2009年12月30日水曜日

自己


ここに一つの精神科クリニックがある。
そこに一人の患者が訪れた。
彼は意識はしっかりしているが、統合失調症特有のまどろんだ視線は明らかに精神の病をうかがわせる。
クリニックの受付の女性はもう慣れているので、患者との適切な距離をとりながら応対する。
初診なので、診察までに所定の用紙に必要な情報を書くように勧められ、彼はゆっくりと長椅子にすわって、受付から受け取ったボールペンで書き始めた。
書き終わり受付に前の病院でもらった紹介状と一緒に紙を渡すと、時間まで彼は長椅子にすわってじっと虚空を見上げていた。彼の視線の先には、やや大きめの何の飾りもない時計があり、その秒針が動くのを彼はじっと見続けていた。

時間が来て、診察室に呼ばれた。

医師は、先に記入された用紙を見て情報を入れると同時に患者を見て、病状を判断する。
同時に、患者は患者でこの医師がどの程度信用できるかの値踏みをする。

「昭和45年生まれ、39歳。今は誰と暮らしているの?」
「両親とです」
「お父さん、お母さんと」
「はい」
「ご兄弟は?」
「姉が2人いましたが、一人は僕が小学生のときに病気で亡くなりました」
「何の病気?」
「癌です。子宮癌かなんか・・・ちょっと詳しくはわからないんですけ・・・」
「もう一人のお姉さんは?」
「結婚しましたが、離婚してうちの近くに住んでいます。子供2人と」
「歳はいくつ離れているの?」
「上の姉とは14、下の姉とは7つです」
「ずいぶん離れてるね」
「は、はあ・・・」
「職業は・・・大学院生・・・多摩美術大学。タマビだ」
「はい」
「何ならってるの?」
「えーデザインです」
「ふーん。どんなデザイン」
「えーと、コミュニケーションデザインていって・・・」
「どんなことするの?」
「えー、あの口で言うのは難しいんですが、グラフィックデザインみたいな・・・」
「今は何をデザインしてるの?」
「えーと。コンピュータのインターフェースです」
「コンピュータのデザイン?」
「えーと、その、インタフェースっていって、コンピュータの画面とかってお年寄りとかには難しいと思ったので、もっと使いやすいインターフェースをデザインしようと思いました」
「ああ、それはいいよね。確かにコンピュータは使い方は難しいよね」
「はい」
「今は大学にはいってるの」
「はい、一応今年の4月から復学して。それまで2年間入院していたんで休学してました」
「今なんか、辛いところとかある?」
「時々、なんか落ち着かないような、内側から衝動が沸き上がるような辛さがあります」
「衝動って、どんな衝動」
「えーと、口で言うのは難しいんですが、何か内側からせかされるような・・・」
「内側ってどのへん?」
「だいたい胃のあたり」
「ふーん。それは、いつもなの?ない時もあるの?」
「あるときと、ないときがあるんです」
「今は?」
「今は、ないです。昔はひどくてすごい辛かったんですけど、最近は段々減ってきた感じ・・・」
「ふーん。衝動ね」
「はあ」

医者は彼をとおまきに眺めた。紹介状に目を落とし様々な病名を思い浮かべた。しかし、紹介状を書いた医師のいう通り、統合失調症の回復期というのが最も妥当だろうと思った。抗精神病薬を続けていくしかないだろう。少しづつでも社会に慣れてもらって、社会復帰をしてもらおうと思う。
「じゃあ今日はこれで」といって医師が処方箋を書き出すと、患者は立ち上がり
「ありがとうございました」といって診察室を出た。


