2009年11月18日水曜日

部分否定


All apples are not red.
Not all apples are red.
この二つの文章の違いがわかるだろうか?。
上は「全てのリンゴは赤くない」
下は「全てのリンゴが赤いわけではない」

ここにリンゴが100個あったとしよう。
リンゴには赤いのと青いのと2種類としよう。
上の文では、100個のリンゴ全てが赤ではなく青いリンゴであることを示す。
下の文では100個のリンゴ全てが赤い場合だけはない事を示す。
つまり、下の分ではリンゴは0〜99個までは赤か青かは分からない。
英語ではこれを部分否定と言う。

数学の世界ならともかく、「現実の世界には絶対と言えるものはない」という命題を加えて考えてみよう。100%赤、もしくは100%青はなくなる。
すると、「0~99個のリンゴが赤か青かわからない」ということは、いかなる情報も与えていない。

政治に限らず、社会的責任を持った人が、この部分否定を使うことをよく見かける。
「全ての◯◯がXXと言ったわけではない」
この言明は何の情報も与えない。無意味な言明である。
しかし、そこまで細かく分析しない人には、何か意味のあることを言ったかのような印象を与えることもある。
「無意味な言明」を「意味がある」と勘違いさせることは望ましくない。
社会的責任のある方々には、この事を頭に入れておいて欲しい。
無意味な「部分否定」は、使わない。

嘗てテレビ朝日の報道部長が「細川政権はマスコミが応援したからできた」旨の発言をして、放送法に違反するのではないかと疑われた。
私から見ると、明らかに偏向報道をしているテレビ朝日がどんな報告をするのか、見守っていた。
テレビ朝日によると、調査の結果「偏向報道はなかった」そうである。報道部長の発言は「荒唐無稽」だそうである。公の席で社会的責任のある人が「荒唐無稽な発言」をするなんて奇妙なことがあるものだと思った。
その際に、テレビ朝日が出した声明文皆さんはもう忘れているだろうが、それがこの部分否定のオンパレードだった。「報道は偏向してはならない、しかしどんな思想を持ってもいけないとまではいえない、云々」。

なぜ、多くの人はこのような部分否定の文を使うのだろうか。
一応「言葉」だから何か意見を言っているような印象は与えられる。しかし、「赤」か「青」かは全く表明していないので、どちらに転んでも責任逃れの道が残される。
結論が「赤」なら「私は全てが青とは言っていない」
結論が「青」なら「私は全てが赤とは言っていない」
こらなら、万全。必ず弁明できる。

しかし、この様な「無意味」な言葉を吐き続ければ、その人の「言葉」は人々から軽く扱われる。当然のことだ。

従って、この様な発言は、社会的立場の高い人は使うべきではないと私は考える。
100%はないんだから、また人間誰にでも間違えはあるんだから、この様な予防線を張ることに気を使うよりも、「私は(絶対とはいえないけど)青だと思う」と、はっきりどちらに重きを置くかを表明してもらいたい。もちろんそこで責任が生ずる。間違っていれば、最悪な場合職を失うこともありうる。しかし、それだけの重い責任を持つものだからこそ社会的に高い地位についているのだから、責任が重いのは当然だ。それがいやなら、その地位に就くなと言いたい。

以上の理由から、社会的地位の高い人、特に政治家は上記の「無意味な発言」をすることをやめてもらいたい。
これが、私の言いたいことの一つである。

もう一つ。
国会議事堂には傍聴席があるが、そこで国会の議論を聞いたことがあるだろうか。ほとんどないのではないか。つまり、我々は政治を見るときには必ずメディアを通して見るということだ。その場合、ある発言をしたらメディアのバイアスを通して国民に伝わる。
嘗て佐藤元首相が「新聞は偏向して伝えるのでテレビでだけ話す」と言ったことだが。テレビだって偏向することは先の椿発言問題でも明らかだ。
だから、政治家は、自分が発言する際に「何を言うか」と同時に「どう伝わるか」を常に意識しなければならない。
仮に「文字通り」には「論理的」には「真」であっても、この発言をすればマスコミはこう反応するだろうということを計算して発言するべきだし、そうでないといらぬ批判にさらされて自分が損をすることになる。
小沢幹事長の「キリスト教批判」だって、そんなに悪意はないだろうと思うが「余計なことを言ってしまったな」と感じた。「占領時代の日本はいい事もした」と言って反発をかった大臣もいたが「文字上」は「真」かもしれないが「またマスコミが騒ぐな」と思った。私でさえ思ったのだから、経験上政治家っていうのはわからないものなのだろうか?
私が、民主党が勝利したときにまず言ったのが「失言」に気をつけてほしいということだったが、こういう意味だ。マスコミが大げさに言うからマスコミが悪いと思うかもしれないが、そうだとしても結局は自分が損をするんだから、こういう偏ったマスコミなんだと認識した上で「どう伝わるか」を計算することが大事だ。そのためには、まず自分が何を考え、何を目指しているかをしっかり持っていないといけない。そのためには自分の思想を整理しなければいけないので、ちょうどいいチャンスだと思って、何を目指しているのか、そのためには「どう言え」ば「どう伝わる」のかをしっかり考えることをしてもらいたい。


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