2009年8月28日金曜日

幸福


ぼくは何でもない普通の青年。
何も考えず高校に入り、みんなに合わせて何となく勉強して、可もなく不可もない普通の大学に入った。
考えてみれば、自分の将来についてなんて一度も考えたことなんてなかったような気がする。
「青春の苦悩」なんて他の人にはあるのかな。
ぼくは、いくら一生懸命思い出そうとしても、そんな悩みなんて持った記憶がない。
親には勉強しろとは言われたが、そんなにきつくは言われなかった。せいぜい、いい大学を出て、いい会社に入れば、楽な人生を歩けると教わったぐらいだ。
勉強も「中の上」ぐらい。
すごくできるわけでもないけど、めちゃくちゃできないわけでもない。
一年間浪人して、東京の中堅私立大学に入った。
親は喜んでいたけど、賭けで受けた第一志望はあっさり落ちた。
特に嬉しくも、悔しくもなかった。
まあ、ぼくは自分の実力からしてこんなもんかな、と思った。
文学部に入ったのは、うちの大学では一番入りやすかったから。
もちろん「文学」なんて何の興味もない。
だいたい本を読むのが嫌いで、マンガと参考書以外には、一年に数冊、読むか読まないかって感じだ。
政治にも興味はない。テレビなんかで昔の映像を見ると、昔の大学生はデモとか抗議行動をしてたみたいだが、いまそんな大学生はいないだろう。
テレビのトーク番組なんかに出てきた政治家は知ってるけど、総理大臣の名前もフルネームで言えるか自信がない。
恥ずかしいけど、よく「右寄り」だとか「左翼」とかいってるけど、ぼくはよく意味を知らない。
マンガもたまには読むし、「宮崎アニメ」もほとんど見てるけど、べつに「おたく」ってわけでもない。ぼくごときが「おたく」っていったら「おたく」の人たちに失礼だ。
大学での専攻は「日本古代史」。
べつに特に興味があったわけではないけど、教科の中では「日本史」が一番、偏差値が高かったから。それから古代史の先生は成績に甘くて授業にあまり出ないでも単位がもらえるときいたので選んだ。
ぼくら二流の大学では、第一志望を落ちた二流のガリ勉君と、そこそこのところへ入れればラッキーという凡人とに分かれる。
もちろんぼくは後者。
こんな大学入っても真面目に勉強する奴がいるんだ。驚いたことがあった。
ぼくら凡人は、授業に出ずにたまにガリ勉君にノートを見せてもらってコピーする。
しかし先生も始めからぼくらには期待してないのでテストも超あまく、テスト前に問題を教えてくれる。それでも、覚えるのが面倒で一夜漬けになり、試験が終わればさっぱり忘れる。
大学って一体何のためにあるんだろう。勉強もほとんどしてないし、サークルにも入ってたがそこもあまりいかなくなった。バイトもほとんどが短期で、運送屋のような力仕事のときもあれば、「ドトール」のような飲食系もある。少しは、社会勉強になっているのかもしれないけど、だったら大学なんていかなけりゃいいじゃん。
あと、暇なときはパチンコかな。熱くなる性格なので、勝てるまで粘ろうと思って止められず、結局最高で10万負けた。
映画を見たい音楽聞いたりするけど、ぼくの見る映画と言えば「ターミネーター」とか「マトリックス」とか娯楽もの。フランス映画なんかちょっと難しそう。
聴く音楽もJ-POPばかり。洋楽とか聞いてる奴を見るとかっこいいなーと思うけど。ぼくは英語もそんなにできる方じゃないし自分からわざわざ聴こうという気ににはならない。
こんなわけで「類は友を呼ぶ」。ぼくの友達も同じようにとくに特徴のない普通な奴が多い。もちろんその中では細かい違いはあるんだけど、はたからみたら「最近の若者」ってことになるんだろう。
サークルで出会った娘と3ヶ月だけ付き合ったことはあるけど、キスもせずに何となく別れた。彼女は結構アグレッシブな性格だったので、ぼくのあやふやな性格が気に入らかった様だ。
結局、21歳で童貞を捨てたのは「風俗」だった。
サークルの先輩に誘われて断れなくて、と言い訳してるけど自分でもいきたい気持ちはなくはなかった。
後は、エロ本とビデオやDVDで性欲を満たさせてもらっている。
家族は父と母と兄とぼくの4人。
父は中堅保険会社の課長。そんなに金持ちじゃないけど、貧乏ってほどでもない。
兄も無名の自動車整備会社に就職した。すごくもなく、すごく悪くもない。
事程左様に「可もなく不可もなく」これがぼくの人生を現すにはもっとも適切な言葉だろう。
そんな「凡人」のぼくに選択が突きつけられた。
「就活」!