翌週、同じ時刻にその患者は現れた。
この前と違って、表情が険しく苦しそうにも見えた。
「次の方どうぞ」
患者はドアを軽くノックして、診察室に入った。
苦悩の表情で椅子に座った。医者は、その表情を見て少し心配になった。
「なにかあった?この一週間」
「・・・」
「なんか辛いことでもあったの?何か苦しそうだけど」
「・・・」
患者は苦悩の表情を微動だにせず、一点をずっと見つめていた。
医者はどこを突破口にしようか考えた。あまり、中に入り込むと危険だと感じたので、周りから責めていこうと思ったが、患者が何に反応するかはわからなかったので、手探りで診察を進めいくしかなかった。
「今の気分はどう?」
「(小声で)良くないです」
「どうよくないのかな」
「苦しい」
「苦しい?」
「・・・」
「どう苦しい?」
患者は眉間に皺をよせて、苦悩に耐えるように目をつぶって、頭をすこし上へ傾けた。
医者は、無言で患者の言葉を待って、患者を見つめ続けた。
患者は、必死に言葉を探しているようだった。自分が体験したことがない感情を何とか言葉にして伝えようとして、言葉が見つからないで苦しんでいる。ときどき、小声で独り言を、音になるかならないかほどにつぶやき、すぐに首を振って、「ちがう!ちがう!」と打ち消そうとする。
医者も今が極めて重要な時だとわかっているので、彼の口から言葉が出るのをいつまでも待ち続けた。
患者は医者の態度を確認して、深いため息をついて小声で話し始めた。
「実は、狙われてるんです」
「狙われてる?誰に?」
「それはいえません」
「どうして君が狙われているの?」
「僕が以前、政治的な発言をしたことがあって、僕は思想的には「左」なんですが、多分右寄りの人たちがそれに怒ってやっているんだと思います」
「そんな、大変なことをいったの?」
「いや、大変というよりも。以前、少年法時改正のときに少年に風当たりが強くなって、皆が少年を厳罰化すべきだという雰囲気の時があったんですよ。そのときに僕が厳罰化反対とはっきりいったことがあります」
「うーん。それで、どんな風に狙われてるの?」
「狙われていると言うか、すごいいやがらせですね」
「どんないやがらせ?」
「例えば、うちの上空を飛行機やヘリコプターが一日に何度も、大きな音をだして飛んでいたりとか・・・」
「うーん。でも、うちの上にも飛行機やヘリコプター飛んでくることあるよ」
「それが、毎日ですよ。しかも一日多い時で10回以上」
「いやがらせはそれだけ?」
「いいえ、他にもあります」
「どんな?」
「まず、明らかにこの人たちはコントロールされているなという人が街に何人もいたり」
「どうして、コントロールされてるってわかるの?」
「例えば電車に乗ったときに、向かいの席の人が全員うつむいているとか」
「う~ん」
「あとは、色々なものが変えられている」
「変えられている?例えば?」
「例えば、うちの隣の家は30年以上普通に住んでいて、きれいな日本庭園があったんですけど、僕が病院から帰ったときにぴったりそのときに取り壊されなくなってしまったり、あとは僕の最寄りの駅が、僕が2年前入院したときに改築したんですけど、それがまた全然違う建物になっている。2年前に改築したばかりでまた改築するなんて普通ではあり得ないでしょう。それから、学校へ行く電車が全て各停だったのが、線路が増えて急行ができてたり。乗り換える駅の前は再開発の大工事中ですよ。ずっと通ってたカルチャーセンターの地下の商店街がすべて閉鎖されて壁になっていたり、10年以上同じだった受講券が違うものになっていたり。あと、商品も変わっていて、まずタバコのパッケージが変わった。僕は今は吸わないけど、昔吸ってたマルボロだけは変わっていないんですよ。不自然だと思いませんか?さらに、僕の住んでいる吉祥寺の街が変えられているかもしれないと恐る恐る、訪問看護の人と一緒に見に行ったら、7割がた店が変わっていて、残りの店もほぼ全て改装されていました。これだけのことがちょうど僕の退院のときに重なるなんて、偶然だと思いますか?さらに商品のパッケージデザインもほとんど変わってるし、建物も2年前にあったものがなくなり、新しくなっている。偶然そう感じるだけじゃないですよ。僕は前に病院ではっきりいったんです。敵の性格からいって、僕にプレッシャーをかけても僕は変わりませんから、今度は周りにプレッシャーかけてけて変えてやろうと思うだろう。だから、病院の閉鎖病棟で外に出られないときにも、街が変えられると心配してました。そして、まさにその通りになったのです。だから、たまたまそう思ったというわけではありません。僕がデザインを勉強しているからデザインでいやがらせをしてやろうと思ったんじゃないですか。デザインの中身では勝負できないので物量作戦で、これだけたくさんデザインを変えてやれば、自分の力を見せつけられるので、それで、こっちの勝ちだとでも思ってるんじゃないですか。それで、これだけ大規模に変えるんだから大きな力があると恐がってぼくが政治的立場を変えるとでも思たんじゃないでしょうか」
「・・・でも、それらの変化が本当に鈴木さんへのいやがらせのためにやられたのかねえ?そこまでするには相当お金もかかるでしょう。そこまでしてまで鈴木さんをやっつけなきゃいけない理由があるんですか?一度カルチャーセンターで発言しただけでしょ?」
「それから、僕の書いた小説を有名な学者に見せたこともあります。それで、カルチャーセンターは日本を代表する学者が集まってくるところだから、そこで僕のことが話題になった様子なんですよ。だから、僕が発言することで学者が本を書いたりして、それで世論の論調が変わったりするすることがあるのです。だから、その元になってるぼくをまず黙らせようと考えたんじゃないですか。敵の言いなりになる人ばかりの中で、一人いうことをきかない人間がいると、他にも反発する人が出てくるかもしれないからぼくを叩いて、逆らうとこんな苦しい思いをするぞという見せしめにする。あと自分たちの力の強さを見せつけ、かなわないと思わせて怖くて逆らえないような脅しという意味もあるんじゃないですか。実際そうされると、怖くて従っちゃう人がものすごく多いんですよ、日本では。ほんと、驚くほど多いですよ」
「君は、犯人は誰かは知っているのかい?」
「だいたいあの辺りだなというのはわかりますし、固有名詞も浮かびますが証拠がないのに名前を出せば名誉毀損になるので今はいえませんが」
「あのあたりって?」
「だから、右翼とかそれに近いあたりじゃないですか」
「固有名って右翼の?」
「いえ違います」
「どんな関係の人」
「テレビとかで色々意見を言ってたりする人でこの人かもしれないというのがいるんです。名前は、証拠がない間はいえませんが、証拠が出てきたらもちろんいうし、警察にいって逮捕してもらいますよ。今はタレントをやってるBとだけ言っておきましょう。ところが、困ったことに警察もこういう政治的な問題にかかわり合いたくないんですね。パソコンとかもいじられていますから、パソコンや携帯がおかしな動作をした時にすぐに警察に電話してきてもらったり、こっちから出向いたこともあるんですが、警察のひとは『機械のことはぼくらわからないからメーカーに聞いてから来て』と、なんか面倒なことにかかわりたくないという態度が見え見えなんですよ。そういえば、鉄道会社の制服もほとんど、この2年で変わったんですが、警察の服やパトカーのデザインも変わったんで、最悪、その圧力が警察にまで及んでいる可能性もあると考えています。ですから、犯人を逮捕するためにはまず警察の自浄をしなければならないと思います。あと、本も新書とか文庫のデザインが変わっていたり、雑誌が無くなっていたり、マスコミにも圧力がかかっている可能性が高いです。デザインの変遷を細かく調べていけばこの2年に突出して変わったというデータが出るはずです」
「でも、デザインってよく変わるからね・・・」
「それが、尋常じゃない量で、しかも僕に関わりが深いものが集中的に変わっているんですよ。偶然であり得ません」
「確かに色々変わったかもしれないけど、今の時代の東京なら2年経ったら相当変わるよ。2年あれば全然違うものに見えることもありうるんじゃないかな。それに、君の周りだけが変わったっていうけど、じゃあ他の街には行ったの?」
