報することぐらいじゃないか。私が何か感謝されることをしたのか?私だって最初っから信じちゃいなかった。私は何かいいことしたのか?感謝されるべき人間なのか?
 これらの答えはおそらく全てNOだろう。わたしは、彼女に恐る恐るついていっただけだった。
 何の価値も生み出さなかった経験。しかし、私は今までかんじたことのない感情を持った。
 それを損得勘定すれば、すこしはプラスかなとなんとなくは思った。
2009年5月9日

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