まあ、ぼくとしてはあまり派手でなく、雰囲気のいい働きやすい会社がいいかな、と思っていた。しかし、ぼくの成績ではあまり贅沢は言えない。多少条件を緩めてもそこそこのところに入れればいいが、多少は危機感を持って真剣に臨まないと不況の時代マジで就職浪人になるかも。笑ってられない。よく、ビル・ゲイツは落ちこぼれだったとか言う人もいるけど、そんなのは何万人にひとりの確率だ。宝くじを買った方が確率高いんじゃないか。
会社訪問用のスーツをスーツカンパニーで買ってきた帰りに、ぼくはいつものように駅からiPodで「浜崎あゆみ」を聞きながら歩いていると。奇妙な老人が歩いてきた。
黒いジャケットに黒い山高帽、ボロ切れのようなネクタイをつけてえたその老人は、鋭い視線をぼくに向けていた。
ぼくは気味が悪く、視線をそらして、すぐに通り過ぎようと思った。
とたんに、老人はぼくを呼び止めていった。
「待っていたんだよ」
「誰を?」
「もちろん、君をさ」
「申し訳ありませんが、ぼくはあなとのことは全く知りません。人違いでは?」
「いや人違いではない。わしは君をこそ待っていたんだ。君がわしのことを知らんのもよく知っている。しかし、わしは君のことをよく知っているんだ」
といって、老人はぼくの履歴から家族構成、性格、全て当てていった。
ぼくはさらに気味が悪くなってきた。
「それで何か用事ですか?用があるなら早くいって下さい」
「そう、急かすな青年。君は今、人生で最も重要な選択の時期に来ているね」
「たしかにそうです」
「安易な考えや、世の風潮に合わせて何となく人生を決めていいと思っておるのか?」
ぼくはしばらく考えて答えられなかった。
「人生は一度だ、何となく決めて後で後悔しても二度と取り戻せないんだよ」
「言われる通りだと思います。しかし、それはぼく自身の問題で他の人に言われることではないと思いますが」
「わしは、君にそんな後悔するような人生を歩んでほしくないからこうして君を待っていたんだ」
「お気持ちは有り難いですが、ぼくはぼくで考えて決めますから」
「そう心を閉ざすな。わしは君に後悔しない人生を歩んでいってもらいたいんだ。たまには、人に言えない悩みを話しあうことも悪くはないぞ。君は人生についてどう考えているんだ」
「人生について真剣に考えたことはあまりありません。いままで、普通にくらし、普通に学校に行って学び、そして普通に働ければいいと思ってました」
「それで君は幸せか?」
「幸せかどうかなんて、考えたこともないです。いままで特に幸運に恵まれたこともないし、特別不幸な目にあったこともないです。それが、幸せなことなのか、不幸せなことなのかぼくにはわかりません。でも、そうやって生きてきたんだからそれでいいんじゃないかなとも思ってました。でも、就職を目前にして『ほんとうにこれでいいのか』っていう思いが芽生え始めてきました。なにがいいことなのか。正直言ってぼくにはわからないんです」
「人生の目的はあるのかね?」
「これといった目的は考えたことはありません」
「それで一生の道を選択していいのかね」
「そういわれれば、それはよくないと思います」
「何に価値を置いて、何を捨てるか。それを真剣に考えなければいけない時期に来てるんじゃないか」
「確かにその通りです。でも、その価値観をどうやって手に入れればいいか、ぼくにはわからないんです。あなたは知っているんですか」
「すくなくとも、君に損にならないことは知っている」
「教えてもらえるんでしょうか」
「君が本当に知りたいのならばな」
「教えて下さい!お願いします!」
「君は『幸福』とはどんなものだと思っている?」
「お金に不自由なく、健康で、家族にも友達にも恵まれて・・・」
「それが、君の言う『幸福』か?」
「今のところ」
「よろしい。君に見せてやろう」
その老人は、ぱっと踵を返し反対方向へ向かった。
ぼくは、他に仕様もなくただ彼についていった。
歩いていくと同時に辺りはどんどん暗くなってきた。
「どこへ連れていく気ですか?」
ぼくは不安になり老人に尋ねた。
「いいから黙ってついてこい」
老人は、ぼくの気持ちなど気にもとめずひたすら歩いていった。
20分か30分か歩いたか。
周りは真っ暗闇であった。何も見えない。街灯の明かりも、月の明かりも、光っているものは一つもない。
「ここはどこなんですか?」
「君にいいものを見せてあげよう」
ぼくの不安は恐怖に変わった。彼がこの世の者でなく、ここがこの世のものではないことがだんだんわかってきた。
何の因果か?ぼくに何か恨みでもあるのか?それとも善意なのか?
何のために?彼は誰だ?