「知らない街なら変わったか、変わらないかわかりません」
「まあそうだね、でも街が変わったのが君へのいやがらせだとしたら随分お金をかけたいやがらせだね。だいたい、テロリストに対してだってそこまではしないと思うよ。そんなに君は敵から見たら危険なのかい?」
「さっきも言った通り、一人逆らう人がいればそれが蟻の一穴になってみんな逆らうかもしれないし、ぼくが怖いというより、俺たちに逆らったら怖いぞというメッセージとしてやっているんだと思います」
「それで、君はどうするの?警察にも圧力かかっているんだろ。どうやって戦うんだい?」
「一応blogで僕の意見は発表しています。僕は民主党支持なので、民主党が政権をとることで、僕に有利な状況が生まれることはありうると思っています。今回の選挙でもblogでも僕は民主党を応援するblogを工夫して作りましたし」
「でも、君のblogを見る人が何人ぐらいいるかな・・・何人ぐらいに教えたのアドレスを?」
「親戚やカウンセラー以外は、一人有名な学者に見せました」
「一人・・・」
「でもその人も民主党に人脈があるし、学者や政治家やマスコミ人が読んでる可能性は高いと思います」
「どうしてわかるの?」
「書いてあることや、発言が僕のblogの言葉と一緒だったりするんです」
「例えば」
「例えば、鳩山首相が選挙後に『これがゴールじゃない今はスタートラインに立った時だ』といいましたが、これは僕のblogに書いた言葉です」
「でも、その言葉はぼくは昔からよく聞いたような気がするな。いわゆる常套句って知ってるかい?」
「他にも、『外国とはwin-win関係であることが望ましい』とか・・・」
「その言葉もニュースで何度も聞いたよ。君の専売特許じゃないだろう。あのね、君の病気の特徴というのはね、色んなことを繋げて考えちゃうことなの。それで、それを信じ込んで疑問を一切拒否する態度を取るの。だから、『スタートライン』も『win-win関係』も昔からみーんないってた言葉なの、それを、自分のblogの言葉と総理大臣がいった言葉が同じだからって君のblogを総理大臣が見たっていうのは、もすごーく離れたもの同士を繋げちゃう君の病気の特徴なのね。そういう人は、例えば100のうち1~2同じだと自分と関係あると思っちゃうのね。99の違いは見ないの。だれだって100個に1個ぐらいは同じ言葉使うでしょ。それで、自分は総理大臣とつながってるって思い込んじゃって、反対意見は全部拒否しちゃうんのね。だから、なんか変化があったらきっと裏で操っている奴がいる、ぼくをいじめる奴がいるってすぐ思っちゃうの。あのね、湾岸戦争ってあったでしょ。前のブッシュのお父さんの時。戦争したんだよね、アメリカとイラクが。その時、多くの精神科に『湾岸戦争が起こったのは自分のせいだ』ってうったえにきた患者さんがたくさんいたの。でも、どう考えても、日本の普通の人が戦争を起こせるとは思えないよね。思えるかい?百歩ゆずって誰かのせいだとしても、それなら犯人が何人もいるのはおかしいよね」
「・・・」
「なんで、湾岸戦争のときにそんなに多くの人が自分のせいだと思ったかっていうと戦争が始まるまでの時間がすごく長くてそれまでメディアで洪水のように情報が流されどうすれば止められるか議論がずっと新聞やテレビにでたの。それでいつの間にか自分たちが戦争を起こせたり止めさせたりできると思い込んじゃう人がいっぱいでてきたといわれているんだ。こういうふうに何かあったら自分のせいだとか、自分にいやがらせでやっているんだと思っちゃうのが君の病気の一番典型的な症状なんだ」
「でも、インターネットは実在のものですよ」
「でも、見せたのは学者一人だよね」
「はい」
「その人が、君のblogを他の人に見せたって証拠でもあるのかい?ぼくもよく患者さんからblogのアドレスをもらうけどね、自分の気持ちはここにありますっていうんだ。でも、それを第三者に見せることなんて一度もないよ。実はぼくもあまり読まないんだけどね。フフフ、でもね、書いてる人は真剣なの自分のブログが世界を動かしてる気になっちゃうの。そこがインターネットの危険なところなんだよね。ところで君のblogはコメントとかのせられるの?」
「はい・・・」
「今までどれくらいコメントがきた?」
「今のところきてません。多分、この問題に関わるのが怖いんでしょう」
「コメントもひとつもなし・・・あの、インターネットって実際つながってるから、否定するにも証拠がないから否定できないんだよ。でも、よく考えてごらん。総理大臣っていうのはまわりに東大出たような頭のいいスタッフにかこまれているんだよ。それを、どうして誰にも知られていない学生のblogの影響を受ける必要があるの?常識で考えてごらん」
「・・・」
「そうやって、何でも自分に結びつけて考えちゃうのが、君の病気の特徴なんだ。なにかおかしなことがあると自分へのいやがらせだ。自分は総理大臣も知っている偉い人だから狙われてるんだって思っちゃうんだよね。でも、よく考えてごらん。本のデザインが変わることとか、家が建て替えられることとかが総理大臣とどういう関係があるんだろう?関係ないよね?普通に考えれば。君を本当にねらうならなんで君を傷つけたり、なにか君を脅かしたりしないんだ。そのほうがずっと安上がりじゃないか。それを、飛行機とばしたりデザイン変えたりして、どうしてそんなめんどうくさいことするんだろうね」
「それが奴らのやり方なんですよ。怖いぞと思わせてじわじわ苦しめようという・・・いかにも奴らしい嫌らしいやり方です」
「その『奴』がやったって証拠はあるのかい?」
「具体的にはないです。あ、でも証拠と言えば、ヘリコプターはビデオに撮りました」
「でもヘリコプターが飛んでいるのが君へのいやがらせだってことは証明できる?」
「今はできません。でも、これだけの大規模ないやがらせならかかわった人も沢山いるはずです。その人たちが証言してくれれば『証拠』はなくても『証人』は沢山いるはずです」
「その『証人』は見つかりそうかい?」
「今は無理かもしれません。敵を恐がっている人が異常に多いですから。でも、これから少しづつさがしていくつもりです」
「それはご苦労なことだね」
「法を犯して他人の言論を弾圧することは許せません。それから、人をおどして自分の命令に従わせることも犯罪です。ですからあらゆる手段を使ってでも犯罪を立証していきます」
「そうしたら、どうすれば君は満足するんだい」
「主犯と実行犯が逮捕され、公正な裁判を受けさせ、刑が確定して、刑が執行されるまでです」
「それは、どれくらいかかりそうだい?」
「数年。いや十年以上かかるかもしれませんが必ずやりとげます」
「どうやって?」
「まずはblogなどで真実をうったえて、すこしづつ味方を増やします。将来的にはもっと大きなメディアにも出るようになってぼくを信頼してもらえるようにします。その間に『証拠』と『証人』を集めます」
「そりゃ大変だ。だけどね、本当にいるかどうかもわからない犯人と何年も戦うなんて人生、もったいないと思わないかい?それぐらいなら、自分のやりたいこと見つけていやがらせなんか気にしない人生のほうがいいんじゃないかな?なんでも自分へのいやがらせだと思わず、これからは偶然こういうこともあるよねって考えた方がいいんじゃないかな。その方が楽だよ人生。何もかも自分と関係あると思って、自分がblogを書いたらそれで総理大事の態度が変わるなんて思ってたら、生きてくのが重くてしょうがないでしょ」
「先生はわかっていていっているんですか?」
「誰もわからんよ。だって証拠がないんだもの」
「・・・」
「それより、ぼくは君にとって何が一番大切なのかということを考えていっているんだ」
「・・・」
患者は、少し落胆した様子だった。
医者は時計に目をやった。
「はい、じゃあ今日はこのぐらいにしてつづきはまた来週ということで・・・いいかな?来週は同じ時間で大丈夫?」
「大丈夫です」
患者は小さな声でこたえていった。医者は机に向きをかえボールペンで処方箋を書き出した。
「この前の先生と同じお薬を出しておくけど、いいかい?」
患者は下を向いたまま小さな声で
「はい」といって立ち上がった。
「ありがとうございました」といって力ない足取りで部屋を出てドアを閉めた。


