2009年11月12日木曜日

象徴天皇制


今日は今上天皇即位20年だそうだ。新聞を見て知った。
私には未だに解決できない問題が二つある。
一つが「死刑」の問題/
もう一つが「天皇」の問題。
今日は、後者についての私の考えを書かせてもらう。あまり、歴史に詳しいわけではないので正確さを欠くこともあるかもしれないと予防線を張っておこう。

1970年生まれの私にとっては天皇は「昭和天皇」のイメージで、偉い方が皇居にいらっしゃって日本の象徴になっている。素朴で純粋で平和を愛する良きお爺さんのイメージ。戦争中は軍部に利用されて戦争をしたが、最後に国民のためを思ってポツダム宣言を受諾する「御聖断」を下した。

後に、いろいろ勉強しているとGHQが意図的に作った天皇のイメージだということもわかってくる。

私が天皇制に積極的にYESともNOともいえないのは、天皇制は全ての人が平等だと言う近代の原則に反する。しかし、一方で私も日本人なので、特に昭和天皇に対する尊敬の念もある。私のうちは父方はかなり封建的で、正月や祖父の誕生日には親戚が集まって皆でおじいちゃまのお誕生日をお祝いして、孫たちは皆、祖父の前では敬語で話していた。祖父は立ち上がって皆に感謝の挨拶をする。そういう尊敬の関係があった。私のアルバムを見ればわかるが、村山元総理に似ている顔立ち。

http://web.me.com/shunichisuzuki/suzukishunichi/My_Albums/My_Albums.html

だから、私にとっては昭和天皇は国民のよきおじいちゃま、という感じだった。
そういう意味では、昭和天皇も村山元総理も人々に受け入れられたのは、日本人が共通に持っている「良きお爺さん」のイメージに合致したからかもしれないと思っている。

もちろん一方では左翼から見れば、天皇制は明らかに差別的制度だから撤廃すべきであるし、戦争をしたのは名目上は天皇だから責任は免れないというのも、筋が通っているし間違いとも言えない。
だから、理屈ではわかるけど、感情的にどうしても親しみを感じてしまったり、廃止すれば日本という国のアイデンティティーが無くなってしまうかもしれないという不安もある。理屈と感情の葛藤があるのである。

昭和天皇個人の人格は多くの人が好意を持っていると思う。それは、イデオロギーを別にして昭和天皇ご自身の父が側室の子であったことなどから、弱いものの気持ちを大事にされる性格であったからだと思う。「世の中に雑草という名前の草はないのだよ」という御言葉も心に滲みる。

そもそも天皇とは何か。歴史的な事実としてではなく社会的機能として天皇とは何か。昭和ファシズムの中、天皇は軍の最高司令官、また現人神として絶対的存在だった。明治憲法はプロシア憲法を参考に作られたものだが、私が引っかかるのは、かつてNHKで見たので正しいかどうか歴史の専門家にお聞きしたいのだが、西周が将軍を国王とする議会制を考えていたということだ。ヨーロッパと当時の日本を比較すれば、国王はむしろ将軍に近く、天皇はむしろ国王に権威を与える教皇に近いのではないかというふうに私は思うのである。
もし、西周の考えが実現していれば、華族制廃止後は普通の人である徳川家を今でも崇拝していて、天皇家は京都にいる神主さんの一番偉い人だったかもしれない。

老荘思想では、最も望ましい君主は「何もしない君主」だと考えられていた。普段いるかいないかわからないような人が望ましいと考えられている。そういう意味では、私の天皇のイメージは老荘的な意味で理想の君主であまり政治に介入しないからこそ人々に迷惑もかけずに、権威を時の権力者に与えることが出来たのではないか。
心理学者の河合隼雄は日本神話の分析から、日本の権力構造を「中空構造(中心が空)」とよんだ。

だから、私は明治から敗戦までの西洋の王や皇帝のような君主よりも、戦後の象徴制の方が歴史的には本来の姿に近いのではないかと思う。

むしろ、戦争中の天皇は歴史の中でも異例の存在で、むしろ将軍がなったほうが理にかなっているのではないかと思っている。

だから天皇制を根拠に、狭い民族主義や軍国主義を唱える者とは私の立場は真っ向から対立する。そもそも、「何もしない」からこそわれわれは天皇に権威を感じていたので、軍国主義とは全く反対の意味で象徴天皇制をある意味肯定的に見る。

そして、今上天皇はどうか。戦後のアメリカによる教育を受けた天皇。
かつてテレビで新党日本の田中康夫さんが「天皇制には反対だけど、今の天皇は好き」と言っていた。気持ちはよくわかる。今上天皇の教育をした経済学者の小泉信三は「マルクス主義批判の常識」という本を書いて、共産主義とは一線を引いていたが、同時に古い民族主義とも距離を置いた自由主義者であった。
当時の日本は、大きくわけて「民族主義」とアメリカ式の「自由民主主義」と「マルクス主義」が争っていたと思う。その中で、古いナショナリズムを排し、だからといって社会主義には決して行かない、微妙な線を守って行ったのが今上陛下ではないか。平和や人権を重視するが共産主義には組しない。これが、現在まで比較的多くの日本人に受け入れられてきたのだと思う。
私自身は実は、不敬ながら田中さんと逆で、今の天皇はあまり好きではない。何故かと言うとあまりにもアメリカの描いた、アメリカに都合のいい天皇像を生きているからである。
終戦直後は、先ず日本の軍国主義化を抑えなければならず、一方で共産圏に取り入れられないように、逆にアメリカの左派リベラルが憲法を策定した。後にアメリカ外交は右傾化して日本に再軍備を求めるが吉田首相がそれを拒否する。その結果、「青い山脈」的、理想的民主主義のモデルとして今上天皇は機能してきた。
私がもし、天皇に昔の天皇のようになって欲しいと書けば、昔の軍国主義を連想されるかもしれないが、そうではないのは今まで書いてきた通り。
私の理想は「老荘的」な意味での昔の天皇なのだ。
しかし、近代社会を否定する立場ではないので、近代社会と両立する限りでという条件がつく。
ところで、天皇陛下の「お言葉」がもっと自由にした方がいいかどうかという問題は、非常に難しい、今のところ今上天皇がお話しになっても理想的で現状にあった発言をされるだろう。しかし、理論上はもし天皇が自由に発言された場合、われわれの期待しない発言をされることもありうる。もし、もっと民族主義的な発言をされる天皇が出てきた場合どうするのか。リベラルな発言は自由にしていいが民族主義的発言をした時はそれを隠すのか。それでは、自由な発言とはいえない。そう考えると自由な発言を望むのは危険もともなうことにもなる。
従って、内閣の輔弼を前提とせざるを得ない。
私は今上天皇があまりにもアメリカの筋書きの通りの民主的な天皇像を演じていることに違和感を感じるが、天皇ご自身に対して不快な気持ちはない。私は逆に理想を演じさせられすぎてかわいそうだという気持ちが強い。皇后陛下も雅子妃殿下も心を病まれたが、以前から私は、これだけ自由な時代に皇室に嫁ぐのは大変だろうなと思っていた。
問題を二つにわけると、
1、皇室の方々があまりにも理想的に振る舞うことを期待されてお気の毒だという事。
2、皇室の古い伝統が守りきれなくなって天皇制の存続が難しくなること。
この二つの面から、今の皇室を心配している。
じゃあ、天皇制を思いきって撤廃すればいいのか。それが、最初に書いた、理屈と感情との葛藤のあるところである。

今は、正直どちらが正しいか私には決められない。しかし、重要な問題なのでいつかはしっかり考えないといけないと思っている。

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