あらゆる疑問が、泡のように湧いてくるが、そんなことは無視して話はどんどん進んでいく。
ぼくの目の前に直径60センチぐらいの丸い玉があらあわれ、ぼーっとやわらかな光を放った。中を覗き込むと何か見える。何か動いてる。細かな模型の街を見ているようだ。
よく見ると確かに、人々が動いている。背景には普通の日本の町並みがある。
その玉は、魔法の水晶なのか。まるで映画館で映画を見ているように、いやちがうもっと上から、そうまるで天国から地上を見ている神様のような視点で人々の営みを眺めることが出来た。
気がつくと老人はいなくなっていた。
ぼくは、とりあえずその光の中の人々をずっと眺めていた。
光の世界。
良男という会社員。30代。家は都心から1時間ほどの郊外の住宅地。
小さいけれども1.5坪の庭もある。
妻は5~6歳年下の、まあまあきれいな人。3歳の男の子がいる。
平日の午後。妻は夕飯の下ごしらえをしている。その後、子供の通っている幼稚園に子供を迎えにいく。小さなかわいらしい国産車に乗り込み、運転して幼稚園に行く。
幼稚園に行くと、子供たちはみな、お母さんのお迎えを待っていて落ち着かず、ごちゃごちゃ騒いでいる。子供が彼女を見つけると喜んで走ってくる。
「ママ、ぼく今日ねお店屋さんごっこしたの」
「あら、よかったわね。何屋さんをやったの」
「なんだと思う?」
「えーと、パン屋さん?」
「ちがう、ええとね、あのね、おかしやさん」
「まあすてきね、どんなお菓子かママも食べてみたいわ」
「だけど、今度はお歌をうたうの」
「じゃあ残念だけど、お菓子の代わりにお歌を聴かせてもらおうかしら」
車が自宅に着いた。エンジンを止め、ドアを開けて車から降りる。子供をだっこして降ろしドアを閉めロックをする。
玄関から家に帰ると、子供は安心しきって狭い家を、元気いっぱいに走り回る。
「あんまり急いじゃ、危ないわよ」
子供は自分のおもちゃ箱をひっくり返して、好きなおもちゃを探している。
妻は再びキッチンへいって夕食の料理を始める。
会社。良男きれいに整頓されたデスク。時計を見ると5時。書類を片付け、帰り支度をする。
女子社員が声をかける。
「また、ご家族でお食事ですか」
「ああ」
「奥さん、お幸せですね」
「別に普通のことだよ」
「それが、出来ない男の人が多いんですよ」
「人付き合いが下手なだけさ」
「そんなことないです。わたしこんな旦那さまが欲しいです」
「随分、おだてられちゃったね」
といって帰路につく。
満員電車に揺られて帰路につく良男。
家に帰ると、妻が仕事を止め玄関で出向かえる。子供もやってきて彼に甘える。
夕食時、三人で食卓を囲んで。妻が切り出す。
「この子、今日お店屋さんんごっこをしたんですって」
「そうか、何屋さんになったのかな?」
「おかしやさん!それでねちゃんとケーキとかもつくてね・・・」
「そうか、楽しかったか?」
「うん。またやりたい」
「そりゃよかった」
妻が今度は真面目な顔で切り出す。
「この子のお受験のことなんだけど、やっぱり私立のエスカレーター式の学校に入れたいの。最近の公立は随分乱れてるらしいし。それにエスカレーター式だともう受験勉強をしなくて済むの」
「うん、わかった。多少の金は用意するつもりだ。手伝えるところはいつでも協力するよ」
妻は急に明るく。
「ありがとう、私もがんばるしこの子もがんばるわ」
食卓は幸せそうな笑いに包まれた。
夜ベッドルームで妻が寝てから良男は厚い日記帳を出して何やら書き始めた。相当深刻な表情で1時間ほど書き込んで、布団を被って寝てライトを消した。
翌日、妻と息子に「いってきます」の挨拶をして、会社へ向かう。
駅のホームで電車を待ってるとき、いつもとは表情が違う。特別快速が駅を通過しようとした瞬間、良男はホームから線路に向かって自ら身を投げた。良男の身体は電車に跳ね飛ばされ10メートル先の線路に頭から落ちた。そこに、また電車がぶつかり、身体は押しつぶされた。頭蓋骨骨折等で即死だった。
一報を聞いた妻は、すぐに真実を受け入れられず、取り乱している。
警察が一応自殺の動機を調べるために自宅に来た。そして、自殺の前日に書いた日記を証拠として持っていった。
日記。