翌週の同じ日に、患者はクリニックに現れた。
ドアを入って、ポケットから財布を出しその中から診察券を取り出し小さな箱に入れた。待合室には、若い女が二人、年配の男がいた。
患者は長椅子の空いている席にすわった。以前とおなじ険しい表情で固くなっていた。
見上げるといつものように時計があった。今日はすこし周りにも目を配ってみた。
観葉植物もいいわけのように、とりあえずという感じで、葉っぱにつやもなく置かれていた。棚にはどこか外国か地方のお土産かと思われる手製の動物の人形が2、3個置いてあった。
壁には壁紙との調和など一切気にせずに派手なデザインのカレンダーが掛けてあった。
患者は今日はそのカレンダーに目を留めた。じっと見つめていた。はたから見れば何を考えているのかわからない。そんなに、そのカレンダーが気に入ったのか。
患者はカレンダーを凝視しつつ、カレンダーに書かれてあることなどほとんど気に留めなかった。彼の脳はしかし、異常に早く回転していた。医者の顔が頭に浮かび、どうやって彼に納得させるかのイメージトレーニングを繰り返していた。
一週間に一度、15分の診察だけが彼が本当のことを言える場、「甘え」がゆるされる場だと彼は解釈していた。

「鈴木さん」
事務的な声が彼を呼んだ。
患者は立ち上がり診察室入っていった。

患者は椅子にゆっくりと腰掛け、医者の方をなんとなく眺めた。苦痛と疑念に満ちた目で。
「こんにちは、よろしくお願いします」
と、小声で言った。
「こんにちは。どうですか、今、困っていることはある?」
「あの・・・本が読めないんです」
「本?どんな本?」
「小説です。他の本は、何とか読めるんですけれども、小説がどうしても読めないんです」
「いつ頃から?」
「昔からです。もともと本を読むのは苦手だったんですが、普通の本は情報を得るために読むんですけれども、小説は架空の人の人生の情報を得てもしょうがないので昔から興味がなかったんです」
「だったら。無理して読まなくてもいいんじゃないか?」
「えーと、ぼくは今、『文学特殊研究』って授業をとっているんですよ。小説を書く授業なんですけど。実は、小説を読むのは嫌いなんですが、今まで書いたことはあるんですよ。なんで書いたかっていうと、その時精神的に危機的状態にあって自分の苦しみを人に伝えたかったんですね。でも、従来の言葉では内用が複雑すぎて伝えることができなかったんです。そこで、『小説』という形式をとらざるを得なかったんです。そのときもカウンセリングを受けていて、カウンセラーの先生にいったら、見せてくれというので見せたんですね。そうしたら、そのカウンセラーが有名な劇団の関係者で、普通ならいかないんだけど、どんどん上にいってその劇団のトップで日本を代表するような演出家の人が読んだんですが、その感想が『大学生にしてはよくできてる』ってものだったんです。それを聞いてぼくは『どんなに、深いテーマで、どんなに表現に気を使っても伝わらないものは伝わらないんだ』と思いました。それから、もう一本は精神病になった時点で書いたんですが、もちろん誰も理解はしてはくれないから、誰にも見せずにいました。ただ死んでから何百年かに一人でも理解できる人がいればいいかなと思って。少なくとも、理解はできないまでも、精神疾患の当人が書いた記録として精神医学的に資料的価値はあるかなと思って書きました。そのときは、頭では理解されないことはわかっていたんですが、このまま死んだらこの重要な思想も誰の目にも留まらず消えていってしまうと感じて書かずにはいられなかったんです。今回の『文学』の授業も自分は才能があるかもしれないと思ってとったんですよ。でも、ぼくは本、特に小説は読まない。だから毎週書いていったんですが読むことはできなかったんですね。先生は始めはほめてくれて『存在感がある』とかいってくれたんですが、『君の欠点は文体がない事だね』というんですよ。ぼくは意味がわからなくて。『文体』っていうのは、文章のスタイルだと思っていたので。ぼくの書く小説は実験的に色々なスタイルでみんな書き方を変えてあるんですよ。あるものは、女の子の日記だけでできてるもので、地の文がないんですね。日記はその人らしく書くから当然ぼく自身の文章を書く場所がないんですよ。全部わざと違う人が書いたように書いたから。でも、先生は『文体がない』『文体がない』とくり返すわけですよ。でも、文章なんだから何らかの『文体』はあるはずでしょ。なければ文章ではないんだから。だから、『文体』が下手だというならわかるんですけど、『ない』っていうのがわからなくて悩んでいると先生は『とにかく人のものをたくさん読みなさい』といわれるんですよ。先生は芥川賞を取った、偉い先生なんですけれども、早稲田を出てアメリカに行ったり、パリに行ったり、典型的な60年代の『カウンターカルチャー』世代の人って感じで、『文学とはかくあるべし』とか、酒を飲みながら『文学論』なんかを交わしそうな、そういう感じの人なので、先生のいう『文学』のイメージのワクにはめられそうなのが嫌なんですよ。ぼくは今まで本を読まなかった分だけ他人の影響を受けていない。だから、今までとは違った作品を書いてやろうと思って書いてるんです。だけど『人の作品を読め』っていわれて、型にはめられる不安もあるんです。でも、考えてみて過去のものを批判するにも過去のものを知っておくことは大事だと思い読むようにしたんです。だから読もうと思ったんですがいざ読もうとなるとどうしても読めない。読むのが辛いんです。なんでなのか。とにかく読めないんです。なぜなんでしょうか?どうしたらいいでしょうか?」
「まったく読めないの?少しは読めるの?」
「少しは読めます」
「例えば?」
「ぼくの読むものは主に『哲学』『心理学』『社会学』ですが、全部入門書レベルです。以前カルチャーセンターでカントの『純粋理性批判』を読むので、岩波文庫版を買ったんですが一行も理解できませんでした。だから、ぼくの読むのはだいたいちくま新書のなんとか入門とか、昔あった講談社の『現代思想の冒険者たち』シリーズとかです。これらはすごくわかりやすく整理されてて読みやすくてお勧めですよ。小説は、教科書にのってたり、夏休みの宿題で感想文を書くために読んだのはいくつかありますが。夏目漱石の『坊ちゃん』は途中まで読みましたが読み終わらなかったです。森鴎外の『高瀬舟』とか芥川龍之介の短編。太宰治とか、中島敦の『山月記』。『山月記』は衝撃的でした。高校の教科書にのってたから読んだんですが、すごく考えさせられて自分の人生観が変わったといってもいいほどです」
「どのへんが感動したの?」
「あの中に『胸を焼かれるような悔い』という言葉があるんですよ。それを読んだ高校生の頃『悔い』だけは残さない人生にしようと思いました。これを高校生に読ませるというのは文部省もセンスがあるなと思いました」
「他に感動したものとかある?」
「感動っていうのとはちょっと違うかもしれませんが、こういうことがぼくいいたいことだったんだっていうのは星新一のショートショートですね。あとアガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』も、描かれているの上品な世界の雰囲気も好きですが、ストーリーも『なるほど!うまいな』と思いました」
「読んだのはそれくらいかな?」
「あと、入院中に何冊か本を持っていって、そのときはもう敵が攻めてきて、ぼくのいない間にいろいろ盗まれたり変えられたりするんじゃないかって絶望的な気分で、しかも自分の精神も苦しいし。最初の病院では、親に買ってきてもらったのは、中村元訳の「ブッダ真理の言葉」と「ブッダ悪魔との対話」だったっけ。あと「ブッダ神との対話」そんなような本です。今まで哲学とか読んでいたのもどこか救いを求めていたところもあって読んでいたんですね」
「それは救いになったかな?」
「読んでる間は苦しみが減ります。でも、また普通の状態に戻ると苦しい。読む意味はあるんだけど、それだけで全てが解決できるというものではないということがわかりました。次の病院に持っていったのは、一番信頼している心理学者の河合隼雄さんの本を持っていこうと思いましたが、たくさんある中で一番強い印象を与うけた『影の現象学』を持ってきました。あと社会学では、ぼくは宮台真司さんのファンなんですが、宮台さんの本はちょっと理論的すぎて、救いを与えるって感じじゃないので、宮台さんのお師匠さんの見田宗介さんの『時間の比較社会学』と『自我の起源』を持ってきました。何でかっていうと見田さんが『社会学入門』って本の中で自分には人生で二つの大きな悩みがあった。一つは『死とニヒリズム』の問題、もう一つが『愛とエゴイズム』の問題だというんですね。それがそれぞれ『時間の比較社会学』と『自我の起源』で解決したって書いてあるんですよ。そんな根本的な問題が解決したんだから救われるかもしれないと思ってもっていきました。最初の入院から帰ったときには部屋は勝手にごちゃごちゃに積まれていました。その中でこの二つの本とも探したらすぐに見つけられたのはラッキーでした。その本は買ったけど途中まで読んで読みかけだったので病院でゆっくり読もうと思いました。読んだときは精神病院の閉鎖病棟の二人室。歩くスペースさえない。となりの人は退院して部屋は一人。やるこもなく、『敵に勝手に大事なものいじられたり世界を変えられているんじゃないか。それに真っ向から対抗する人は誰もいないんじゃないか』という絶望的で虚しさの極地のような状態でした。でも、『自我の起源』を読んでいくと、客観的環境は変わらないんだけど、こういうふうな考え方があるのかと、一瞬まわりがふわーっと明るくなりました。入院中に一番心を癒してくれたのは、五木寛之さんのエッセイ『大河の一滴』でした。しばらく、夕食後には何度も読みかえす習慣になったほどです。その中に『窟原(くつげん)』という人の話がでてきて、理想主義者で有能なんだけど周りの嫉妬を買って排除されてしまうんですけど、河で嘆いていると漁師がきて『河の水がきれいなときには冠の紐(ひも)を洗えばいい、河の水が濁ったときには自分の足を洗えばいい』と歌って去っていってしまうんですね。船を漕いで。その漁師の窟原に対するやさしさを感じたんですね。正面から『汚れてもいいじゃないか』といっても否定されるとわかっているんですね。漁師は。そこで、それとなくヒントをほのめかして去っていくんですね。窟原は最後は自殺するんですが、五木さんそういう窟原を否定するわけではないんですね。窟原の生き方は生き方としてちゃんとみとめるんですね。だから『窟原は単なる石頭でそんな生き方をしちゃいけないんだ』というわけではない。そこに五木さんのやさしさを感じました。その上で違う道もちゃんと示してくれる。『人生は地獄だ』と断言しつつ、それでもその人生を肯定できないものかと考えるんですよ。五木さん御自身が子供のころ戦争で地獄を体験されてるから絶望の崖っぷちにいる人にも言葉が届くんだと思います。人によっては、甘いというかもしれないけど、とにかくぼくの絶望の底にあったときに何度もくり返して読んだのは『大河の一滴』だということは事実です」
「なるほど、それはいい話だね」
「小説の話に戻ると入院中、親に買ってきてもらって読んだのが、夏目漱石の『三四郎』とドストエフスキーの『罪と罰』です。なんでかっていうと、二つとも大学生の苦悩を描いているかで、ラスコーリニコフは中退ですけど、ぼくも一度中退してますし、両方とも名作ですから、なんかヒントがあるんじゃないかと思って」
「どうだった?」
「夏目漱石は保守の人だと思っていたので、もっと厳しい人だと思っていたんですけれども、作品を読むと極めて繊細で弱い部分もある人なんだと思いました。でも、その弱さを隠さずに表現できることはすごい、だから今でもみな漱石に言及するのかって思いました。ドストエフスキーもそういう意味では似ていて、とても繊細な人ですが、弱さを直視できる人です。それから、ラスコーリニコフをこの時期に書いたっていうことがすごい。ぼくは、読みもしないのにカルチャーセンターで『罪と罰』の講座を受けたんですよ。それまではニーチェの影響もあるのかな?と思ってましたけれども、先生が『ニーチェもドストエフスキーは優れた心理学者として評価したんだけれど、なぜかニーチェの方が古いと思っている人が多いんですね』といわれました。それから放送大学の中でもドストエフスキーがトルストイより後だと思ってる人がなぜか多い、といってました。ぼくもそう思っていました。そうすると、ぼくだけの勘違いじゃなくて、多くの人にそう思わせるほど現代的テーマがニーチェ以前に描かれているんですね。ニーチェ以前にラスコーリニコフを描いて、しかも最後には挫折するところまで描いたのは、やっぱりすごいと思いましたね」
「なかなか、すごい分析だね」
「だけどぼくは別に評論家になりたいわけではないんです。自分のことを棚に上げて他人を偉そうに批判するなんて何の価値もありませんよ。そこらへんのニュースショーや討論番組と同じですよ。ゴミと同じですよ」
医者は自己像の過大評価と過小評価の入れ替わりの激しさから、「境界例」という病名が頭に浮かんだ。
「でも、それだけ分析できるんだけど人の小説は読めない?なぜだろうね」
「まず、この小説を読む意味があるのかと考えてしまうんですね。くだらない小説の主人公の物語を知るぐらいならもっと学ぶべきものがあるんじゃないかって。そういうと小説は何かの役に立つために読むのでない、といわれそうですが、その理屈でいえば『だから読まなかった』といえる。でも、今は勉強のために読めといわれている。そうすると、やはり辛くなるのも当然なのかもしれない。でも楽しんで読んだ小説もありますよ。社会学者では宮台真司さんが好きだといいましたけれど、彼がプロデュースした高校生の女の子が書いたという、桜井亜美の『イノセントワールド』は、読んでて衝撃を受けました。こんなことが書ける高校生がいるのか!と正直嫉妬しました。ぼくの最初の小説だって20歳ですから。90年代って時代の緊張感がしっかりと刻み込まれている。後で実は宮台さんの内縁の妻のジャーナリストの速水由紀子さんが書いたというのを聞いて少しホッとしましたが。90年代の10代の少女という緊張感と切迫感はとても読んでて引き込まれ、印象に残りました。でも他の小説にはそういうリアリティがない。自分の目で同時代を見てる感じがしない。今まであった小説を読んで、それのマネをしようとしてるように見えてしまうんですよ。例えば、わざと旧仮名づかいを使ってみたり、必要もないのにレトリックに凝ってみたり。そういう文章にかぎって、中身がないことが多いんですよ。いかにも『文学』っぽい文章を書いたり読んだりしてるだけで喜んでる。そういう人たちはぼくにいわせれば『文章フェチ』ですね。今風にいえば『文章萌え』。先生が今までで文体がうまいってみなが褒めた人がいるが誰だと思う?といって、石川淳だっていうんですよ。だから文体の勉強になると思ってよんだら、もうぼくの嫌いな『もってまわった言い回し』のオンパレード。読んでいてもストーリーは全然入ってきませんでした。夏休み全部かけて、短編集一冊ようやく読めました。ストーリーは全部わかりませんでした。とにかく断定しないんですね。別に深い思想もないから断定したら中身がないことがばれる。それをおそれて遠回しにいう。そこで、何か意味ありげな印象を与えるんだけど、何もいってない。でも、中身がないことを認めたくないからどうでもいいところで急に断定したり、安全なところで急に厳しい自己否定をしたり。かとおもうと慌てて取り繕ったり。とにかく気の弱いくせにそれを隠そうとする人だと思いました。そのごまかしのテクニックを『文体』というなら、ぼくは『文体のない作家』で結構。嫌いなら読まなきゃいいだけですよ。ぼくは書きたいから書いているだけですから、賞をもらったりすることは当然できないでしょうが、そのために書いているわけではないですからね。でも、さっきもいったとおり過去を否定するためにも過去のものを読むことには賛成しました。以前、マンガ家の手塚治虫と映画監督の黒澤明が同じことをいっていました。どうすればいい作品ができるかという若者の質問に「いい映画をたくさん見なさい。いい小説をたくさん読みなさい」と。だから、それはやはり一理あると思うんですが、つい影響を受けて模倣になってしまうんではないかという心配があるんですよ。でも、映画でも小説でも革新者はちゃんと昔のもの見てますから、その辺は紙一重なんですけど、まあ気をつけながら、いいものは読む努力はしようと思ってます。でも、読むのが辛い。これはどうしようもない。母にいったら、そのことを先生に相談してみたらいいじゃないのっていわれたので、先生に『ぼくは小説を読むのが苦しくって読めないんです』っていったら、先生は急に厳しくなって『人の書いた物が読めないっていうのは問題ですね』とか『君は文章を使って人とコミュニケーションするのを避けてる』っていうんですね。確かにそういう面もあるけど、読めないものは読めないので怒られてもどうしていいかわからない。さらに、ぼくの作品も『君の書いたのは文章じゃない。単なる記号のようなもの。そこらへんにあるマンガと同じで。何の意味もない』とぼくの作品も全否定されました。以前は褒めてくれたこともあるんですよ。それが『小説を読むのが辛い』っていったとたん厳しくなったんですよ。たぶんぼくが小説を否定したと感じられたんじゃないかと思うんですよ。ぼくはもともと記号的に書こうと思っていて、最終的には論理記号だけで小説が書けないかなと思ったほどです。だから記号的なのがぼくのスタイルだといいたかったけど、でも言い訳はしたくないのでだまって聞いていましたが。ぼくの今までの小説は無価値だということになりました。そこで、だったら『自分が小説を読めない理由を文章にして書いてきてごらん』ということで決着がつきまして今週それを書いていくつもりです」
「ふん。そうか。まあよかったじゃないか。じゃあ来週はそれを書いて先生がどう反応するか楽しみだね」
「はあ・・・」
医者は向きを変え、机に向かいペンを取った。
「薬はいつものように出しときます」
「はい」
「じゃあ」
患者は立ち上がって、軽く会釈をして診察室を出ていった。