「毎日毎日、同じことの繰り返し。優しい妻がいて、かわいい子供もいる。ローンが残っているとはいえ自分の家も建てた。でも、それが幸せなのか?俺がいなくても会社は他の誰かに仕事を渡すだけ。俺じゃなきゃできない仕事なんてなにもない。妻も俺が結婚を断っていれば、別の男と結婚し、同じような生活をして過ごすだけだろう。このままいけば将来、部長クラスまではいくだろう。それがどうした。そんなサラリーマンなら掃いて捨てるほどいる。俺じゃなくったっていいんだ。妻に優しくすれば喜ばれるし、子供におもちゃを買ってやれば喜ぶ。会社の中でも人付き合いをうまくこなせば評価はあがるし、女子社員からはおせじをいわれる。これが「幸せ」ってことなのか?この程度のことのために俺は死ぬまで毎日毎日、同じような仕事を繰り返していくのか?俺は今の生活に「本当の幸せ」を見いだすことはできない。いいようのない虚しさ。何もかも満ち足りて、人から見れば羨ましいいような生活。「お幸せですね」、何度言われたろう。この「お幸せ」の虚しさを埋め合わせることはできない。なぜなら、客観的には全て満たされているのだから。人に相談すれば「それは贅沢ってもんだ」と一笑に付されるだろう。俺はもう、この「幸せ」に疲れた。何かを望んでいるのかと聞かれても答えられない。欲しいものは全て手に入った。その上での虚無感を満たすものなどこの世にはあり得ないと悟ったとき、この「生」は逃れられない地獄になる。生きているのに耐えるのは無理そうだ。他の人には理解できないだろう。俺が死んでもおそらく「仕事と子育てのストレスがたまっていたからでしょう」とか「将来を見て生き甲斐を見失ってしまったからでしょう」とか適当な理由付けをして安心しようとするだろう。俺の本当の「虚しさ」。これを理解する人は同じ「虚しさ」を体験した人たちだけだ。そういう人達はおそらくもうこの世にはいないだろう。この「虚しさ」は、何かで補えられる相対的な「虚しさ」ではない。何を持ってしても埋まることのない「絶対的虚しさ」だからだ。従って解決策は一つしかない。実行するなら早い方がいい。もうこの「恵まれた人生」には疲れきった。」
彼が死んで、光の中の映像は消えていった。
ぼくは、考えた。いままで何の疑いも持たずに描いていた「普通に恵まれた生活」が地獄だと感じる人がいるとは思っても見なかった。
人間って何なんだ?「幸せって」何なんだ?恵まれた生活をしている人が自殺していく。まだぼくには理解できない。彼の言うように「本当の虚しさ」を知っている人だけがわかるのだろう。そしてそれを本当に知ってしまったら、この世で生きていくことが出来なくなってしまう。だったら、そんなもの知らないでいい、知りたくもない。
とにかく、この「人生」って奴は、一筋縄ではいかないらしいということはわかってきた。
じゃあ、どうすればいいのか?「普通の生活」が地獄だとしたら、何を目指せばいいのか?
ぼくはしばらく考えた。いろいろな思考実験を繰り返すうちに、だんだん何が必要か漠然とではあるが像がぼんやりと浮かんできた。そしていった。
「『普通の幸せ』をもとめる人のことはわかった。じゃあ今度は見せてくれ。「自分のやりたいこと」を持っている人の人生を」
しばらくして、光の玉はまた光りだした。そして、その中に人々が生きている世界をまた映し出した。
英二は26歳。
将来の夢はミュージシャン。
一応、大学も出てるけど、どうしても将来の夢を捨てきれず、昼間はバイトで生活費を稼ぎ、週末ライブハウスで演奏している。
時々、大手レコード会社にデモテープを送るが返ってきた試しはなかった。
それでも彼の心は充実していた。自分のやりたいことをやっているという実感が多少の苦労も忘れさせていた。
土曜、いつものようにライブハウスに早めに入ってバンドのメンバーと音合わせをしながら、どうでもいいおしゃべりをする。そんな時間も彼にとっては充実した時間だった。
それからライブが始まり聴衆と一体になる熱い時間。彼は我をも忘れることができた。終わった後の充実感と少しのさびしさの中、諸々の音響器具を整理しながら仲間と感想を言い合う。それも一つの楽しみだった。
自分は普通の人とは違う。そういう自負が彼の自尊心を支えていた。
しかし一方、ふと立ち止まって考えることもあった。
今の生活に満足しているとはいっても、本当の夢はやはりメジャーデビューして世間の人に自分の音楽を聴いてもらうことだった。
26歳といえばデビューできるぎりぎりのとし。このままずっとマイナーなミュージシャンとして暮らすのか。
そもそも俺に才能はあるのか?聴いてくれてる人に訊くと、だいたい「最高だった」とか「感動した」といわれる。それは、本音なのか?お世辞なのか?
俺がもし本物なら、20ぐらいでデビューして、今頃はベテランとして落ち着いた音楽をやってるかもしれない。しかし、メジャーからは一向に声がかからない。ということは、やはりみんなのいってることはお世辞ととるべきか?