次の週の同じ日に患者はクリニックに現れた。
自動ドアを通り診察券を箱に入れ、いつものように長椅子にすわった。
表情はいつものとおり苦しそうだった。
「鈴木さん」
「はい」
といって診察室に入る。
「どうでしたか?この一週間は」
「この前の文学の話なんですけれど」
「はい」
「ぼくは、自分が小説が読めない理由というのを先週ここで話したようなことを書いて先生に見せたんですね」
「うん」
「結構、先生を批判するようなことも書いたんですが」
医者はじっと患者を見つめた。
「それが、『今回のは面白かった』っていわれたんですよ」
「ほう」
「何でなのかなって考えたんですが、やっぱり本音を書いたからだと思うんですよ」
「なるほど」
「でも、それでもまだ君は隠しているものがあるっていうんですよ」
「ふん」
「それで考えてみると、ぼくがデザインを学んだときと同じだなって思ったんですよ。ぼくは大学を途中でやめざるをえなくなって、精神状態がひどくて、それでカウンセリングや医者にいったりしながら、パチンコばかりしていたんですね。ちょうどその頃、斎藤環さんの『社会的引きこもり』という本が出て、こういうのはぼくだけじゃないんだと思って母に読ませました。つまり『ひきこもり』だったわけですが、パチンコで月最高で10万稼いだりしてパチプロになろうかとも思いましたが。毎朝、満員電車で働きにいく父の横で親のフォルクスワーゲンでパチンコにいく息子なんて、自分は人間のクズだと思いましたよ。でも、精神状態が悪くパチンコぐらいしかできないのでしょうがなかったんです。でも段々勝てなくなってきて、なんとか金になるものはないかと思い、最初はワープロの文字入力の仕事のチラシを見てこれなら自分でもできるかもと思いました。人間関係もないし。そのうち求人欄を見てるとデザイナー募集というのが目につくようになりました。絵を描くのは昔から得意で、でもマンガ家になるほどには上手くないので、デザイナーならなれるかなと思いましたが、よく見るとほとんどが経験者募集なんですね。だったら最初はみんなどこで経験を積むんだと思っていたら、母は学校にいけばそこに求人が来るんじゃないのといいました。そこで、学校にいってみようと思いました。ちなみにその後ずっとぼくを苦しめる言い表せない『衝動』の苦しみはこの少し前に起きました。だから、なんとか苦しみから逃れる道を探っていたともいえるかもしれません。そして『ケイコとマナブ』を買ってきて学校を選んだんですけれども、2~3ヶ月でソフトの使い方だけ教える学校もあるのですが、どうせなら一流のデザイナーになりたいと夢が膨らみ、1年平日毎日朝から夕まで、始めはデッサンから始めるというところがあって、そこにどうしてもいきたいと思い、簡単な試験があるので絵の教室に短期間通って受けて受かりました。大学もたくさん落ちているので合格通知には慣れてなくてそれだけでもうれしかったです。学校はオシャレな雰囲気で先生もクラスメートも、女が多いんですがきれいな人も多くて、引きこもりだったぼくとは違う世界だったけどすごく憧れてて自分は行けないと思ってた世界でした。だから、うれしさと戸惑いと両方でした。そこで、カッコいいデザインを作ってやろうと思ったのですが、なかなか思ったようなカッコいいデザインができない。周りの人はあたりまえのようにセンスのいいものを作る。ぼくにも理想はあるんだけどそれを作れない。作ったと思っても評価が低かったり。じゃあ、『いいデザイン』ってなんなんだ。どこへ行けば教えてくれるのかと美術系の学校がのっている本を買ってきて読むと、いろいろ専門学校もたくさんあるが、ぼくのような悩みを解決してくれる最高の場はやはり大学だなと思いました。そして入れそうな大学を調べてみると多摩美の夜間部に社会人枠というのがあって、普通の人よりも入りやすくなってるんですね。ここなら何とか頑張ったら入れるかもと思い、専門学校通いながら夜専門学校のあるお茶の水の予備校『お茶美』に通うことにしました。しかし、美大を目指す子たちは当然みんな上手いしセンスはいい。お茶美では作品を壁にうまい人から上から順番に並べていくんですけど、ぼくはほとんど下のほうでした。残りはイーゼルに乗せられるんですが、ビリにはならなりませんようにと祈ってました。上にいったのは1年で2回だけです。そのときもう30歳ですから、女子高生の中で浮いてましたが、これで上手ければカッコいいんだけど、めちゃくちゃ下手なので恥ずかしかったですね。でも、美大に入りたいって夢があったので我慢しましたけれど。高校時代も男子校で暗い性格だったので、一番感性の鋭い女子高生たちと一緒の教室にいれただけでも幸せでした。ほとんどしゃべらなかったけど、でも大学入ってから『鈴木さん、私もお茶美でした』と声をかけられたこともあって、一応参加したという感じはあったのでよかったと思います。ところで美大生っていうとどんなイメージを思い浮かべますか?ぼくは、個性的で派手な格好したりして少し不良っぽいのかなと思ってました。でも、ぼくのイメージはまったくひっくり返されました。9月で専門学校が終わったので10月から夜間から昼間に変わったんですが、初めての授業で教室にいくと先生はまだきていないで生徒たちはもう黙々と作業をしているんですね。それでぼくがどうしたらいいか困っていると生徒の一人が立ち上がって折りたたみ式のテーブルを積んであるところから降ろして脚を立ててぼくのために置いて笑顔ですわるよう促してくれたんですね。そのときからぼくは美大生の見方が変われました。そうしてみると今までいろいろなクリエーターの人たちを見てきましたが才能のある人ほどいい人が多いというのが実感ですね。ただ、感性が鋭いからシャイだったり、他の人と違う格好をしたり、自由に振る舞ったりするけど、それは社会への反発とかじゃなくて、自分のやりたいことをやっていてたまたまそれがユニークだったという感じですかね。そういう人は自足してますから、人と比べたり人の悪口を言ったり、偉ぶったりしません。そういうのは、その周りにいる才能のない人がそういう傾向がありますね。才能がないのでいつも自分を装っていなければ才能がないことがバレてしまうから、才能のある人のマネをしたりして奔放に振る舞うんだけどどこかわざとらしい。そういう人は常に人の目を気にしてますね。才能がないのがバレちゃう危険性があるから。だから攻撃しやすい人を見つけて悪口を言い合って安心をえようとするんですね。でも、才能のある人は、隠す必要がないからそういうことはしませんむしろ楽しいことを求めているから驚くぐらい親切だったりします。ただし、個人主義だからまわりに無理に合わせることはしません。そういう意味ではあっさりしてます。これが、ぼくのクリエイターに対する感想です。まあ、とにかくぼくはどうしても上手い作品ができない。どう考えればいいのかもわからない。唯一の自慢は学科の試験では2位を100点以上の差を付けての1位だったこと。生涯で1位なんてはじめてかも。でも、美大の予備校で学科で1位でもカッコよくないんです。いい作品ができることが重要なんですから。ある講師の人、多摩美生のアルバイトなんだけど、その人がぼくのことをすごく気にしていてくれて、他の先生も、見た目は派手だけれど優しくてあまり怒らないんだけれど、その先生、といっても年下なんだけど、その人はぼくの作品を上の段に選んでもくれたんですけど、あるとき時間内に作品が出来上がらなかったとき「お昼休みにいつも時間かかりますよね」といって「とにかく完成させなさいっていったじゃないですか」といって「カッコわるいっすよ!」と怒られました。その時思いました。美大では『カッコいい』か『カッコわるいか』が一番重要な価値基準なんだな、と。でも、ぼくは自分がカッコわるいことぐらい十分わかってました。ぼくは「モチベーションが上がらなくて」とか難しい言葉を使ってごまかそうとしたら「もうそういうのはいいですから」といわれた。難しい言葉使って格好つけて理屈ばかりいっていてカッコいいもの作れない自分がいかにカッコわるいか、「自分は本なんて小学生のときのリンカーンの伝記ぐらいしか読まないです」という彼の方がよっぽどカッコいい。夕方のクラスの現役生の女の子らもきていて彼女らの前で年下に怒られてろくに作品も作れない惨めな姿をさらすことになりました。今でも忘れられない惨めさです。でも、その先生が紙立体を作っているとき『もっとビリビリに破いちゃってもいいんだから』といってくれて、ああそういうのもありかと思いました。それで、一つブレークスルーしたというか、その回に一部を手で破いた作品を出したら他の先生も『いいじゃない』『やったね、ついに』とほめてくれました。そのせんせいは恩人ですね。それで、社会人枠っていうのは25歳以上なら誰でも受けられて倍率も二倍ない。つまり、一度社会に出た人にもう一度、クリエイティブなことを学んでもらお王という趣旨なので入りやすくなっているんですよ。英語も辞書持ち込み可だし面接もあるのでぼくみたいなへたくそでも入れたんですね。ふつう多摩美のデザインなんて簡単には入れませんから、予備校のぼくよりずっとうまい人たちでも落ちてますから、本当に社会人枠のお陰です。そして、美大生になるわけですが当然予備校よりもさらにレベルが上、みんな才能があるのは当然、なければ落ちてますから。その中でただでさえ予備校のお荷物だったぼくは自分はうまいものを作れないと悩むのですが、でも悩むのも大学生の特権だと思って悪いことだとは思いませんでした。一方こういうクリエイティブな環境に自分が当事者としているというのがとてもうれしかったです。下手とはいえ合格させてくれた以上はぼくをクリエーターと認めてくれたのだから。個性的な友人も多くてこの雰囲気が好きでした。多摩美は美大の中でも一番個性を重視する方じゃないかな。予備校時代にすでに感じていたんですが先生もタマビ生とムサビ生では違うんですね。先生に「タマビは個性を重視しムサビは理論を重視するように思うのですが」といったらしばらく考えて「スルドイ」といわれました。だから、ただでさえ個性的な美大の中でもさらに個性的もしかしたら日本で一番個性を重視する大学にいるのかもしれない。日本で一番感受性の鋭い人達の中にいるのかもしれないと思うと幸せでした。でも、その中でぼくはうまい作品が作れない。そのとき先生に相談すると「たくさん作品を見ることだね」とやはりいわれた。デザインを見るとマネになりかねないので『絵画』『歌舞伎』『能』などを見るようにしました。大学だから理論的な授業もあったし、別の授業でも順番に先生に見せにいくんですけどだんだん、ああこういわれるなというのが経験的にわかってくるんですよ。少なくとも4年間で『いいデザイン』と『悪いデザイン』の違いはわかるようになりました。だから、文学も少しずつではあるけれど人の作品読んで『いい作品』と『悪い作品』のちがいはけっこうわかってきたと思います。女の子の作品は何か不思議な世界が描かれることが多いことも知りました。それから、谷崎潤一郎、井上ひさしの『文章読本』も読みましたが、井上さんの方に『うさぎ』といと映像でイメージする人と言葉でイメージする人がいると書いてありましたが、これが、ぼくのようなデザイナーと文学者の違いなのではないかと思いました。ぼくが小説を読める人は『イメージッする力』の強い人だと思う、と書いたら先生は『それどういう意味?』と理解できなかったんですね。つまり、言葉の世界にいる人は言葉をいちいちイメージに変換してないんだとそのとき気づきました。そう考えるとクラスメートの女の子書いた小説はイメージを描くというよりも内側からあふれ出てくるものを文字にした感じがした。彼女の作品は『お父さんが死んだ。しかし、半分ない。物理的にはあるんだけれど、もう半分はパリにある』というものです。イメージから出たというのとは違う感じがします。だからぼくは今までデザインを学んできたからなんでもイメージでとらえようとするんですが、文学の世界は言葉の世界で必ずしもイメージ化できないものもあるんだというふうに思いました。それから、これはデザインにもあらゆる芸術にもいえることですが、本気で書いたかどうかは見る人が見ればすぐにわかるということです。ごまかしがきかないということです。一流を目指すなら。二流ならごまかしはききますが。その本気度とはどういうことかというと、何時間かければいいというのではなくて、短時間でいいもの作る人もいます。だから、それはことばでは表しにくいんだけど本当の自分とつながっているって感じでしょうか?ユングが意識と無意識をあわせた心全体の中心を『自己=セルフ』と名付けましたが。結局ぼくの結論は『自己』とつながっている。『自己』からあふれ出るものを表現したものは人の心を打つということだと思いました。だから自分で書く場合はそれを気をつけて書こうと思いますが、それはあるいみ自分が丸裸にされるようなものだから、恥ずかしいし、恐いし、ものすごく大変なことだと思いますが、二流で満足できるならいいけど、上を目指すなら何年かかろうともそういう作品を作っていきたいと思いました。そういうことを考えていくうちにだんだん『いい本』と『悪い本』の違いも少しずつわかるようになってきました。あとは意外と慣れの問題や好みの問題もあると思うので、見る目ができればだんだん読めるようにもなるのではないかと思っています。今は自分の肌にあったものから読んでいこうと思っています」
「・・・まあ、自分なりに答えらしきものが見つかったのはよかったね」
「はい」
「じゃあ次回は・・・」


翌週、またその患者はクリニックを訪れた。
今日は何かに苛立ちを持っているように見えた。
「どうですか?この一週間は」
患者は、医者の服装と腕時計に目を向けた。
医者は患者の態度に今までにない、一種の攻撃性のようなものを感じた。
「またblog書いた?」
「はぁ」
「どうだい、反応あったかい?総理はまだ読んでるの君のblog?」
「(小声で)そう思います」
「なんか、今言いたいことがあるのかな?」
「まぁ・・・」
「何?言ってごらん」
「コントロールされる人の度合いが強くなりました」
「街に出ると、誰かにコントロールされてる人が沢山いると」
「はい」
「その量が増えた?」
「量だけでなく、見た目も変わりました」
「ふ~ん。どんな風に?」
「僕は今までファッションにうとい『ダサイ奴』でしたが、デザイナーになる以上ファッションも少しは知っておかないといけないと思っていとこに代官山や表参道の洋服屋さんに見に連れてってもらったんですよ」
「うん」
「そして、その日はリーバイスのシーンズ買っただけだったんですけど、すごくいい刺激になって楽しかったって叔母にFAXしたんですよ」
「うん、それは良かったね」
その後、患者の顔が急に曇った。
「それからしばらくして、街を歩いていると、何かみんな雑誌に出てたようなファッションしているんですよ」
「雑誌で出てくるようなファッションていうのはおしゃれなっていうこと?」
「まあ、おしゃれっていえばおしゃれですけど、普通の人があまりしないような重ね着とか・・・」
「最近は若い子はみんなおしゃれになってるんじゃないの?」
「いや、以前にもおしゃれな娘はいたにはいたけど、それが、街中の人全員なんですよ。普通のおばさんやおばあさんは昔は地味だったけどいま僕がいくとこいくとこみんな、スタイリストがついたような素人では思いつかないような派手な格好をしているんですよ」
「でも、君は今までファッションに興味なかったんだよね」
「はい」
「それで、最近ファッションを勉強しようと、デザインのために・・・」
「はい」
「だったらあれかな。周りが変わったんじゃなくて君の見方が変わったから他の人の服装も気になりだしたんじゃないかな?」
「それはありません。以前でもおしゃれな人とそうでない人の区別ははっきりできました。ところが今起こっているのは、僕の行くとこ行くとこどこでも全ての人がどこか派手さを出した格好をしているんです。しかも、普通の人だけではないんです。カルチャーセンターで教えている偉い学者で権力に批判的な人までも急に色つきのシャツを着たりストライプのシャツを着たり、ボタンダウンのシャツを着たり、今までもっとコンサーバティブな格好していた人がことごとくなんです。学校の先生も、カルチャーセンターの先生も、ギターの先生も、編集の先生も、ビデオの先生も、教会の神父様までも一斉に変わったんです」
「うん、だけどね、僕も色つきのYシャツや、ストライプのシャツは持っているし時々気分を変えたいときには着るよ。それがそんなにおかしいことかい?」
「それが、丁度僕がファッションに興味をもったときに一斉にあらゆる人がお互いに知らない人たちが、変わったというのが不自然だと言っているんです」
「でも、季節の変わり目とか、何かブームがあった時とかにみんなが一斉に変わることはありうると思うよ」
「全ての人がですよ!おじいさんやおばあさんもですよ全ての人がファッション変えるきっかけってなんですか?」
「それはわからないけど・・・。でも、君のいうことが正しかったら敵は君の周りの人全員に服装を変えさせたということになるね。しかも、街や電車の中の人も?君がどこへ行くかは君しか知らないのに、東京中の人の服装を変えさせたって事かい?どうやってそんなことができるのかな。何千何万人のスタッフがいなきゃ出来ないんじゃないか?そんなことは、どんな政治家でも出来ないんじゃないかな?」
「そこが謎なんで、被害にあった人にききたいと思ってます。ところで先生は今日、赤い柄のシャツを着てらっしゃいますよね」
「え?ああ、これ?これはね、3年前ハワイで買ったので、久々に今日は級友に会うので着ようかと思って」
「時計も随分立派なものを着けてらっしゃいますね。僕の記憶にはないんですけれど」
「ええ!そう?これは、時々付けるんだよ、今日はシャツが派手だから目立ったのかな?」
「実は僕の持っている腕時計はスポーツ用なのでスーツのときに合わないと思って時計を買おうと思ったんですよ。でも、どれを買っていいかわからないので時計関係の本を沢山買ったんですが、それからすぐに周りの人たちがいかにも高級って感じの腕時計をしているとこに何度も出くわしたんですよ。普段腕時計を付けていない人もですよ。そしたら、今日先生は高級腕時計をされてる。これも偶然ですか」
「・・・まぁ、そうですね。偶然でしょう。たしかにたいへん珍しい偶然ですが」
「僕は服装のいやがらせが起こったときに喜んだのですよ。何故かと言うと、無意識に洋服を着たり腕時計を付ける人はいない。もし、なんらかの圧力がかかったなら、その人は圧力を受けたことは必ず自覚していることになる。その中にわずかでも勇気のある人がいれば誰に、どのように圧力をかけたかを証言してもらえる可能性があるからです。また、コントロールされてる範囲が見てすぐにわかるからです。そこで、先生に質問させてください。今日着ている服、腕時計についてだれかから指示や命令や提案を受けましたか?それともご自分でお決めになりましたか?」
「天地神命に誓って、誰からの指示も命令も一切受けてません。間違いなく、私が決めました」
「そうですか。世の中って偶然ってあるもんですね」
「・・・」