あるとき新聞であるメジャーレコード会社が新人発掘のオーディションを大々的にやるという広告を見た。
俺は、バンドの仲間に出てみようと誘った。仲間も結構いい反応を示してくれて応募することになった。
これで落ちたらあきらめよう、メジャーだけが音楽じゃない。レコード会社が何億と宣伝費をかけて100万枚売ったアイドルの曲よりは、俺たちの曲の方がよっぽどマシだと思ってる。別に「負け犬の遠吠え」じゃない。俺は音楽が好きだからやっているんだ。これは本心だ。やるだけやって落ちても仕方ない。覚悟は出来てる。音楽は相性もある。俺たちのやってるようなメロディアスなのが嫌いな人もいる。だから受かるか受からないかは、運次第。落ちても後悔はない。
そうはいっても、何の後ろ盾もない26歳フリーターというのは心細くなることがないと言えば嘘になる。やはり正直、不安はある。しかし、くよくよ悩んでたってしょうがない。なるようになれだ。
オーディションの一次審査の書類とデモテープの審査は通った。ついさっきギターを習い始めたような高校生でも受かってるんだからここで落ちるわけにはいかない。問題は二次審査だ。ここではかなり絞られる。これを通れば最終審査はテレビでも放送される。番組の構成上、魅力のないバンドは上へはいけないだろう。うまいだけじゃなく、嫌らしい話、テレビ受けするバンドでないと通らない。大きな組織に媚びるのは嫌だが、ここまできたらなんとか受かろうと皆も真剣に思い始めてきた。
二次審査は都内の大きめのスタジオで行われた。審査員は、誰でも知っているミュージシャン、レコード会社の制作担当者に、テレビ局の人。
緊張はしたが、もう俺たちは開き直った。やるだけのことはやった。落ちても悔いはない。縁がなかったと思おう。
一週間後、オーディション事務局から封書が届いた。俺はポストから取り出してマンションの自分の部屋に入り荷物を片付け、手を洗って封書を開いた。
「今回の二次審査に合格したことをお知らせいたします。つきましては・・・」
俺は、しばらくベッドに仰向けになった。それから、その日のうちに3どその手紙を読み返して間違いじゃないことを確認した。
その週末、ライブハウスに集まった仲間は、いつもと顔が違っていた。テレビに出るだけで緊張するなんてガキじゃないんだから。と思ったがシチュエーションが人を変えるってことは本当にあるんだ。女は人に見られるときれいになるというが、男だって桁違いの数の人に見られるようになると顔が変わる。いい事か悪い事かわからないが、とにかく変わっていた。
オーディションはリハーサルを含め、2日に渡って、2000人以上収容の大ホールで行われた。舞台裏では素人のバンドがそこら中で何グループも真剣に練習している。異様な緊張感に満ちていた。
本番では、思ったより緊張しなかった。結構思った通りに出来た。めちゃめちゃ緊張してそれを誤摩化そうとさらに墓穴を掘っている若い地方バンドもいたが、俺たちはもう歳だしあまりかっこつけようと思わなかったのがよかったのかもしれない。
グランプリにはさすがに届かなかった。グランプリを取った奴らは、まあこいつらならうけるだろうなと思わせるものがある。
審査員特別賞というのをもらった。
複雑な心境だが、まあいい記念になるかな。
翌週からまたいつものバイト生活。
自分の実力を、ある程度見せつけられ、少しは褒めてもらって少し気が抜けた感じだ。
これを機会に音楽を諦めるかな?とも一瞬思った。だいたい自分らの立ち位置がわかったので、かつての熱い夢は徐々に覚めていくのを感じた。
そんな時、一通の電話が俺のケータイにかかってきた。俺はそのとき、電車に乗っていたので後でかけ直すといって切った。某レコード会社からだった。
家についてかけ直すと、この前のテレビを見ていた別のレコード会社が俺たちの演奏を見ていてくれてメジャーデビューしないかという話だった。こういう縁っていうのもあるんだ。捨てる神あれば拾う神ありだ。この前から冷めていたものが俺の中でまた沸々ともえてきた。そして、すぐにメンバーに電話した。
音楽界で売れるか売れないかは、レコード会社の宣伝費で大体決まる。
じゃあ、努力してもしょうがないのかと言えば、そうではない。レコード会社の担当者やプロデューサーに目を付けてもらう事が必要で、そのための努力はしなければならない。
もちろん運も大きな要素だ。
幸い、俺たちの事をかわいがってくれる担当者に出会えた。彼に有名なプロデューサーを紹介してもらい、会社でもかなりの金をかけて宣伝をしてもらい、テレビ出演も何本かアレンジしてもらった。
結果、デビュー曲は、初登場でオリコンのベストテンに入った。
今、俺は40歳。15年以上ミュージシャンとして芸能界に居続け、その間にミリオンも2回だした。
もちろん街を歩けば、俺を知らない人の方が少ない。月に少なくとも1回はテレビに出てるし、俺の曲がCMソングになったり、ドラマの主題歌になったりした。
若手のミュージシャンも楽屋では必ず挨拶にくる。
「若手の尊敬するミュージシャン」でベスト3に入った事もある。
とにかく、この音楽業界でリスペクトされるような存在になったってことだ。
入ってくる金も、普通のサラリーマンと二桁違う。車もポルシェとBMとメルセデスの3台を使い分けている。
俺の音楽の特徴はメロディーにある。ビートやサウンドにこる奴も多いがそういう奴に限ってメロディーは大した事はない。本当に人のこころに残るのはメロディーなのだがそれをわかってない若手が多い。それを学ぶには、まずとにかく過去の名作を聴く事だ。
よく、若い奴らに俺の音楽論が聴きたいからと、酒に誘われる。いくらなんでも居酒屋じゃあ失礼ということで、高級カフェバーやクラブに誘われる。
それ以外にも、レコード会社、テレビ局のプロデューサー、ディレクター、興行会社からタイアップ会社の宣伝部、酒に誘われては俺の音楽論をぶちまける。おっさん達のいく銀座の高級クラブでは、40歳の俺は最年少の部類に入る。ホステスもテレビで有名な俺と話したがる。街でも、かわいい子を見つけようとしなくても、あっちからよってくる。ナンパなんかしなくても、いくらでも可愛い娘とセックスできる。
結婚は2回した。
1度目は3年続いて子供も出来たが、俺のメチャクチャな生活に追て行けないと、子供を連れて出て行った。今でも子供の養育費を払い続けている。
2度目は、前回の反省から子供は作らなかった。超のつく美人モデルだから結婚したけど、中身までは見てなかった。料理はできないは、部屋は散らかし放題。すこしでも文句を言うとヒステリーを起こす。耐えきれずに3ヶ月で別れた。まあ、セックスの相手ならいくらでもいるから困る事はないんだが。
そんな「甘い生活」を、続けていた俺だが、ある日急に音楽が出てこなくなった。
酒のせいか?女のせいか?
とにかく、いつもギター抱えたり、ピアノの鍵盤の前にすわると自然にあふれてきたメロディーが全く湧いてこない。
天狗になった態度に対する天罰か?
あせった。今だけか?このままずっと出てこないのか?なんで今まであれだけあふれていた音楽が出てこないんだ!
明日までに書かなきゃいけない曲があるんだ。
とりあえず、落ち着こう。
俺は熱い濃いコーヒーを一入れて、リビングのソファにすわってコーヒーを飲んだ。
このまま、音楽が出てこなくなったらどうなるんだろう。もうこんな、威張って偉そうに音楽論を語る事も出来ない。曲が売れなきゃ、マスコミも企業も相手にしてくれない。
収入もなくなり、こんな豪華なマンションに住む事も出来なくなるかもしれない。
しかし、結論を急ぐのはよそう。とりあえず明日の作曲をしなければ。時間が経てば変わるかもしれない。
ピアノの前にすわるが、一向にメロディーが浮かんでこない。それでもなんとか、過去の自分の書いた曲の断片を集めて曲らしくまとめた。
次に自分のニューアルバムをつくらなければならない。あと2ヶ月。それまでに俺のミューズがもどってきてくれるか。その間、いつもメロディーを探していたがどうしても出てこない。たまに、思いついたと思ったら他人の曲だったりして、自分の作品は出てこない。
どうしようもない。売れるかどうかなんて考える時じゃない。とにかく作品として形にしなきゃならない。俺はまた過去の作品の断片から曲を持ってきて、作品らしくまとめて提出した。
数字は正直で、そのアルバムは俺のアルバムの中で最低のセールスを記録した。
俺は、ある先輩のミュージシャンに恥を忍んで相談した。彼は親切な人で、親身になってきいてくれた。
「誰だってスランプの時はあるよ。もちろん俺だってあったよ。どうしても曲が出てこない時が。しかし、それは時間が解決してくれるさ」
少しは慰めにはなったが、しかし、俺の場合はそういうスレンプとはちょっと違う気がした。
俺はことあるごとに、口外しないようにと口止めしながら密かに、いろいろな人に相談した。
口止めしてたのに、何故か噂が広がっていった。
あるとき、あるミュージシャンがたずねてきて交渉を持ちかけてきた。
自分は曲はかけるが、歳をとりすぎてレコード会社が相手にしてくれない。
そこで、自分は曲がかけるからかいて、有名な俺の名で売り出す。それが売れれば、儲けは山分けにしようと。