患者の家。大きいけれど古い木造二階建。以前下には患者の祖父母が暮らしていたが、二人とも亡くなり、今は客室と物置になっている。患者家族は二階に親夫婦と患者とゴールデンレトリーバーが暮らしている。
出入り口は一階の玄関で、患者は玄関から家に入り、靴を脱ぎそのまま階段を上がって二階の引き戸を開ける。
「おかえりなさい」
「おかえり」
両親が迎える。
「ただいま」
患者は両親を見て。
「パパ、それいつ買ったの?」
「え?これえーと覚えてないな」
「俊は知らないんだけど」
「そりゃ知らないものだってあるだろうなあ」
「今医者に行ってきたんだけど、最近俊の周りの人が着ている物が異常に変わっているので誰かが命令してると思うといってきたところなの。そうしたら、パパがいつもと違う服着ているの」
「だけど、お前は俺の服を全部知っているのか?パパだっていろいろ、もらい物もあるし俊の知らない物があったっておかしくないんじゃない?」
「だけど30年以上一緒に暮らしてるんだよ。いつも見慣れた服かそうじゃないかなんてすぐわかるよ」
「だけど、お前が勝手に知らないっていったってしょうがねーじゃないか。これしか着るものないんだから」
と、笑い飛ばす。
「これだけ、多くの人の着る物が変わった正にそのときに、親の着るものの趣味がいきなり変わる。これが偶然だと思う?」
患者は力強くいった。
「いやーあるんじゃないの。みんなの流行が変われば一斉に変わることも」
「これだけ一斉に変わることが流行だけであるの?しかも、俊がファッションに興味持ったときから、いきなり一斉に変わる。これが偶然か?」
「かも知れないよ。しょうがないじゃないかこれしか着るものないんだから」
「それはいつどこで買ったの?」
父は患者の目を見ず。血の気の引いたような表情で、あたかも何かを恐れているかのような表情で答えた。その表情は患者が通う教会の神父に質問したときに、神父が「あーこれは前から持ってるよ」といって目をそらした目と同じ目だった。患者にとっては、初めて父が見せた目であった。
「いやがらせする奴らがくるかもしれないけど、そのときは必ず断ってよっていったよね」
「ああ、いったよ。そうしてるよ」
「命令されたらお前らの言うことをきく筋合いはない。そんなことはやらないとはっきりといってくれ。もし、それで俊を殺すぞといわれてもそれでもかまわないから必ず断ってすぐに警察に通報してくれっていったら、『わかった』っていったよね。ねえ!」
「ああいったかもしれないね。だけどいわれてないんだからしょうがないじゃないか」
「何で嘘つくの?」
「何で嘘って決めつけるんだよ。本当かもしれないよ」
「こっちは命がけでいってるんだよ。それ平然と裏切るってどういうこと?怖いの?」
「怖かなんかないよ」
「ちゃんと目を見ていってよ」
「だから、俺は知らないって!他の人のことなんか知らないよ。それをパパは嘘ついてるっていわれても。じゃあどうしたらいいんだ着替えればいいのか」
母親が口を出した。
「パパお願い、俊のいうことちゃんと聞いてやって」
「だって知らないものを、何か命令されてるとかとかなんとかっていわれたってしょうがないじゃないか」
「俊はとにかく力に屈して長生きするくらいなら、自分を貫いて殺される方がずっとましだと思っているから。明日、いや今日、今拷問にあって虐殺されても、不当な力に屈服する汚辱を味わうよりは、百万倍マシだということはハッキリ覚えておいて」
「わかったよ」
「信頼は失うのは一瞬だが、取り戻すのには何年もかかることを覚えとけよ!」
「・・・」
患者は母親に向かっていった。
「そのセーターはいつ買ったの?見覚えないけど」
「これは、もうずーっと昔よ。覚えてない?」
と、張りつめた緊張感の中で笑顔を無理矢理こしらえて答えた。
凍りついた空気が部屋を支配した。
「嘘はつくなっていったよな」
「嘘ついてないわよ、あなたそうやって全部じぶ・・・」
患者はさらに大きい声で言った。
「ウソは、つくなと、いったよな・・・!!」
「どうして、そういうふうにとるの?本当にこれは・・・」
「あんたらのことは、そういう人間だととるよ。息子が命がけで違法ないやがらせと戦ってるときに、子供ではなくいやがらせする人間の側につく親がいるとは思っても見なかった。子供がいじめられてるときに、親がいじめる側に立つってどんな親だ!信じられるかそういう親がいることが!・・・もう一度いうからな。嘘はつくなよ。何者かに何らかの指示はされたか?」
母親は何か重大な過失でも犯したような深刻な顔で、何も答えなかった。
「・・・」
「ぼくは人間の良心を信じる」



2009/12/7

0 件のコメント:

コメントを投稿