俺は一瞬良心の呵責を感じたが、まあ悪い取引ではないと、その案に同意した。
3年後、この事がバレて著作権法違反で逮捕され、ワイドショーの格好の餌食になった。
マスコミというのは褒める時はこれでもかというくらいヨイショして、いったん落ちると簡単に手のひらを返し袋だたきにする。マスコミだけじゃないかも、「人間は」と言い換えた方がいいかもしれない。
3ヶ月の服役を終えても、誰も普通の人と思ってくれない。いままで懇意にしてくれた人達も潮を引くように、誰も声をかけなくなった。
当然仕事もない。
女も俺がセックスの対象としてしか考えてこなかったので、心を痛めて助けの手を差し伸べる人なんかいない。
過去の作品の印税が少し入ってくるが、レコード会社が会社のイメージを損なうとして俺の作品の発売を控えるようになった。
車も売って、マンションも小さいものに引っ越して。それでも、レコード会社から訴えられている賠償金は払いきれず。自己破産を申請した。
金がありそうなところには人も物も集まってくるが、一度味噌の付いた人からはどんどん離れていく。
音楽以外に才能がない俺は、毎日酒を飲んで暮らした。テレビも新聞もある事ないこと書き立てて、見る気もしない。
金もない、友達もいない、恋人もいない。こんな人間は誰にも相手にされなくて当然だろう。
今日、区役所に生活保護の申請にいった。これで飢え死にする事はなさそうだ。四畳半のアパートで酒を飲んでは寝ての生活が続いた。
65歳のときに水道料金をずっと滞納していたので水道局の人が警察を連れてやってきた。
周りの人は最近あまり見ないという。警察は大家から合鍵をもらって入るとそこには1ヶ月以上放置されて異臭を放った老人の遺体があった。
ここで水晶玉の光の中の像は終わった。
自分のやりたい事をやって成功しても「幸せ」にはなれないのか?
じゃあどうすりゃいいんだ。人間って物は「幸せ」になる事が出来ない動物なのか?
平凡でもだめ。
やりたい事やってもだめ。
だったら何を目指せばいいの?
何を目指してもだめなの?
ぼくはしばらく絶望の淵を歩んでいた。すると、ふと一つの考えが浮かんできた。
そうだ!だったらこうしよう。「自分は、この世の中で一番幸せです、という人の物語を見せて下さい」
ぼくは、勝ち誇った気分で叫んだ。
するとまた水晶玉に何か映ってきた。
そこに、現れたのは全身包帯を巻いて片目と左手だけがかろうじて動く大けがをした人が苦しみにうめいている姿だった。
「待って下さい。ぼくは一番幸せな人といったんですよ。一番不幸な人ではないですよちゃんと聞いていましたか!」
映像はぼくの言葉などおかまいなくどんどん進んでいった。
病室。
全身包帯を巻いた患者がうめき声を上げて寝ている。
僅かに動く左手をのばし虚空をつかむようにしていた。
巡回の医師が病室をノックして入ってきた。医師は包帯の上から、脈を取り聴診器を当てた。
「変わりなし」というと付き添いの看護師がメモする。
そして、病室を出て行った。
しばらくして、12~3歳の少年が病室に入ってきた。
そして患者の左手を握って
「おじさん。また来たよ元気出して。今日ね学校で合唱コンクールがあったんだ、ぼくもソプラノを歌ったんだ。おじさんのために歌うね。よく聞いててね。
少年は一生懸命、声たからかに歌った。
それは、無機質で清潔だが人の臭いのしない病院の個室に響き渡った。
少年が歌っているとしばらくして、患者は左手をおろしうめき声もなくなった。
そして包帯が播いてない目の周りが赤くなり、ついで涙がじわりと目を潤した。
「おじさんどうだった?小学生にしてはうまくない?ぼく一生懸命練習したんだ」
患者は少しうなり声をあげて、反応した。
「おじさん明日も来るね。元気出してね。バイバイ」と明るく言って少年は病室を出ようとした。するとそこで年配の女性とばったりあった。
女性は
「また、あなたね。うちの父とどういう関係なの?」
「友達です」
「こんなに歳の離れた友達なんて、一体どこで知り合ったの?」
「その前におじさんの生い立ちを教えてくれる?」
「わかったわ。彼は斉藤五郎。昭和3年生まれの80歳。栃木の田舎から出てきて、一代で鉄工所を繁盛させ莫大な富を築いたの。財閥の本家の娘を嫁にもらい親戚関係をつくり政界にも巨額の献金をして大きな影響もっていて。だれも彼には逆らえない影の権力を持っていた人。私はその三女。
そういう次第で彼はいつも取り巻きに守られて誰からも怖れられていたの。私たち三姉妹も父と遊んだ記憶は全くない。いつも父は仕事の事ばかりで家庭のことなんか顧みる事もなかった。母とも政略結婚だったので二人の距離は始めから離れていたわ。
私たち姉妹も、お金で困った事はなかったけど暖かい家庭生活を味わった事はなく、随分寂しい思いをしてきたわ」
「おじさんは、そんなに恐い人だったの?」
「周りの人は、父が来ると皆緊張し、家庭でも私たち娘でさえも父と喋るのは恐かった。だけど父の金と権力を欲しがる人は絶え間なく父を訪れたわ」
「じゃあおじさんは寂しくなかったんだ」
「そんなことはないのよ。彼に近づく人は皆金目当て。本当に心を許しあった友達なんていなかったんじゃないかしら。その証拠に父が大やけどをしてもう余命幾ばくもないとわかったら誰も訪ねてこなくなった。家族の間では財産の相続権争いで裁判沙汰になるし。
そもそもこの火事さえ誰かが父の命を狙って放火した疑いもあるの。父以外家族が誰もいないときにいきなり父の部屋の真下から出火するなんて、きわめて不自然」
「おじさんは、ずっとお金のためだけに付き合ってた人ばかりといたんだ」
「ところであなたはどこで知り合ったの?あなたは父のお金目当てじゃなさそうね」
「ぼくんち貧乏だから、ぼくずっと廃品回収のお手伝いをしてお金をもらってたんだ。そしたら、おじさんが通りかかって「わしも昔は貧乏で苦労したもんだ」って、きつい上り坂の後ろを押してくれたんだ。それで、近頃には珍しい偉い子だって、お小遣いをくれたんだ。でも家に帰っておかさんにその話をしたら。そのお金はちゃんとお返ししなさいって言われて返しにいったら、また偉いって褒められた。だからおじさんがそんな恐い人だってことは知らなかった」
「私も、父にそんな一面があったなんてしらなかったわ」
「それから、うちは母子家庭なんだけど、お母さんが病気で入院するときにお金を出してくれたんだ。だけどお母さんのいいつけで、もらった物は必ずかえしなさいっていわれてるので、いつか必ずかえしますっていったら、おじさんは、君が出世したらもらうよでもその時にはもうわしはこの世にいないかもしれないけどなって笑ってた」
「人生の最後にあなたのような人にあえて父は本当に幸せ者だとおもうわ」
「ぼくは、何もすごい事なんかしてませんよ。ただ母の恩人だから少しでもお礼をしようと思ったけど、うちはお金がないからこんな大した事ないことしか出来なくて・・・」
「それでいいのよ」
「明日は、ぼくが今習ってるフルートを聴かせてあげようと思って・・・あんまり上手じゃないけど」
「ありがとう。父も喜んでいると思うわ」
診察室。
「人間というのは皮膚でも呼吸してまして。皮膚全体の1/3が失われると死ぬと言われています。お父様の場合およそ80パーセントの皮膚がやられていますから、今生きているだけでも不思議なほどです。お気の毒ですが後数日持つか持たないかとお考えください」
次の日。
老人には心電図が取り付けられ親戚一同が集まったところに少年が入ろうとした。
「君、親戚以外は立ち入り禁止だよ」
「いいんです。この子は入れてあげて下さい。お願いします」
三女が叫んだ。
老人は、初めうめき声を上げて左手を動かしていたが、だんだん声もかすれ、左手さえも動かせなくなってきた。周りの親戚からは悲痛なため息が聞こえる。
そのとき少年はフルートを取り出し一生懸命に吹き続けた。もはや、誰も止める者はいなかった。
少年は何度も失敗しては繰り返し繰り返し吹き続けた。
「先生、心拍数がっ下がってきました」
若い医者がいった。
少年は吹き続けた。
再び老人の目には涙がたまった。
そしてその数秒後、心電図の脈は止まった。
少年はフルートを吹き続けたが、三女がいってそっと止めた。
「おじさん死んじゃったの?」
三女は何も答えられなかった。
「いつか入院費をおかえしします。覚えておいて下さい」
「忘れないわ」
そこで映像は終わった。
一番幸せな人。その意味が少しずつぼくにもわかってきたような気がした。
それは、ぼくが今まで使っていたモノサシと全然違うモノサシが必要なんだと思った。
そのモノサシをぼくは持っているか?
持っていないかもしれない。
そのモノサシを探す事が実は「人生」何じゃないかと思った。
どれぐらい時が流れたか見当もつかない。周りはいつの間にか見慣れた夜の住宅地になっていた。
老人に何か重い宿題を出されたような気分だ。でも、それを今考える事が出来てよかったと思った。
それまでのぼくと、今のぼくは僅かだけどとても重要な点で変わった。
2009年8月28日

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